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種子島は、鉄砲伝来の地で火縄銃の製作が始められた場所でもあります。また現在は、種子島宇宙センターとして日本に於ける宇宙開発の一役を担っています。<br /><br /> 種子という名は、日本で初めて稲を作った島という説とアイヌ語の長いという意味の「タンネ」からきた説があるようですがアイヌは北海道ですのでやはり稲でしょうね。<br /> 地元の調査によると種子島には、今から約31,000年前の旧石器時代で、弥生時代の「広田遺跡」から「山」字の刻まれた貝製品が発見されていることから、約1,700年前に文字を知る人々が住み着いたといわれいます。<br /><br /> 私は、種子島の北端にある浦田神社と古代米の赤米で有名な宝満神社それに島の最南端にある門倉岬に一隻の船が漂着して、乗っていた3人のポルトガル人が、わが国に始めて鉄砲を伝えた所と、民族資料館それに日本の宇宙開発の拠点として建設されロケット・人工衛星の基地の「種子島宇宙センター」をタクシーで回りました。<br /><br /> 民族資料館では、この地域の風習や生活用具などが展示されていました。種子島の北端にある浦田神社には、「御種子蒔石」があり「ウガヤフキアエズノミコト」が初めてここで稲の種を蒔いたといわれているということを資料で知りました。<br /> <br /> 日本の米作りは大隅半島を経て北上したといわていて、種子島の南端にある宝満神社に「玉依姫」が祀られています。この玉依姫は、土地の人々に米作りを教えたといわれる神で、神社に伝わる「赤米」が有名です。赤米と白米の南北二つの神社に共通 して伝えられているのは、種子島が日本最初の稲作の地であったといえそうです。 <br /><br /> 種子島が日本史に登場するのは、日本書記667年(天武6年)2月に「多彌嶋人等」が奈良の都を訪れた事が、天武10年8月「その国、都を去ること五千餘里。筑紫の南の海中にあり。…粳稲常に豊かなり。ひとたび植えて再び収む。」と記されています。 <br /><br /> 種子島宇宙センターは、1969(昭和44)年に日本最大の宇宙開発の拠点として建設され、ロケット・人工衛星の基地です。私は、何時もテレビで打ち上げの様子を見ていますが、この様な自然あふれる所にあるとは思いませんでした。館内では、ロケットや人工衛星それに国際宇宙ステーション計画、地球観測、天体・惑星など、宇宙開発におけるさまざまな分野について展示していました。<br /><br /> 鉄砲伝来の碑は、1543年(天文12年)島の最南端にある門倉岬に一隻の船が漂着し、乗っていた3人のポルトガル人が我が国に始めて鉄砲を伝えたところです。岬の展望台では、船の形をした施設がありそこから島の周辺を眺めることが出来ました。私は、この歴史的な場所に立ち遙か昔にポルトガル人が漂着して鉄砲を伝えた所と知り、何故か感激してしまいました。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.<br /><br />

世界自然遺産「屋久島」鉄砲伝来「種子島」の旅 ? 種子島の「赤米・鉄砲伝来の碑・種子島宇宙センター」 

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2004/08/03 - 2004/08/03

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koi

koiさん

種子島は、鉄砲伝来の地で火縄銃の製作が始められた場所でもあります。また現在は、種子島宇宙センターとして日本に於ける宇宙開発の一役を担っています。

種子という名は、日本で初めて稲を作った島という説とアイヌ語の長いという意味の「タンネ」からきた説があるようですがアイヌは北海道ですのでやはり稲でしょうね。
 地元の調査によると種子島には、今から約31,000年前の旧石器時代で、弥生時代の「広田遺跡」から「山」字の刻まれた貝製品が発見されていることから、約1,700年前に文字を知る人々が住み着いたといわれいます。

 私は、種子島の北端にある浦田神社と古代米の赤米で有名な宝満神社それに島の最南端にある門倉岬に一隻の船が漂着して、乗っていた3人のポルトガル人が、わが国に始めて鉄砲を伝えた所と、民族資料館それに日本の宇宙開発の拠点として建設されロケット・人工衛星の基地の「種子島宇宙センター」をタクシーで回りました。

 民族資料館では、この地域の風習や生活用具などが展示されていました。種子島の北端にある浦田神社には、「御種子蒔石」があり「ウガヤフキアエズノミコト」が初めてここで稲の種を蒔いたといわれているということを資料で知りました。
 
 日本の米作りは大隅半島を経て北上したといわていて、種子島の南端にある宝満神社に「玉依姫」が祀られています。この玉依姫は、土地の人々に米作りを教えたといわれる神で、神社に伝わる「赤米」が有名です。赤米と白米の南北二つの神社に共通 して伝えられているのは、種子島が日本最初の稲作の地であったといえそうです。

 種子島が日本史に登場するのは、日本書記667年(天武6年)2月に「多彌嶋人等」が奈良の都を訪れた事が、天武10年8月「その国、都を去ること五千餘里。筑紫の南の海中にあり。…粳稲常に豊かなり。ひとたび植えて再び収む。」と記されています。

 種子島宇宙センターは、1969(昭和44)年に日本最大の宇宙開発の拠点として建設され、ロケット・人工衛星の基地です。私は、何時もテレビで打ち上げの様子を見ていますが、この様な自然あふれる所にあるとは思いませんでした。館内では、ロケットや人工衛星それに国際宇宙ステーション計画、地球観測、天体・惑星など、宇宙開発におけるさまざまな分野について展示していました。

 鉄砲伝来の碑は、1543年(天文12年)島の最南端にある門倉岬に一隻の船が漂着し、乗っていた3人のポルトガル人が我が国に始めて鉄砲を伝えたところです。岬の展望台では、船の形をした施設がありそこから島の周辺を眺めることが出来ました。私は、この歴史的な場所に立ち遙か昔にポルトガル人が漂着して鉄砲を伝えた所と知り、何故か感激してしまいました。

■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス タクシー JALグループ

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