2006/02/17 - 2006/02/17
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マキタンさん
神田明神と湯島聖堂を訪ねました。
神田神社は天平2年(730)創建とあり、すでに1,270年以上の長い歴史を有するそうです。時宗の真教上人が将門公を祭神として合祀しました。徳川家康は将門公を深く尊崇して当社に神領を寄進しました。元和2年(1616)には江戸城の表鬼門にあたる現在地(千代田区外神田)に移転し、江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれました。 明治を迎えると東京を代表する神社として厚く敬われてまいりました。
しかし大正12年の関東大震災により社殿はじめ社宝等を失いましたが、昭和9年当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗り権現造の現在見ることのできる社殿が造営されました。
また平成7年より始まった御造替事業により社殿他建物全てが美しく塗り替えられ、江戸総鎮守としての面目を一新しました。
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鳥居に掲げられた神田神社の額。
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朱塗りの山門は威容を誇る。
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御造替事業により建物全てが美しく塗り替えられた。
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東国の名将。平将門が祀られている。江戸城の鬼門を守る役割も果たした。
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元和2年(1616)には現在地に移転。昭和9年鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗り権現造の社殿が造営された。
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大己貴命(大国主命・だいこくさま)の像。国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳が・・。
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少彦名命(恵比寿・えびすさま)の像。
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野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公の碑。、縁りの明神下を見下ろす地に、石造り寛永通宝の銭形の中央に平次の碑が建立された。
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老舗の茶店・・天野屋。甘酒や味噌・納豆が名物。
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喫茶店の傍らで紅梅が咲く。
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淡い梅が咲き出した。丸窓障子からの光が暖かい。
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「明神甘酒」は“生きている自然の甘味”だ。天然の創業当時からの土室(むろ)より作り出される糀をもとに、生成し熟成を待って作り上げられたもの。
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骨董品が生きる空間。老夫婦が昔の話をしていた。
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昌平とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって孔子の諸説、儒学を教える学校の名前とし、それはその地の地名にもなった。
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史跡:入場無料で 午前9時半〜午後5時(冬季4時)公開されている。
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徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建。その後、幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設した。
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湯島聖堂の案内図。3ヶ所から入れる。御茶ノ水駅に近いが静かな地域だ。
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孔子像。永く東洋道徳の規範(きはん)となった『論語(ろんご)』は、孔子の言葉を後から弟子が集めたもの。
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大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失した。
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昭和10年(1935)寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建。現在の湯島聖堂の保存修理工事が、平成5年(1993)3月竣工した。
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孔子廟を見上げる。湯島聖堂の中でも大成殿のみを聖堂というようだ。
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1935(昭和10)鉄筋コンクリートで再建されたとはいえ、名前も「大成殿」。青雲(せいうん)の志(こころざし)をいだいた青年が集(つど)ったところ。
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昌平坂にある湯島聖堂・大成殿。この内部は土,日曜,祝日のみ公開される。扉は閉ざされていた。
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鴟尾(しび))やシャチホコ(鯱)とは異なる、鬼ギン頭(きぎんとう)。水がたっぷりあるから火は近寄らない方がいいぞ、魔除けの屋根飾りとのこと。
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聖橋(ひじりばし)。湯島聖堂とニコライ聖堂との間に架けられた橋。中央線が川を渡っていく・・。
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