2006/09/14 - 2006/09/14
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ぼすとんばっぐさん
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本日は、日本で「後日フランスで落ち合おう」と約束していた友人2人がパリへやって来る日。最初は、「凱旋門で待ち合わせって何かカッコ良くない?」「いや、やはりルーブルの絵の前やろ」などと言っていたが、結局無難に宿泊ホテルで待ち合わせ。やはり、空港は混んでいたのでホテルで大正解だった。「あ〜っ!」「おぉ〜っ!」と感動の対面を果たし、観光開始〜。
パリの美術館と言えば..すぐに思い浮かべる有名どころを楽しんで鑑賞して参りました。
☆本日見学した美術館(施設)
ルーブル美術館・ロダン美術館・ノートルダム大聖堂・オルセー美術館
- 交通手段
- 鉄道
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まず、最初に向かったのはルーブル美術館。ここだけは満足のいく時間を取ろうと朝から行くことにした。昨年もルーブルに来たけれど、2時間半程しか見学出来なかったので、今回は4時間は取ろうと事前に計画。4時間で足りたか・・・?それは後程・・・。
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ルーブル美術館のシンボルになっているピラミッドは、すっかり今では定着しているけれど、1989年に完成したもので、実はまだまだ新しい。設計者は中国系アメリカ人建築家イオ・ミン・ペイ(ワシントンのナショナル・ギャラリー東館も設計している)。
このピラミッドと同時に、地下の中央エントランスや施設も作られ、どの建物にもアクセスしやすくなった。 -
敵からの攻撃に備える為、1190年にフィリップ2世により城塞として建てられたのがルーヴルの起こり。その後、シャルル5世の時代に城壁が広域に拡張され、城壁の中にポツンとあるルーヴルは城塞としての役割を終え、王室の邸宅として贅を尽くして磨かれて行く。
ルイ14世時代になると、途中からヴェルサイユ宮殿の建設に力を入れ、ヴェルサイユに王の居住が移る為、ルーヴル宮の繁栄はストップ。
フランス革命後、ルーヴルを‘学問と芸術のあらゆる記念碑的な作品を集めた場所’とすることに国民議会で決定し、1793年に美術館として正式公開。以後、ナポレオンの影響も強く受け、多分野に渡りどんどん収蔵品を増やしていく。歴代の王が手を加えて来たルーヴル。収蔵品も素晴らしいが歴史も相当深い。
1981年、ミッテラン元大統領により、‘ルーヴル宮を丸ごと全て美術館にする、そして美術館として近代的に機能を果たす為に徹底改造をする’=‘大ルーヴル計画’が打ち立てられた。リシュリュー翼に入っていた大蔵省が別の場所に移動し、ナポレオンの中庭中央にはガラスのピラミッドが置かれ、地下にはインフォメーションやチケットブース、その他施設が複数出来た。以後も、美術館には手が加えられ、ルーヴルは発展し続けている。
詳しい歴史はルーヴル美術館のHPをご覧下さい。
(日本語)
http://www.louvre.fr/llv/commun/home_flash.jsp -
ルーヴルの絵画作品は現在、写真撮影禁止。
彫刻は撮影OK。
さて、ガラスのピラミッド入口からエスカレーターを下り、中央インフォメーションで館内MAPをもらう。(日本語有。これが無いと、わけわからなくなります。)
館内は半地階と地上3階を合わせた4階建構造で、更にドノン翼、リシュリュー翼、シュリー翼に分かれており、どの翼も、とにかく広い、長い、ひたすら歩く!見たい絵がまとまってくれていないので、お目当ての作品を見る為に、階段を上り端から端まで大移動。最後の方は‘ギブです’とロープを掴みたくなるが、名作が本当に多く、これがまたさり気無く展示されている。
乱暴を承知で言うと、有名作品を見たい!という人は‘ドノン翼’から見学することをオススメする。モナ・リザを含む、レオナルド・ダ・ヴィンチを始め、有名巨匠の作品が所狭しと展示されており、中でも持ち運びが不可能と思える大きな絵画、ダヴィッドの『ナポレオンの戴冠式』や、ドラクロワの『サルダナパールの死』、ジェリコーの『メデューズ号の筏』などは、恐らくここでしか見ることが出来ないと思う。 -
ルーヴルの中でも代表的な作品『サモトラケのニケ像』。
エーゲ海のサモトラケ島から、断片として発見された、紀元前190年頃の作品。舟の帆先に立ち、風を受けて立っていて、今から翼をはためかせ、飛び立とうとしている。両腕は大きく広げられ、右腕は勝利を告げるポーズを取っていたのではと言われている(右腕はルーヴルに保管)。
動の一瞬を見事に捕らえている作品。
※ニケとはギリシャ神話に出てくる勝利の女神。 -
ニケ像の後ろ。天井には自然光(だったような)ライトがあり、彫刻を照らしている。彫刻に光を当てるのは、なかなか難しい。間近過ぎると不自然な陰影が出てしまう。建物の特色を活かして、上手い具合に照らされていた。
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これも有名な『ミロのヴィーナス像』。昨年とは違う場所に展示されていた。ミロは、発見されたギリシャのミロス島のこと。紀元前130年頃の作品と言われ、大理石で出来ている。謎を多く残す彫刻らしいが、プロポーションは抜群。
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これはミロのヴィーナスの後姿で昨年撮った写真。つんつるてんではなく、やはり美しいと思う。
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ミケランジェロの『瀕死の奴隷』。ユリウス2世の墓の為に作られた大理石彫刻。もう1体、『抵抗する奴隷』が近くに展示されている。
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新古典主義を代表とするアントニオ・カノーヴァの『アモールとプシケー』。大好きな彫刻です。構図が素晴らしい。
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別の角度から。
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『眠るヘルマフロディトス 』。2世紀頃の作品と言われている。マットの上でまどろんでいるのは女性ではなく、両性具有の人物。
ヘルメスとアフロディテの息子、ヘルマフロディトスは、ニンフのサルマキスの好意を拒絶。この拒絶に納得のいかなかったサルマキスは、ゼウスに‘自分とヘルマフロディトスの体を結合して欲しい’と要請し、2人の男女の体は合体してしまった。
1608年にローマで発見、以後、ボロゲーゼのコレクションとなり、その後、それを買い上げたルーブルの所蔵品となったとのこと。 -
どこからみても、素晴らしい!シーツに足をかけているところなんか見ても、生きているみたい。マットも本物のようだな〜と思ったら、イタリアの彫刻家ベルニーニの作品だった。この彫刻を寝かせるためのマットを、ボロゲーゼが注文したのだそう。
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教皇パウロ4世がアンリ2世に寄贈したと言われる『アルテミスと雌鹿』。通称‘ヴェルサイユのディアーヌ’と呼ばれ、フォンテーヌブロー城、ルーヴル宮殿、ヴェルサイユ宮殿と、数々の王室の居城を飾ってきた紀元1世紀〜2世紀の作品。
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誰の作品か全く判らないけれど、衣装や髪の細かさに脱帽。石をここまで軽やかに仕上げるなんて凄い。昨年、ギリシャの美術館を幾つか回り、最後ルーブルにやってきて思ったのが、作品のレベルが段違いに上!やはりここは、考古学博物館ではなく、美術館なのね〜。
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『ナポレオン3世の居室』
ルーヴル宮とチュイルリー宮を結ぶ翼にあり、大きなシャンデリアが沢山ぶら下がる、豪華な部屋が続く。 -
ここは食堂。国家省の迎賓館として、正餐の時にのみ使用されたらしい。う〜ん、どんな会話が飛び交っていたのでしょ。
ルーヴル見学時間もいつの間にやら4時間を過ぎたものの、まだまだ見てない作品がどっさり。半日やそこらでは時間が全然足りん...!回廊の中央を動く歩道にするとか、スキー場にあるリフトを設置して好きなところで降りれるようにするとか、いっそのことこんなに距離があるのなら観光トラムをブーッと走らせてもイイんじゃあないの?と乱暴な発想が次々と生まれてくる程、見学路は長くひたすら歩き倒します。 -
次へ向かったのはロダン美術館。
アンヴァリッドの近くにあり、オルセー美術館からも徒歩で行ける。
1728年〜1730年にかけて建てられたロココ様式のこの館は、所有者の1人であったフランス衛兵隊総司令官ビロン将軍にちなんで‘ビロン館’と呼ばれ、20世紀に入ると、リルケ、マティス、コクトーなど、芸術家たちが暮らす共同生活の場となった。1908年、リルケに呼ばれてやってきたロダンも部屋を借りて住み始め、ここで作品制作に没頭する。
ビロン館を大変気に入ったロダンは、1911年に国がこの館(領地)を買い取る話が出た際、「自分の全作品とコレクションを国に寄贈する代わりに、この館を自らの美術館にして欲しい」と熱い希望を出す。しかし、ロダンの作品は当時は革新的と見なされ、保守派にはまだ受け入れ難く、美術館設立への道は難航する。美術館設立が決定したのはロダンが亡くなる1年前の1916年。1919年、ロダンが亡くなった後に正式OPENした。
ロダンが約10年間過ごした、愛情がたっぷり詰まった美術館。館も素敵だけれど、庭園の美しさもパリ有数と言われ有名。この洒落た庭には、『考える人』『地獄の門』他、ロダンの作品が複数展示されている。
ロダン美術館HP
http://www.musee-rodin.fr/ -
ロダンの作品に詳しくない私でも、十分楽しめる美術館だった。ロダンは‘手’をモチーフにした作品を幾つか作っていて、これもその1つ。普段から見慣れている‘手’のハズなんだけれど美しさを感じませんか?
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これはアモールとプシケーかな。ルーブルのアントニオ・カノーヴァの作品とはまた違い、親近感が沸く魅力的な作品。
ロダンの作品を実物で見たのは初めてで、今まで堅いイメージがあったのだけれど、動きがあり味のある作品が多く、作品に対する印象がここへ来てガラリと変わった。これ以外にも面白い作品が沢山あるのでとてもオススメです。
★ロダンのコレクションだったゴッホの『タンギー爺さん』もさりげなく展示されている。タンギー爺さんの背景には浮世絵が模写して描かれていて、ゴッホが浮世絵に惹かれていたことが良く分かるので見逃さないで欲しい。 -
次へと向かったのはサント・シャペル。しかし、ロダン美術館の庭でアイスを食べてのほほんとしていたら、ま、間に合わなかった..。(入館時間は閉館の30分前のようです。)
気を取り直して向かった先はノートルダム大聖堂。閉館まであと40分、塔に登ろうで〜!、ということでダッシュで入口に辿り着いたが、やはり間に合わなかった..。(入館時間は閉館の1時間前のようです。)
あそこでアイスを食べる必要があったのかと反省会をしたが、「オイシかった」ですぐカタがつき、ノートルダム大聖堂の内部を見学することに。 -
ノートルダム大聖堂(前年パリに来た時の写真を載せているのでツリーがあります)。1991年に‘パリのセーヌ河岸’という名称で世界遺産の1つになっている。
また、パリ市内の距離はこの大聖堂前が起点となり、パリの中心地でもある定番中の定番名所。 -
数ある彫刻の中で気になったのは、右にいる帽子を深々とかぶった人物。顔を見せない分、存在感を感じる。‘昔の作品’という印象がなかった。
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フライングバットレス。この建物はゴシック様式を代表する建築物としても有名。
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大聖堂内部。ルーヴル美術館所蔵のダヴィッドの絵にも描かれている『ナポレオンの戴冠式』はここで行われたらしい。
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厳かな雰囲気の内部。
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パリのノートルダム寺院と言えば、やはりバラ窓が有名。入口すぐ上にあるバラ窓が一番大きく華やかだけれど、今回は撮影角度がとれず、断念。しかし他のバラ窓も美しい。
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聖書を読めない人(字が読めない)の為に、ステンドグラスで話を語っていたのだそうだけれど、こんなにキレイな教科書を作るという発想が粋です。こんな教科書ならどんどん読んでみたくなりますね。
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最後に向かったのはオルセー美術館でパリ三大美術館の一つ。木曜日は夜の9:45まで開いてくれているのが嬉しい。この三大美術館の収蔵作品は年代ごとに分かれていて、ルーヴルは古代〜1857年までに制作された作品、オルセーは1848〜1914年まで、国立近代美術館は1905年以降(フォーヴィスム以降の近代絵画)の作品を収蔵している。
1804年に最高裁判所として建てられたオルセー宮は、大火事で焼けた後、1900年パリ万博の時にオルセー駅として建築された。しかし、駅は時代の進歩についていけず数十年後は廃墟となり、ポンピドゥー大統領はこの駅を美術館として復活することに決定。ミッテラン大統領により1986年12月9日に正式OPENした。
収蔵作品は、元は‘ルーヴル付属印象派美術館'に所蔵されていたもの。収蔵数が増えて美術館に収まりきらなくなった為、ルーヴル印象派付属美術館は閉館し、新しく出来たオルセー美術館にそっくりそのまま作品を移動した。近代絵画の名作品が一同に集まっていて、こちらの見学時間も少なくとも半日は欲しい。
オルセー美術館HP
http://www.musee-orsay.fr/ORSAY/orsaygb/HTML.NSF/By+Filename/mosimple+index?OpenDocument -
アレクサンドル・カバネルの『ビーナスの誕生』。
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モネの『パラソルをさす女』。
パラソルをさす女の人が身に着けている白いドレスには、青い空や花々が光を受けて反射している。モネはこの反射を、白いドレスに青やピンクの色のタッチを加えて表現している。これは、今まで「白いものは白」と固有色を信じてきた人たちにとっては、考えられなかった表現法。陰影をつけることはあっても、別の色を置くなんていう発想はなく、別の色を置く場合は、模様としてとらえられた。
光学理論にも関心を持った印象派の画家たちは、太陽の下では自然の色は固有色を持っていない、光は混ぜ合わせると白色光になるのに絵の具を混ぜ合わせると黒に近づく、ということに気が付く。その為今まで常識だった色を混ぜ合わせるという方法を止め、原色をそのまま用い、中間色を表現する場合は、混ぜるべき色をそのまま並列に置くことにした。そうすると、離れたところから見ると、色は混ざって見える。これは「視覚混合」と呼ばれ、色彩を混ぜずに並列に置く技法は「色彩(筆触)分割」と呼ばれている。
この色彩分割は形態をあやふやにするので、人物画にはあまり適さず、モネはこの作品以降風景画に専念する。この作品は色彩分割による人物画のギリギリの試み。 -
ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』。
ガス燈で照らされていたパリの夜の街は、19世紀末頃から電燈が登場し、イルミネーションに照らし出されるようになった。それと共に劇場、サーカス、キャバレーがどんどんと普及し、夜の街は活性化する。
芸術家たちの題材にも夜の街が取り上げられるようになり、ここに描かれている‘ムーラン・ド・ラ・ギャレット’も人気を集めたダンスホールのひとつ。
ただ、ルノワールの絵が他の作家と違うのは、画面には幸せ&楽しさのみが溢れているところ。夜の街を退廃的、悲哀的に、人間の奥深い心理を反映して作られた作品が多い中、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』はルノワールの友人が楽しげに語らい、零れる様な幸せがキラキラと輝いている。
現実がこのようにキラキラしてばかりいたのかというと、そういうわけでもない。辛いことや悲しいことは現実には沢山ある。だったら、わざわざそれらを創造することはなく、せっかく物を作るのだったら、人が幸せな気分になれるものを作ろう。このポリシーがルノワールの作品の根底にある。だからどの作品を覗いてみても美しく、安定した空気が常にそこには溢れている。 -
ゴッホの『オーヴェルの教会』。
ゴッホが自殺を図る2ヶ月前に描かれた作品。ゴッホは印象派の画家たちと違い、目に映る景色の再現として色彩を使ったのではなく、精神の表現として色彩を用いている。暗い色彩を使っているけれど、この絵は昼間の絵。キャンバスに表されている色はゴッホの心と教会の神秘性を一体化した心の色。 -
スーラの『サーカス』。
31歳の若さで病気で亡くなったスーラの未完の大作。
未完といっても作品はとても魅力的です。
スーラは印象派の色彩分割を十分でないとし、色彩理論を厳格に用いて、更に細かい点描技法で作品を描いた(新印象派)。感覚的に筆のタッチを置いた印象派と違い、合理的・科学的に光の反射を表現する為、細かい一定の大きさの点をキャンバスに並べることにした。私は新印象派の中ではスーラが一番好きだなあ。
シニャックと一緒に点描技法を試みたマティスは、この細かく合理的に計算された点描が、画面を窒息させ生気を奪い取るとして、この技法に決別をし、今度は大胆な原色の色彩を用いたフォーヴィスムを誕生させる。
この他、マネの『草上の昼食』やミレーの『落穂拾い』やドガの『踊り子』など、書けばキリがないほど名作が展示されている。
日本でもよくオルセー展が開かれるけれど、名作をこれだけ沢山一同に見れるのは、やはり本場オルセー美術館ならではの楽しみだと思う。
※旅行記とは関係ないですが、少しだけ作品の面白さが伝わればと思い書かせてもらいました。(美術に詳しい方にとっては、何を今さら改めて書く、という内容のものばかりですが・・・。)
美術史は何だか理屈っぽい、堅苦しいイメージがあるかも知れませんが、その作品を見ているだけでは気が付かなかった別の視点を与えてくれます。(絵を漠然と見ているだけでは気が付かなかったかも知れない作者の意思を知ることが出来ます)。別の視点から観ることで、新たな面白さを発見出来ることがあるのではないかと思っています。
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