2006/05/23 - 2006/05/31
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りぼんちゃんさん
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太陽のポンペイ、暑いポンペイ、歩くポンペイ、
ポンペイはヴェスビオス火山によって火山灰に埋め尽くされ、ブルボン家のカルロ王の命令によって発掘が始まったようだ。
噴火は西暦79年8月24日、発掘が始まったのが1748年、だから258年も続いているのだから、驚く。
個人旅行だから詳しいことはさっぱり解らなかった。
日本でポンペイ展を見に行ったり、いろいろな方の旅行記を見て少し知ることができた。
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-
ヴェスビオス火山と遺跡
暑い〜〜〜!
ペットボトルの冷たいお茶が飲みたい!
イタリアにはなぜか冷たい飲み物があまりない。
アランチャスプレムータとグラニャータカフェ?くらいしかないようだった。
アイスコーヒーが恋しい。
カキ氷が食べたくなった。
それほどの暑さだった。 -
ポンペイの遺跡は見ごたえがあった。
発掘の方法も進化していて、今では亡くなった瞬間をとらえることができるセメントを注入する方法でしている。だから、そのときの瞬間の様子を知ることができ、思い描くことができる。
あの遠くの美しい山が噴火しようとは思っていなかったのだろうか?
非難しようと入り口付近でサーズ?で瞬時に息絶えてしまった人も多い。
私たちの想像を超え金銀の装飾は高度な技術とデザインがされている。家の装飾も彫塑も立派だった。
(日本のポンペイ展、ナポリの国立博物館の特別展の銀製品の展示から。)
とても広くて歩き疲れた。
コロコロ夫婦はお昼を食べる時間もなかった。
6月には日傘、帽子をお忘れなく!
水分も! -
球戯場?だったかしら。
-
メインストリート。
石畳はわだちのあとが残っている。
水のみ場や道しるべ、日時計などがある。
街には浴場、パン屋、洗濯や、お屋敷、etc.があり、奴隷、庶民、高貴な人達が住んでいたという。おおよそ、5人にの内2人が奴隷だった割合になる。 -
ベスビオス火山。
ポンペイの遺跡の中、数々の遺跡を見て廻ったのに、
あまりの暑さに写真をほとんど撮っていないことに今気がついた。 -
その後、渋谷へポンペイ展を見に行った。
この狭い空間からポンペイの遺跡を知るには無理がある。
しかし、装飾品や硬貨を見て高尚な生活をされていたことがよく解った。ポンペイの遺跡では見られないものばかりだった。 -
急いでレンタカーを空港営業所に返して、マイクロバスに空港まで乗り、空港からリムジンバスでナポリ駅に行き、ローマ行きの電車に乗り込むことができたのは夕方だった。
王様は乗ると同時に爆睡していた。
レンタカーで770キロを一人で運転して疲れたのだった。
私は向かい合わせに座ったイタリア青年達の話が面白くて2時間わからないながらおなかを抱えて笑った。
この電車は飲み物がサービスだった。
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