2006/01/17 - 2006/01/17
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tsunetaさん
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1月17日、増上寺の直ぐ近くにある青松寺を訪問した。
家康公の崇敬と援助により、麹町にあった青松寺が現在の愛宕山南の丘陵地である場所に移された。 詳細は下記の通りである。
現在の寺は関東大震災で灰燼に帰したために昭和に入ってコンクリートで建てられたものである。
写真の通り、森ビルの愛宕山ヒルズとフォーレストヒルズの近代的な高層ビルの間にある垢抜けた寺であった。
【青松寺】
萬年山青松寺は、文明8年(1476)に太田道灌が雲崗舜徳大和尚を開山に招き建立したといわれる、武蔵越生の龍隠寺の末寺である。当時は豊島郡(麹町)貝塚にあったので「江戸貝塚青松寺」とも呼ばれていたという。
大永4年(1524)に兵火により灰燼に帰すが、のちに天文年間(1532〜1555)に再建され、その後、関東入りした家康公の崇敬は厚く、天正19年(1591)11月に豊島郡貝塚のうち、寺領22石を寄進している。これにより青松寺発展の基礎がつくられた。慶長5年(1600)には江戸城の外堀をつくる際に、増上寺とともに愛宕山南に続く丘陵の現在地に移した。又、寛永13年(1636)11月には3代将軍家光が豊島郡渋谷村内に寺領22石の朱印状を発給している。
青松寺は、江戸時代には曹洞宗江戸三ヶ寺の1つに数えられるほどの大寺院であり、安芸藩主浅野家、長州藩主毛利家、土佐藩主山内家などの諸藩の江戸における菩提寺として栄えた。しかし、これらの大名家の墓所は現在はなくなっている。
大正12年(1923)の関東大震災では堂塔が灰燼に帰した。現在の青松寺の建造物は最近、再建されたコンクリート製のもので、高層ビルに挟まれた境内には樹木が少なく、明るく感じる寺である。
*写真は万年山青松寺
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