2004/01/22 - 2004/01/26
11552位(同エリア17063件中)
ヨミセさん
添乗員同行ではなく、自分で計画をして、息子と2人で何もわからないで旅行し、失敗した記録です。
2回行きましたが、1回目で「パリ市内観光」をした時のものです。
[渡仏1回目]
& 前書き&
昔からパリはあこがれの場所で、すごーく行きたかったのですが、何せ借金だらけの身。
とても行けるわけがなかった。ところが主人死んで保険が入り、長男が成田空港で働き、
10月から安く行けるパンフレットを10月になってから持ち帰ってきたので、
昔から行きたかった気持ちに火がつきました。
ところが半年で2回も引越しをして、開けていない箱もまだ多くて、パスポートが
みつからず。
よく見ると、10月の第3週と、1月の第3週が、非常にに安い。
この時がチャンスだと思いましたが、10月は間に合うわけがない。
仕方がないので、1月を目指して着々と準備を進めて、やっと旅行にこぎつけました。
&出発まで&
まず最初にパスポート。
いくら捜しても見つからず、引越しも2回やって住所も全然違うし古いし、
新しく申請をした方が早いと思って新規で申請すると、まだ期限が切れていなくて
再発行でないと出してもらえませんでした。
パソコンは、チョウ素晴らしい。その代わり申請代が安く済みました。
航空券は、息子の割り引きで往復エコノミー・エアーフランスで、5万5000円。
ホテルとツアーは、インターネットで格安を。
ホテルは、3泊朝食付きで、しかもエトワール近辺で、ツイン1泊1万4800円、
ツアーはパリビジョンで、パリ1日観光、ヴェルサイユ半日観光、それに
セーヌ川ナイトツアー(ハリウッド夕食つき)・・・
全部日本で支払って、お小遣いだけ持っての旅行です。
それは、ユーロがドルほどよくわからないので・・・。
それは、2004年1月22日(木)のことです。
息子(K)が行かないと安くならないので一緒に行きました。
息子は、何事も早め早めでないと気がすまないたちなので、夜10時までいっぱい時間が
あるにもかかわらず、昼過ぎから「早く行こう1!」というが、
私は、まだ準備が終わらないで、近所の100円ショップまで買いに走ったり。
ようやく17時ごろに支度ができて、やっとのことで駅に向かいました。
しかし成田空港へ行くJRの快速は、1時間に1本だけ。30分ほど待って3本目に
やっと乗って、いよいよ出発です。
30分ほどかかって成田空港につきました。
息子は自分の職場なので、どこに何があるか・・・わかっているけれど、
私は長い間来ていないので、さっぱりわからず。
まず最初に向かったところは、両替。
ドルは自動の機械で出来るが、ユーロは機械で出来ないので、銀行の窓口に行った。
どれくらい両替したら良いかわからず、取り敢えず3万円を両替した。
航空券・ホテル・ツアー代は支払い済みなので、お小遣いだけだから1日1万円で
3万円という数字をはじき出したのです。
ユーロの紙幣をもらって、びっくり。
おもちゃの紙幣のようなもので、本当に通用するのか心配なくらいのものですが、
銀行で渡してくれたものなので、「大丈夫だろう。」と息子が言う。
大事にしまって、まだ搭乗案内までだいぶ時間があるので、夕食を軽く食べに行った。
機内食が楽しみなので・・・。
息子がカレーライス、私はサンドウィッチ。
食べた後もレストランで粘って、時間つぶしをした。
&いよいよ出発&
息子が早く行って搭乗手続を並ばないと・・・と言うので、仕方なく行くと、
もう相当大勢の人が並んでいた。
内部の人間なのでサービスで、1ばん前の真ん中を全部(6人分?)を、
2人分としてチケットを用意してくれました。
行く先々で会ういろんな人が、「旅行いくの? どこ行くの? いいネ」と
声をかけてくるので、ちょっと息子は気まずそう。
搭乗口のすぐ近所に座って待っていたが、開始になったのであわてて行くと、
ファーストクラス、ビジネスクラス、子供連れや老人、その後エコノミーでした。
しかも何番から何番の人と言われ、中々搭乗出来ませんでした。
もう席が決まっているから何も急がないのだけれど・・・。
乗って座ったと思ったら、すぐに非難の仕方のデモンストレートやビデオが始まり、
それが終わらない間に動きだした。
いよいよ出発だ。
2004年1月22日(木)21時55分。
エアーフランス・パリ行き夜行直行便。
&機内食&
水平飛行になる前の、斜めにぐんぐん上に上がっている最中から、良い臭いがしてきた。
機内食が楽しみだ。
しかし臭いだけで中々出てこなかった。
飛び立って1時間くらい経ってから、やっと飲み物とお菓子のサービスが回ってきた。
だいぶお腹がすいてきた時だったので、出されたものを全部食べた。
そしたら機内食が出てきた。
機内食をおいしく食べたくて、わざと夕食を軽く済ませたのだが、先ほどのお菓子で
お腹が膨れたところへ機内食が出てきてしまった。
フィッシュを注文した。すごく美味しかった。
ジュースとか砂糖、塩、バター・・・あらゆるもので持っていけるものは、バッグに
しまって、持っていけないものだけ食べることにした。
それでも苦しいくらいお腹がいっぱいになった。
少しフランスのガイドブックでも読もうかと思ったら、電気が消えて暗くなった。
おいおい、寝ろ・・・ということか。
無理に手元用のライトをつけてまで読むことも無いナ、道中は長いし・・・と思って
寝ることにしました。
寝ている間も1〜2時間おきに飲み物やアイスクリーム・カップラーメンなどのサービスが
回ってきた。
エアーフランスなのに、何故か日清のカップラーメンが・・・。
私はアイスを食べて、息子はカップラーメンを注文した。
出ている地図を見るとノルウェーから南下してきて、後2時間くらいで着くカナ?・・・
というころに、また良い臭いがしてきた。
もうそろそろ朝食が出るかな?・・・と思っても中々出てこない。
後1時間くらいでパリのCDG空港に着くという時に、出てきた。急いで食べた。
着陸体制に入ったころには、まだ食後の回収真っ最中。
大丈夫かいな・・・という感じ。
でも無事に着陸。
&パリの空港にて&
着くと、思っていたより寒い。
ヨーロッパのマント、納得。フムフム。
入国審査のあと、荷物の回転場所に。行くと、もう出ていた。
まずバスに乗って凱旋門のある「エトワール」に行こうと思うのだが、個人で来ているので
迎えもなく、バス乗り場がわからない。
朝4時15分。真っ暗。
丁度荷物を取ったところに「インフォメーション」があったので、通じるかどうか
わからないけれど、
「エトワール?バスストップ?」と聞いてみると、
「ビハインド」という、「後ろだ」と返事がかえってきた。
「バット、ソウアーリ。シックスオクロック・・・・・。
「まだ早すぎる。6時過ぎしか来ない・・・。」
「センキュー」とお礼を言って、とにかく行ってみることにした。
こちらは正直にインフォメーションの後ろと勘違いをして、入り口から外に出て、
「ビハインド」とおぼしき場所を探すのだけれど、寒い上に真っ暗で、
古ぼけたバスストップがポツンポツンと2本あった。
まだ時間が早いので暗いのカナ?・・・と思うけれど、襲われそうな場所で、
どうしようと思っていると、日本人が1人来た。
その人も、わからないという。
私たちが立っているずうっと向こうは、明かりが付いていて、何人かいるので
そこへ行くことにした。
でも、どうしたらそこへ行けるのかがわからない。
やっとのことでたどり着いたら、殆どの人が日本人だった。
「よくあんな暗いところにいたわねえ・・・」と、誉めて?もらった?
6時半過ぎに、ようやくバスが来て無事に乗ることができました。
エトワールまで、10ユーロ。
&エトワールにて&
エトワールに着いたら、また右も左もわからない。
誰かに聞こうとするが、店は開いていないし、その辺を歩いている人が誰もいない。
ちょっと怖かったけれど、清掃屋さんに「シャンゼリゼ?」と聞くと、
「この通りだ」という。
しかし持っている地図とは違うみたいで、怖かった。
仕方がないので真っ直ぐ坂を下りて行くと、何人かに聞くことが出来た。
最後に聞いた人が私の持っていた地図を見て、
「ノン」という。
地図をぐるぐるっと回して、詳しく説明をしてくれた。
ようするに「シャンゼリゼ通り」は「シャンゼリゼ通り」なのだが、
エトワールから右と左と逆に進んでいた。
エトワールまでゴウ・バックして地下鉄で1駅向こうだ・・・と
教えてくれた。
急いで引き返して、エトワールから地下鉄に乗ろうとしたが、
切符の買い方がわからない。
皆について行って同じように駅員さんに駅名を行ってお札で
お釣りをもらって、ホームに下りて、駅名を言って行くかを尋ねると、
指で向こうだという。
また重たい荷物を持って階段を上がって行くと、2つホームがあって
わからない。
適当に乗ると右と左が反対だったので、次の駅で降りて反対に乗って
2つ目で降りた。
上に上がると大勢の人がいたが、ホテルの名前をいっても知る人は
いなかった。
やっとパンやサンドウィッチを売っている店を見つけて聞いてみると
「最初の道を左に曲がって、赤いテントのあるところ」
と、教えてくれた。
行ってみると、何のことない。
エトワールから放射状に伸びる6本の道路の「シャンゼリゼ通り」の
隣の道をエトワールから坂を少し下がったところで、何も地下鉄に
乗る必要はなかったのです。
でも幸か不幸か、あちこち歩きまわったので、エトワール近辺の地理は
大変に詳しくなって、人を案内できるくらいです。
やっとホテルにたどり着いて、夜まで荷物を置かせてもらう交渉をして
バスツアーの営業所チュルイに向かいました。
&パリ1日目の観光&
地下鉄でチュルイまではすぐに行けましたが、パリビジョンがまた
わからない。
聞いてやっと着き、遅くなったと思いましたが、まだ開いていないので、
すぐ近所のカフェに入り、アップルパイとコーヒーを注文して、この日
2回目の朝食を食べました。
トイレ事情が悪いと聞いていたので、カフェで用をたしました。
有料トイレで、お金の入れるところが良くわからず、電気が付かなくて
暗かった。
時間がきたので、パリビジョンに行って受付を済まし、少し待っていると
大型バスが来た。でも乗る人は少なかった。
これで採算が取れるのか?・・・と、心配をしてあげたくらい。
ガイドは英語だと聞いていたが、フランス語、英語、イタリア語、日本語、
ドイツ語で、大変に助かりました。
日本語のガイドさんは日本人で、フランスに来て14年だとか。
日本語で話が出来て、チョー・ラッキー。
バスツアーで最初に行ったのが、ノートルダム寺院です。
本当はゆっくり見たかったのですが、寺院の中は薄暗くて、お祈り中で、
スリが非常に多いので長居は禁物だそうで、少ししかお土産を見れなくて
ガイドブックだけ買って直ぐに外へ出た。
バスはシテ島より橋を渡って、オペラ座からモンマルトの丘へ行こうとして、
橋を渡って直ぐの交差点で事故ってしまった。
バスに乗っている人たちにはケガがなかったが、バスの窓ガラスが粉々に
割れて大変だった。
事故処理に30分ほどかかり、出発した。
乗務員や私たちにケガのなかったのが不幸中の幸いでした。
かなりぐるぐると歩き回り、更にケーブルで上がった。
モンマルトの丘の上にあるサンマルコ寺院入り口からの眺めは素晴らしかった。
ここもスリが多いから注意するように指示があり、やはりうす暗くて
お祈り中なので、すぐに出た。
また歩きまわって広場に到着したので、レストランでの昼食フルコースは、
最高だった。
特に大きな花瓶のようなボトルにいっぱいの赤ワインは、甘くてとっても
美味しくて、お茶代わりに何杯もおかわりして飲みまくった。
モンマルトの丘の上から広場までの石畳は、ウンコだらけ。
それはもう、ひどい状態でした。
ガイドさんは、犬だと言っていたが、本当か疑わしい。
フランスの歴史を知るものにとっては・・・。
だから香水が発達したんだものネ。
午後からセーヌ川クルーズをした。
昔行ったヴェニスと同じで、汚い水だった。
写真を撮ってもらったので買おうとしたら、11ユーロもとられた。
高くてびっくりしたが、記念に買った。
最後にエッフェル塔に行きました。
長〜い行列が出来ていて、中々エレベーターに乗れませんでしたが、
上に上がると曇っていて寒かったが、360度展望が出来て、
大変に素晴らしかった。
夕食は、地下鉄でジョージVからホテルに戻る途中に、朝ホテルを
聞いた近所のパンやさんで、息子がホットドッグを買い、私は機内食の
残りのパンやジャムを食べて、直ぐに寝ました。
長い長〜い1日でした。
&パリでの2日目&
えらいもので日本時間の朝6時のなると、目が冴えて、夜中の3時頃から
30分毎に目覚めた。
2月24日(土)
腹が減ったので早めに起きてシャワーを浴びて、7時になると直ぐに
下に下りると、まだ出来ていなかった。
7時15分からだというので、部屋に戻るのも面倒だし、そのまま待っていた。
7時20分くらいになって、やっと準備が出来た。
コンチネンタルバイキングで、昨日レストランでワインが入っていたのと
同じようなボトルに生ジュースがなみなみと注がれていて、とっても
美味しかった。
腹いっぱいになった。
パリ2日目の今日も、パリビジョンのバスツアーだ。
地下鉄にも慣れて早くチュルイに着いた。
今日は日本語のテープガイドだと思っていたが、日本人のガイドさんが乗った。
ラッキー・・・。
高速道路を通行して「ヴェルサイユ宮殿」に行った。かなり遠い。
昔、宝塚歌劇で「ヴェルサイユのばら」が有った時、テレビで中継があり、
それを見た記憶がある。
やっぱどれを見ても素晴らしいに尽きる。でもその陰で多くの人たちが
犠牲になったことも事実なので、素晴らしいけれどそれで泣いた人達の
怨念すら感じた。
見学が終わり、ヴェルサイユ宮殿前の広場でバスを待ちながら、ガイドさんを
交えて皆で談笑していると、我息子が物珍しそうに、あちこち向いて写真を
撮りだした。
するといきなり黒人で土産ものを売っていた男が怒って突進してきて、何か
文句を言ったかと思うと、押し倒しそうになった。
慌てて日本のガイドさんがフランス語で割って入ってくれて、まあ何とか、
ことなきを得た。
しかししばらく危険な状態であったが、バスが来たので乗り込み助かりました。
最初は理由がよくわからなかったのですが、要するにそこにいた黒人達は
不法滞在者で、多分何回も国外追放になっては舞い戻ってきて、商売を
している人達で、顔写真を撮られるということは致命的なことなので、
あれだけ怒ったのでしょう。
でも息子いわく、土産売りが場所に似つかわしくなくて面白かったので、土産売りを
している風景を写真に撮ったそうだ。
しかし撮られた人達にとっては、大変にまずかたらしい。
もしあの時、ガイドさんが割って入ってくれなかったら、大勢の黒人達の
袋叩きにあって、大ケガをしていたかと思うと、
やはり外国は怖いナア、恐ろしいナア・・・と、思い知らされた一幕でした。
&中国文化祭に巻き込まれて&
午後は、ヴェルサイユ宮殿の宝物を保存しているルーブル美術館へ行って、
軽食コーナーで遅い昼食を食べた。
私は、クッキーと紅茶、息子はポテトとコーヒー。
あまりにも広過ぎて、夜行で来た翌日で、疲れていて少ししか見ませんでした。
その代わりに分厚くて大変に美しいガイドブックを購入した。
暗い寺院の中はスリが多いとかで、長く土産物とか記念品を選ぶ時間が
なかったので、私は行く先々でこのガイドブックを買いました。
それで1日の予算を大幅にオーバーしてしまい、両替したお金は残り僅かに
なってしまいました。
夕方のナイトツアーまで時間があるので、重い荷物をホテルに置きに帰る
ことにしました。
今日は「午後2時から中国文化祭パレードがシャンゼリゼ大通りである」と
聞いてはいましたが、地下鉄のチュルイ駅に行くと、入場階段規制を
やっていて、ジョージ・V駅は、クローズだと言って切符すら
売ってくれませんました。
改札口にいる係りの人に尋ねると、「メニー・ピーポー」と言って切符を
買うように言うから、パリのメトロはどこまで乗っても同じ値段なので、
「エトワール」と言って強引に切符を買ってホームに下りる人の列の
後ろについて行くと、ホームがいっぱいの人で、いつ乗れるかわからない
状態で階段を少し降りたり止まったり、また少し降りたり止まったり。
でも3台目にやっと乗れましたが、むなしく降りる駅は通過。
エトワールで降りて裏道を行くと、ホテルまで5分くらい。
ホテルに重い荷物を置いて、1時間くらい昼寝をして早めに「エトワール」
から「チュルイ」へ。
エトワール駅に行くとものすごい人、人、人・・・。
切符を買おうとすると、「フリー・パス」と言われ、無料で入り、やっと
2台目に乗ってパリビジョンの営業所に辿りつきました。
ナイトツアーに出発をすると、シャンゼリゼ通りは混んではいたが、
緑の清掃車や清掃員がびっくりするほど多く居て、すでにきれいに
なっていた。これは日本でも見習うべきだと思った。
今日は中国文化祭なのでエッフェル塔が特別に赤くライトアップされると
聞いていたが、赤だけではなく「キラキラキラキラ」・・・と、すごくきれい
だった。
またセーヌ川クルーズから見るイルミネーションも大変に美しかった。
でも、まだまだシャンゼリゼ大通りが混んでいて、プラネットハウスでへの
到着が大幅に遅れ、夕食のメニューが夜のディナーから、深夜メニューに
変っていたので、ポテトとサンドウィッチくらいしかなかったため、
息子の機嫌が斜めになり、やむなくテイクアウトの交渉をして、ポテトと
サンドウィッチをホテルに持ち帰り、すぐに寝ました。
&パリの市バスは、日曜日は休み&
1月25日(日)今日から自由行動?なので、朝はゆっくり寝るつもりが
やはり夜中の3時ごろから30分ごとに目が覚めて余り眠れませんでした。
朝食後、小遣いも乏しくなったので、両替場所をホテルで聞いて両替に
行きました。商店の奥の方で何か怖そうなところでしたが、とにかく
念のためにと思い日本円で5万円を持っていたので、後3万円両替を
しました。あまりお金を持っているところを見せたくなかったので・・・。
市バスなら直接オルセー美術館に行けるので、市バスで行こうという
ことになり、バス停で待っていました。
待っても待っても中々バスが来なくて、仕方なく地下鉄でチュルイまで行き、
向かい側に橋を渡って、ようやくオルセー美術館に着きました。
日曜日は市の職員が休みなのはよくわかるが、公共のバスまで休みなんて
日本では全然考えられないことです。
駅舎だったとは思えないような素晴らしい美術館で、ゆっくり見たいと
思いましたが息子が素通りで早く行くので、ガイドブックだけは買って、
次のロダン美術館に歩いて向かいました。
地図を見ると向かい側のように見えるが、すっごく遠かった。
いろんな人に地図を見せながら尋ねたが、「ロダン・ミュージアム?」と
聞いても、皆「ノン」知らない・・・という。
おかしいな・・・と思っていると、向こうから地図を持って日本語で
話しながら歩いてくる人がいたので、日本語で聞いてみたら、「今、
行って来た。」と言って、地図で現在位置はここでロダン美術館はここで
と、親切に教えてくれた。
&オータン・・・&
その通りに曲がったつもりだったが、美術館らしきビルは見当たらず、
向こうからフランス語を話しながら2人連れが来たので「ロダン・
ミュージアム?」聞いてみると、1人は「ノン」と言ったが、
もう1人が「オータン・ミューゼ?」と聞くので、地図で指を指すと
「ウイ」と言って真向かいの家を指さした。
発音が悪くて通じなかったみたい。
私たちは大きなビルを探していたが、2階建ての普通の「い・え」で、
庭に彫刻がゴロンゴロンという感じ。
「考える人」は大変に有名な彫刻なので、それなりな置き方がしてあると
思っていたが、誰でも手で触ることが出来るような無造作な置き方には
驚かされた。
「ロダンの考える人」は勿論のこと、どれもこれも触ることが出来るし、
写真を撮ることも出来るし、絵の前で絵を描くことも出来るので、
たくさんの人が描いていました。
ルーブル美術館でも、オルセー美術館でも、ヴェルセイユ宮殿でも。
そんなこと日本では考えられないことです。
本物のすぐ前で模倣を描くことが自由にできるので、ヨーロッパで
絵画が発展したのだろう。
日本の美術館は、やれ写真を撮ってはいけないとか、しゃくし定規な
ことばかり言っていないで、自由に見たり描いたり写真を撮らせれば
良いのにナアと、思いました。
ここでもガイドブックとお土産を買ったが、レジにいた人が片言の
日本語が話せたので、一番近い地下鉄の駅を聞くと「バレン」で
シャンゼリゼで1号線に乗り換えると良いことがわかり、ホテルに
無事変えることができました。
あちらこちら歩き回ってお腹が減ったので、昨晩のサンドウィッチと
ポテトを食べて、エトワールから地下鉄6号線一本でエッフェル塔に
お土産を買いに行きました。
駅から見えてはいるが塔まで随分と距離があって、しんどかった、
現金は使わずかーどで買いました。海外はVISAかと思っていましたが
「ジェーシービーカード」と言われ、土産物店の中のあちこちに
「JCB]とはってありました。
私はVISAとJCBと両方のカードを持っていたので、JCBを使いました。
&息子の誕生祝い&
ホテルに戻り、お土産を置いて少し昼寝をして、Geoge V の地下鉄の
駅のルイ・ヴィトン本店の向かいに在るかの有名なフーゲツに夕食を
食べに出かけた。
メニューがフランス語と英語で、チンプンカンプン。
困っていたらすぐ隣の人が日本語で助け舟を出してくださって、
メニューの内容を解説してくださいました。それでワインX2,
オニオンスープX2,息子は肉、私はチキンを注文したら、肉と
フライドポテト、チキンとポテトサラダが出てきて、
大変おいしかった。ワインも・・・。
やっとまともに息子の誕生祝いが出来た。1日早く。
ほろ酔い加減で何もしないで、早く寝た。
&みぞれ、ボタン雪、猛吹雪&
やはり夜中の3時頃から30分おきくらいに目が覚めて、余り眠れ
なかった。
1月26日(月)いよいよパリ最終日。
起きると「みぞれが」吹雪いていた。
でもホテルの中は、スチーム暖房で、暑いくらい。
冬は良いが夏は冷房がなく、クローゼットの中に扇風機が眠っていた。
猛暑の夏には、この石造りのホテルの中は、一体何度まで上昇する
のだろう。
多くの観光客が猛暑で死んだとか聞いたことがあるが、うなずける
ナアと思った。
朝食後、荷物の整理をしたが、何かトランクの中が少ないと思ったら
部屋着をきたまま荷物整理をしていたので、部屋着を入れ忘れていた。
だから少なかったのだ。
着て帰る服だけ出して全部入れてから、風呂に入り、少し涼んでから
チェックアウトをして、フロントにスーツケースを預けて、
近所にあるエアーフランス営業所までリムジンバスの情報を聞きに
行って、普通の観光バスでパリを一巡しようかと思ったが、外を
歩くだけでも寒いを通り越して、あちらこちらが痛くて感覚がなくなる
ほどで、とても屋根のない吹きさらしのバスに乗る気になれなくて、
カフェに飛び込んで暖かいカップチーノ・チョコチーノを注文した。
昔イタリアで飲んだのと良く似ていた。ヨーロッパの味だナアと
思った。
どうして日本では、あの味(チョコ・シナモン・コーヒー)が
だせないのだろう!
びしょぬれになって、余りにも寒いので、ホテルに戻り、少し乾かした。
&帰途は・・・&
息子が小止みになったので行こうというので出かけると、大降りに
なってしまった。
しかし来た時と違い、今度は近道がわかっていたので、急いで行くと
5分もかからずに歩いて着くことが出来ました。
もうCDG空港行きのバスが止まっていたので、すぐにわかった。
来たとき1時間以上も探しまくって、地下鉄に乗ったは良いが
行き先を間違えて、1駅で降りて引き返したり・・・なんて、
バカみたい!
&空港にて&
空港には予定より早く着いたので、もうこれが最後で見納め?だと
思い、あちらこちら念入りに見学をしたり、1軒1軒お店に入り、
ゆっくり土産物を買ったり、遅い昼食(ポテトとアップルパイ)を
食べたりした。
そのあと2Fから2Eに見学に行くと、到着した時に迷った通路を
通った。
FもEも発着のボードを見ると、欠航とか遅れが多くあり、帰れるか
心配だ。
外は大雪。
空港の各カウンターは、欠航で乗れない人で、ごったがえしていた。
こちらが乗る飛行機は、どうなのだろう!
動き回って疲れたので、空いている椅子をエアーフランスの
カウンターから離れたところに見つけて、今日1日の旅日記を
書くことにした。
今、チェックインの丁度1時間前だけれど、外は大雪。
発着ボードを見ると相変わらず、「欠航」「遅れ」の表示ばかり。
時間通りに飛ぶのか心配。
何度か電話とインターネットに挑戦するが、うまく出来ず。
私は1日余裕をもって多めに有給休暇をとっているが、息子は
帰った翌日から出勤になっているので、6時間くらいの遅れでないと
それ以上の遅れになってしまうと、寝ないで出勤になるかも・・・。
&やっと帰途に&
発着ボードを何度見ても「遅れ」の表示で、なるようにしかならない
と、あきらめて待っていたら、やっと現地時間の20時15分に
チェックインが始まった。
うれっぴー。これで帰れる!重たい荷物ともシバシノ別れ。
バッグだけで身軽になったと思ったら、息子がまた食べると
言い出した。
息子は腹の調子が悪いと言いながら、良く食べること、食べること。
私は付き合いきれない。
チェックインしたものの、中々搭乗案内がない。
待っている間に日本へ電話をしようと思ったが、かけられず。
だいぶ待ってやっと搭乗案内があったので、急いでゲートに行くと、
まずはファーストクラスより。次はビジネス。その次は子供連れや
車椅子の人。最後にエコノミーの番号順。
かなり待って、やっと飛行機に乗った。
これで帰れると思ったが、大雪なので、水平飛行になるまでは
すごく心配で、もし墜落したら・・・なんて思ったりもした。
行きとちがって帰りは天候の関係もあって、すごく混んでいて満席
だった。だから狭かった。仕方がない。
天気がわるいので、ずうっと「ベルト着用」のランプがつきっ放し。
揺れもひどかった。
離陸後1時間くらいしたら、やはりお菓子と飲み物が出てきた。
飲み物だけのんで、お菓子は持ってかえった。
その後すぐに機内食が出てきた。
普段酔ったことがないが、酔いそうなくらい揺れた。
でもお腹がへっていたので、ある程度食べた。持って帰れるものは
バッグにしまって、持って帰れないものだけ食べた。
おいしかった。
食べたらすぐに消灯になったが、ずっと「ベルト着用」のランプが
つきっ放し。暗くても寝れない。
飲み物が回ってきたときはパスして、アイスの時は食べた。
美味しかった。
日本の上空になり、函館の上空の時にトイレに行った。
飛行機が混んでいたこともあるが、長蛇の列で大変だった。
霞ヶ浦の上空になっても着陸体制になっても、まだ長蛇の列。
止めようかと思ったら、やっと順番が回ってきた。
もう着陸体制で、斜めに進入していて、何かに捕まらないと、とても
立っていられない。
そんな状態で何とか用をたして席に戻っても、まだ長蛇の列。
座ってベルトを締めたら、もう成田空港の上だとはっきりわかる。
5分くらいで着陸してしまった。
おいおい、危なくねえか?
こんなこと考えられないでしょ。
&あとがき&
でも本当に本当に楽しかった。失敗だらけの旅行だったけれど、その
失敗が楽しかった。
添乗員さんが連れて行ってくれるツアーでは体験できない体験を多く
することが出来て、楽しくもあり勉強になった旅行でした。
また行ければ歩ける間に行きたい・・・・・。
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
- 航空会社
- エールフランス
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
0