2005/11/27 - 2005/11/28
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SUR SHANGHAIさん
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ハンブルクでの親戚のお見舞いを終え、ベルリンに車で向ったSUR SHANGHAIとその旦那。
ここから先は、今回はお付き合いで訪れるベルリン。
最初の一日はSUR SHANGHAIにとっては自分だけの時間。
これまでに何度か来たことのあるベルリンでも、冬は久しぶり。
数年ぶりのベルリンを回って、その現在・過去・未来の一片をまた感じてみたひととき。
この時に見たベルリン市街地の現在・過去・未来を記録しておこうと思います。
表紙の画像は、クリスマス・マーケットと宣伝看板のある町角。これは過去と現在を感じさせる風景。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス レンタカー
-
ハンブルクからベルリンへは27日、夕刻になってからの移動。
アウトバーンA24号線で3時間ちょっと。
途中、ハンブルクから小一時間ほどのZARRENTINという所には、昔西ドイツと東ドイツの境の検問所が。数年前にはこの検問所跡もあったけど、今回は暗くなってからの移動だったので、見つけられず…。
過去は現在に消されたのか?
夕闇が迫る空を背景にした風力発電の風車には、異様な怖い雰囲気がある、といつも思う。 -
この時に借りた車に付いていたカーナビ。
距離や方向を表す基本的なドイツ語が分かる方はお試しください。
行き先の住所を入力すると、矢印と音声で
「○○○m先を右折、○km直進。」などと簡潔に教えてくれます。現代の旅行者の武器。
このおかげで、あとでベルリンに着いた時、初めて行った友人宅も一発で発見。 -
これは、今回の宿になったHOTEL PALACE BERLIN(ホテル・パレス・ベルリン)の部屋。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会や、ベルリンのCITY CIRCLE TOURバスの出発点から徒歩数分。
向かって右隣がインフォ・センターやヨーロッパ・センター、左隣がレンタカーAVISのオフィス、斜め向かいが動物園正門という立地。
有名な巨大デパートKaDeWeへも徒歩圏内。
最寄り駅はZOOLOGISCHER GARTEN(動物園)駅。
このホテルは表からは分かりませんが、旧館と新館が続いています。
旧館のほうは廊下が狭くて薄青い模様のカーペット。
新館のほうは幾何学模様入りの赤いカーペットのある広い廊下。部屋や浴室は旧館の部屋より広くモダン。
部屋にもよるかもしれませんが、新館のほうがお勧めです。
画像の部屋は新館のツインです。
所在地:BUDAPESTER通り 45
http://www.palace.de/englisch/index.php 英語版 -
この時工事中だったホテル・パレス・ベルリン前の道には、目隠しも兼ねた宣伝看板。
音響グッズも日々変わり行く現在。
むか〜しは、ソノシートなんてぺらぺらのレコードがあったのを見た覚えがあるSUR SHANGHAI。
それからLPやSP、カセット・テープの時代を通って、CDが出来たのもついこの間のような気がするけどなあ。 -
まだ12月前でも、もうクリスマス・マーケットが市内のあちこちに。
クリスマス・マーケットはドイツ語だとWEIHNACHTSMARKT(ヴァイナハツ・マルクト)と言います。
うんと大きいマーケットだけではなく、ちょっとした町角のスペースに出る程度の大きさのものもありますよ。
夜が1番短くなって寒さも募る時期、クリスマス・マーケットは人々に活気を与えてくれるイベントにもなっているんだと思います。
この時は時差ぼけのせいもあって、朝早い時間に外に出てみたけど、この時間帯のクリスマス・マーケットはまだ開店前。
自転車通学?出勤?の人がやって来る道の向こうには現代美人の大看板。 -
通勤通学の人が増え始めると、クリスマス・マーケットにお店を出している人も店開きの品を運んで来る時間。
-
ホテル・パレス・ベルリンから歩いて行けるカイザー・ヴィルヘルム記念教会は、これまでにも何度も目にした場所。
1891年〜1895年にかけてドイツ帝国を記念して建てられたこの教会も、第2次世界大戦中の1943年には幾度も空襲を受けて今の姿に。
戦後になってからは撤去する話も出たようですが、戦争の悲惨を忘れないようにと残されたのだとか。
今はそのボロボロの外見から、≪虫歯≫と言うあだ名も付いているんだそうですよ。
その下に出ていたクリスマス・マーケットの乗り物も、もう古いスタイルだな〜と思わせる。
ただいま営業前の調整中。 -
ホテル・パレス・ベルリンお隣の観光インフォ。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会からだと、教会下の広場を通って動物園へ向かうブダペスター通りの道筋にあり、徒歩で数分。ヨーロッパ・センターの下。
午前10時から営業で、観光資料、ベルリン関連の書籍(日本語版もあり)、旧東ドイツ製の車のミニチュアなどのお土産のほか、イベント関連チケットも扱っていました。
そこで見つけたのは…、 -
…ベルリンのシティ・サークル・ツアーなるもの。
注:下記の情報は、05年11月下旬現在のものです。
シティ・サークル・ツアーは、19ユーロで市内14ヶ所をバスで回るというツアー。
好きな所で降りて、見学が終わったらまた次のバスで先へ進む仕組み。(各地の見学料は別途支払います。)
上の画像でご紹介した観光インフォで引換券を買って、試しに乗ってみることに。
始発のバス停は、この画像背景のカイザー・ヴィルヘルム記念教会そばのKURFUERSTENDAMM通りとRANKE通りの角。
そこに停まっているこんな車でもチケット購入可。
観光インフォで買った引換券はここでチケットに換えるようになっていました。 -
SUR SHANGHAIもシティー・サークル・ツアーのバスでベルリンをちょっと見て回りました。
画像のような黄色い二階建てバスで、後ろに写っているのがカイザー・ヴィルヘルム記念教会です。
バス内では日本語のオーディオ・ガイド付きでしたが、あとから付け足した(?)部分が英文交じり。
05年12月31日まで有効の資料では、冬季は10:00から10〜30分おき、夏季は10:00から10〜15分おきと言うことでした。
ちょっと不便だったのは、各停留所にこのバスのマークの入った標識が無かったこと。
自分がどこで降りたのかを覚えておかないと、次に来るバスを逃してしまいそうなのでご注意。
チケットは乗り込むたびに提示しなければならないので、失くさないように。 -
ユダヤ人の歴史を追う博物館 ≪JUEDISCHES MUSEUM≫にはまだ行ったことが無かったので、シティー・サークル・ツアーのバスを降りて見学。
博物館の外観は、周囲の建物と同じようなクラシック。
でも、中は思いがけなくモダン。
注:下記は05年11月下旬現在の情報です。
所在地:LINDEN通り9−14
入場料:常設展のみだと5ユーロ。その時々の特別展もよくあるようなので、チケットを買う際にお確かめください。
開館日:毎日10:00〜20:00
フラッシュを使用しなければ、撮影OK。 -
≪JUEDISCHES MUSEUM≫は、その名のとおり、ドイツを含むヨーロッパのユダヤ人の歴史を時を追って紹介して行く博物館。
過去の中の過去を振り返ってみると、平和だった頃のユダヤ人家族の写真が印象的。 -
時は巡り、ユダヤ人迫害の時代の資料を展示したコーナー。
過去から現在に向かって順々に展示しているようでも、未来への警告も含まれる内容。 -
ユダヤ人が胸に付けなければならなかった黄色いダビデの星を作るためにプリントした布地。
切り抜く前の布地のままの物は初めて見た。 -
やっと訪れた解放。
収容所に収容されていたユダヤの人々のこの時の喜びを想像すると胸に迫るものが。 -
≪JUEDISCHES MUSEUM≫では、意外な物も発見。
これは1946年に上海で結婚したユダヤ人の結婚証明書。漢字で書かれているのが不思議な感じ。
そう言えば、上海にはユダヤ人が多く住んでいた地区が夜景で有名な外灘からそう遠くない所にあったっけ。 -
≪JUEDISCHES MUSEUM≫を巡っているうちに、過去の重さに息苦しくなってきた。
-
外に出て胸につかえたようなものを深呼吸で吐き出す。
息が白い。
また雪が降り始めた街角。
現在の気温の低さと過去を示す展示内容の重さが胸に残る。
こうなったらもう、もっと過去を見てやろう。 -
第2次世界大戦後のベルリンが分割されていた時代、旧ソヴィエトとアメリカ境界線の検問所があったフリードリッヒ通りに徒歩移動。
シティー・サークル・バスも≪JUEDISCHES MUSEUM≫のあとにここに停まるけど、寒空の下では待つよりも歩いたほうがはやい距離。
これは旧ソヴィエト側から見た境界線。検問所を復元した小屋がある。
その前に立つクリスマス・ツリー。 -
上の境界線すぐそばに≪ベルリンの壁≫関連の歴史を示す博物館 ≪HOUSE AM CHECKPOINT CHARLIE≫が。
もう何年も前に行った記憶があるけど、また見学。
ベルリンの壁の歴史に関連して、旧東ドイツから旧西ドイツに脱走した人々の苦心を物語る展示が印象的。
車やボートの中に隠れて脱出した様子なども再現されています。
内部は撮影禁止なので、画像は無し。
赤い服を着た人が立っている所がその入り口。
注:下記は05年11月下旬現在の情報です。
≪HOUSE AM CHECKPOINT CHARLIE≫への最寄り駅はUバーン2号線、6号線のSTADTMITTE駅、または6号線のKOCH通り駅。
ウンターデンリンデンがフリードリッヒ通りと交差する所から1kmちょっとなので、そちら方面からの方は徒歩も可能。
シティー・サークル・ツアーのバスもここで停まります。
所在地:FRIEDRICH通り43−45
開館日:毎日9:00〜22:00
入場料:9.5ユーロ
チケットを買って入場するとクロークやロッカーがあるので、お荷物はそちらへ。 -
≪HOUSE AM CHECKPOINT CHARLIE≫へは間違えてここから入る人が多いけど、これは出口とお土産屋さん。
歴史資料となる写真集や、ベルリンの壁の一部などもあるので、寄ってみるのもよし。 -
上記の≪HOUSE AM CHECKPOINT CHARLIE≫の周辺地図。
≪HOUSE AM CHECKPOINT CHARLIE≫を出て右手にあるZIMMER通りを左折して数分行くと、残存するベルリンの壁が屋外博物館になっているので、ここへもどうぞ。
画像左下に英語でもTHE WALLと書かれてある所がそうです。 -
ベルリンの壁は今も市内に数ヶ所残っている。
この壁は、上の地図のコメントにも出した場所。
≪HOUSE AM CHECKPOINT CHARLIE≫を出て右手にあるZIMMER通りを左折して徒歩数分。
ここで見える壁の向こう側の下は、ベルリンの壁や過去を振り返る屋外博物館になっています。
無料でも、冬はその寒さで訪れる人は少ない場所。 -
上の画像でちょっとコメントを付けた屋外博物館。
今も残るベルリンの壁の一部が、屋根を付けた展示部分の上に見えています。
ベルリンの壁の始まりは、東ベルリンから西ベルリンへ人々が流出するのを防ぐため、当時の東ドイツが1961年8月13日にまずは鉄条網で東西ベルリンの間を遮断したのだそう。壁はその2日後から造り始めたとのこと。
東ベルリンとの境界線上だけではなく、西ベルリン周囲を合わせると150km以上にもなったのだとか。
壁を越えて東から西への脱出を図った人々は国境警備隊によって射殺されたなどの悲劇も多数あった場所。
一時期は地雷まで仕掛けられていたというのには驚き。
その後、1989年には社会主義が弱体化したなどの理由で11月9日には壁が崩壊。
この日の報道を見聞きして、目頭が熱くなった人も多いのでは。
そして、東西ドイツは1990年10月3日に統一された、と言うのも現代の歴史では大きな出来事だった。 -
屋外博物館の壁の一方の端には、ここを管理するプレハブのオフィス。
その裏手ではその時々の展示があるようです。
寒い中、何人か熱心に見ている人たちがいた。 -
これを読んだり見たりした人たちの気持ちが、未来の平和に繋がりますように。
現在見られる過去の出来事が、未来の教訓になって欲しい、と願う。 -
シティー・サークル・バスではもっとほかの所にも寄りたかったけど、こっちの都合で時間切れ。
後はホテル方向に戻るべく歩く道筋。
その途中で見かけたマネキン。
灰色の寒さの中、着ているドレスの赤が映える。 -
重々しい気分になって、ホテル近くまで戻ってきたSUR SHANGHAIを
「お疲れさん!」
と両手を挙げて迎えてくれた、ベルリンのシンボルのクマさん。
ひしと抱き合うことは無かったけど、この顔に癒された歴史訪問の一日。 -
まだ午後4時を過ぎたばかりなのにこんなに暗い。
旦那との約束の時間までちょっと間が空いたので、またカイザー・ヴィルヘルム記念教会にちょっと寄ってみると、ライト・アップが始まって…、 -
…朝見た時とは違って、程よい客の入りになったカイザー・ヴィルヘルム記念教会周辺のクリスマス・マーケット。
今朝見た現代美人が、ライトの中で妖艶な笑いを浮かべる。 -
仕事帰りらしい人たちが、クリスマス・マーケットの屋台に集まって来ていた。
これは赤ワインに砂糖とシナモンなどのスパイスを入れて熱くした飲み物GLUEHWEIN(グリュー・ヴァイン)と焼きソーセージの屋台。
ドイツの赤提灯的な雰囲気。 -
ソーセージも好きだけど、SUR SHANGHAIがこの日買ったのは≪SCHMALZKUCHEN シュマルツ・クーヘン≫というお菓子。
パンケーキ風の生地を指先でつまめる大きさにして油でさっと揚げたもの。
上に雪に見立てた粉砂糖もたっぷり。
この甘さと熱さを歩きながらつまんで、この日の歴史の旅は終わり。
明日からはお付き合いのベルリン巡り。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- fairyさん 2005/12/27 10:42:25
- 変化するベルリン
- はじめまして、SUR SHANGHAIさん!
ベルリン、10年ほど前は大好きな街でした。
チェックポイントチャーリー、すごく懐かしいです。
ビデオが流れていて、思わず涙してしまったのを覚えています。
元西側と元東側の街並みや雰囲気がぜんぜん違って、壁一枚で本当に世界が違っていたと実感しました。
今は元東側もかなり街並みが変わってきたそうですね。
当時は元東ベルリン側のミッテというエリアの古い建物と若い新しい文化との混沌とした雰囲気が大好きでしたが、今はどんな雰囲気なんだろう。
懐かしく拝見させていただきました。
ありがとうございます!
また遊びに来ます〜(*^^)
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2005/12/27 23:52:18
- RE: 変化するベルリン
- はじめまして。(*^_^*)
私がベルリンを最初に訪れたのは、壁崩壊直後のことでした。
あの当時は本当に東西の違いがくっきりと分かれていました。
その後も何度か訪れましたが、だんだんにあの頃の面影が薄れていますね。
だからこそ、こういう博物館が大きい意味を持つと思います。
自分が生きているのと同時代に大きな変化があった所は、これからの変化も自分の目で見られるという点が興味深いですね。
長々と書いてしまいました。すみません。
よいお年をお迎えください。(*^_^*)
- fairyさん からの返信 2005/12/28 01:43:09
- RE: RE: 変化するベルリン
- >自分が生きているのと同時代に大きな変化があった所は、これからの変化も自分の目で見られるという点が興味深いですね。
そうですね〜!
変化したベルリンをいつかまた自分の目で見てみたいです。
SUR SHANGHAIさんも、ステキな新年をお迎えください(*^^)
-
- ai_worldtravelさん 2005/12/27 04:29:16
- 私もいつか・・・。
- 私もいつかベルリンに行ってみたいと思ってます。
この前、ドイツに行った時に日本から買ってきた「アンネの日記」を
ちょうど読んでたんです。
その時代の話だと思って買ってきたら、
ホントに「日記」だったんですけど・・・。
でも、普通の女の子だったのに、ユダヤ人だと言うだけで迫害されて
隠れ家での生活・・・。
人々が忘れちゃいけない歴史ですよね。
私も旧東西ドイツの国境に立った事あります。
見張りの塔が残ってました。
寂しい所で塔だけでしたけど、あの場所は忘れられません。
今の平和な幸せが続けばいいと思いつつ、
でも戦争してる国も貧しい国もあって・・・。
ちょっと考えさせられました。
ご挨拶に来たつもりが長くなってしまいましたが、
ステキな年末年始をお過ごしください。
Ai
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2005/12/27 22:19:30
- RE: 私もいつか・・・。
- 旅行はきれいな物だけじゃなくて、その国の影の部分を見る事も大切じゃないかなと思っています。
オランダのアムステルダムにはアンネの家も残っていて、そういう物を見ることによって、運河がきれいなだけの所じゃないんだな〜と気付かされました。
来年も、身になる旅をしましょうね、お互いに。(*^_^*)
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