兵庫旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2006年7月6日<br /><br />久々に渡る明石海峡大橋。<br />私はハンドルを握りながら、ついつい昔を思い出すことになる。<br />この橋には、思い出がぎっしり詰まっているからである。<br /><br />私の記憶に誤りがなければ、淡路島を通って本州と四国を鉄道で結ぼうとする具体的な動きは、私が国鉄に入社した昭和28年(1953年)ころに始まった。<br /><br />今から50年以上も前のことである。<br />この世界の注目を浴びる大プロジェクトは、多くの若者の夢を呼び、挑戦の意欲を高めるに十分だった。<br /><br />橋の構想は、昭和10年代、あるいはもっと以前から、かなり議論されていたようだ。<br />しかし日本の国力がそこまでに至らず、さらに橋は爆撃に弱い問題もあって、具体的な動きには至らなかった。<br /><br />明石海峡線は、まず鉄道敷設法の「建設予定線」に編入された。<br />当時の制度では、この法律の「建設予定線」でなければ、鉄道は造れないルールになっていたのだった。<br />明治から大正に至る、鉄道建設過当競争時代の名残だ。<br /><br />まもなく、1955年から調査が開始される。<br />次いで、道路も一緒に橋に乗せたらどうかと言われ始め、道路の調査予算も、1959年からつき始めた。<br /><br />私がヨーロッパ勤務から帰国して、建設局調査役となり、この仕事に直接かかわり始めたのは、1971年である。<br />当時は国鉄部内に赤字線区の建設反対が強く、明石海峡大橋は赤字線の最たるものだった。<br /><br />

淡路島は花の国【1】明石大橋には思い出が詰まっている

1いいね!

2006/07/06 - 2006/07/06

20706位(同エリア23105件中)

0

10

片瀬貴文

片瀬貴文さん

2006年7月6日

久々に渡る明石海峡大橋。
私はハンドルを握りながら、ついつい昔を思い出すことになる。
この橋には、思い出がぎっしり詰まっているからである。

私の記憶に誤りがなければ、淡路島を通って本州と四国を鉄道で結ぼうとする具体的な動きは、私が国鉄に入社した昭和28年(1953年)ころに始まった。

今から50年以上も前のことである。
この世界の注目を浴びる大プロジェクトは、多くの若者の夢を呼び、挑戦の意欲を高めるに十分だった。

橋の構想は、昭和10年代、あるいはもっと以前から、かなり議論されていたようだ。
しかし日本の国力がそこまでに至らず、さらに橋は爆撃に弱い問題もあって、具体的な動きには至らなかった。

明石海峡線は、まず鉄道敷設法の「建設予定線」に編入された。
当時の制度では、この法律の「建設予定線」でなければ、鉄道は造れないルールになっていたのだった。
明治から大正に至る、鉄道建設過当競争時代の名残だ。

まもなく、1955年から調査が開始される。
次いで、道路も一緒に橋に乗せたらどうかと言われ始め、道路の調査予算も、1959年からつき始めた。

私がヨーロッパ勤務から帰国して、建設局調査役となり、この仕事に直接かかわり始めたのは、1971年である。
当時は国鉄部内に赤字線区の建設反対が強く、明石海峡大橋は赤字線の最たるものだった。

  • 淡路SAからの眺め

    淡路SAからの眺め

  • 橋を吊り支える<br />大きなケーブルの断面

    橋を吊り支える
    大きなケーブルの断面

  • ケーブル断面の拡大写真

    ケーブル断面の拡大写真

  • 淡路SAの展望台<br />対岸は本州

    淡路SAの展望台
    対岸は本州

  • 淡路SA

    淡路SA

  • 海峡は船の往来が激しい

    海峡は船の往来が激しい

  • 展望を楽しむ人々

    展望を楽しむ人々

この旅行記のタグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP