![先輩の心がこもる明治村【2】<br />土川元夫は、愛知一中から四高に学び、京大を経て名古屋鉄道社長となった。<br />四高時代は剣道をやり、この時代四高は、全国制覇を二度遂げている。<br /><br />谷口吉郎とは同じ年齢だが、理科と文科なので、四高では別のクラスだっただろう。<br />お互いに親交があるとすれば、剣道部か寮が一緒だったに違いない。<br /><br />明治村で、私が最初に目指したのは、四高にあった階段教室だった。<br />この教室は、実験が伴う、物理と化学の講義に使われていた。<br /><br />物理のT先生は声が大きく、教室の外からも聞こえるほどだった。<br />化学のF先生は対照的に静かな話しぶりで、それでいて内容はきわめて明晰だった。<br /><br />これらの先生は、学問への情熱が体にほとばしり出ていて、私に学ぶ楽しさを教えてくださった。<br />どれほどその授業が、待ち遠しかったことか。<br /><br />階段教室の外に「ドッペリの松」と呼ばれる、一本の松の木があった。<br />昔ある先輩が落第を悲しみ、この松に首吊りをして死んだとの伝説がある。<br /><br />旧制高校では、ドイツ語を学生語に使った。<br />「メッチェン(娘さん)」、「ダンケ(有難う)」などとともに、「ドッペリ(落第)」なる言葉があったのだ。<br /><br />同じ学年で一回の落第は、喜ぶべきことと捉えられていた。<br />人生の寄り道は貴重な経験であり、とくに青春時代の自由な一年は何物にも代え難い上、友人が増える。<br /><br />しかし、二度続けての落第は、退学と決められていた。<br />首を吊ったこの人は、二度続けての落第だったのだろう。<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/06/85/650x_10068506.jpg?updated_at=1148338906)
2006/05/16 - 2006/05/16
1199位(同エリア1355件中)
片瀬貴文さん
先輩の心がこもる明治村【2】
土川元夫は、愛知一中から四高に学び、京大を経て名古屋鉄道社長となった。
四高時代は剣道をやり、この時代四高は、全国制覇を二度遂げている。
谷口吉郎とは同じ年齢だが、理科と文科なので、四高では別のクラスだっただろう。
お互いに親交があるとすれば、剣道部か寮が一緒だったに違いない。
明治村で、私が最初に目指したのは、四高にあった階段教室だった。
この教室は、実験が伴う、物理と化学の講義に使われていた。
物理のT先生は声が大きく、教室の外からも聞こえるほどだった。
化学のF先生は対照的に静かな話しぶりで、それでいて内容はきわめて明晰だった。
これらの先生は、学問への情熱が体にほとばしり出ていて、私に学ぶ楽しさを教えてくださった。
どれほどその授業が、待ち遠しかったことか。
階段教室の外に「ドッペリの松」と呼ばれる、一本の松の木があった。
昔ある先輩が落第を悲しみ、この松に首吊りをして死んだとの伝説がある。
旧制高校では、ドイツ語を学生語に使った。
「メッチェン(娘さん)」、「ダンケ(有難う)」などとともに、「ドッペリ(落第)」なる言葉があったのだ。
同じ学年で一回の落第は、喜ぶべきことと捉えられていた。
人生の寄り道は貴重な経験であり、とくに青春時代の自由な一年は何物にも代え難い上、友人が増える。
しかし、二度続けての落第は、退学と決められていた。
首を吊ったこの人は、二度続けての落第だったのだろう。
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