2005/12/08 - 2005/12/08
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井上@打浦橋@上海さん
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徐家匯は、上海の渋谷と言うか新宿と言うか・・・・そんなところなんです。
いつも賑やかで、人がウジャウジャ。
南京路も人がウジャウジャですが、あそこは地方からの旅行者、海外からの旅行者がウロウロするところです。
徐家匯は若者が多いのです。しかも地元の・・・・。
デパートも数軒ありますし、パソコン関連のデパート・電脳城も2つか3つあります。
これは地下鉄1号線の站もあり、肇嘉浜路・衡山路・華山路・虹橋路・漕渓北路・天鑰橋路と6本の道が集ってる地域だからでしょう。
「徐家匯」の「徐家」とは「徐さん一家の」と言う意味で、「匯」とは水路の集まるところと言う意味です。
徐さんとは17世紀の科学者であり敬虔なカトリック教徒である徐光啓さんのことです。
水路が集まるということは、肇嘉浜路と華山路と漕渓北路が昔、水路だったということです。
水路が集まるところは昔から賑やかだったんでしょう。なんせ南船北馬と言われるように江南地方では船が一番の交通手段だったようですから。
そしてその要所を取り仕切っていたのが徐一族だったということなんでしょう。
徐家匯が徐さんのテリトリーだったと言うことを思い起こさせてくれるコースを散歩してみました。
スポーツ・ホテルの屋上の手摺のない外廊下を決死の覚悟(表現がちとオーバー!!)で歩き回って撮った俯瞰写真、撮ってはダメだと言われながら撮ってしまった聖イグナチオ教会の内部写真をご覧ください。
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我が打浦橋から徐家匯までは、肇嘉浜路を西へまっすぐ3kmチョイ行けば到達します。
肇嘉浜路は昔は水路です。肇嘉浜路の「浜」と言うのは、日本の横浜の「浜」とは違う字です。
横浜の「浜」の元字は「濱」でして、中国語では「ビン」と読みます。肇嘉浜路の「浜」は昔から、この字でして「バン」と読みます。
上海では「浜(バン)」は東西を走る水路を意味してるそうです。
それに対して南北に走る水路は「浦(プー)」と言うそうです。
ですから打浦路も昔は水路だったんです。
ということで、水路だった肇嘉浜路沿いには「橋」の付く地名が多いのです。
打浦橋・大木橋・小木橋・楓林橋・天鑰橋等々です。
我が打浦橋から徐家匯までは数多くの路線バスが利用できます。
私がこの日に利用しましたのは2階建てバス・43路バスです。
写真は、その2階建てバスの2階の最前部の席からの風景です。
もうすぐ徐家匯に着くところです。
前を横切る道は宛平路でして、その向こうには徐家匯公園が見えます。
また、徐家匯の高層ビル群も見えます。
前を行く派手なバスは南浦大橋から余山へ行くバスです。
余山は上海にたった1つだけある山です。山と言っても100mないでしょう。
「余山」の「余」はホントは山垂れの下は「示」です。 -
これが私が乗ってきました2階建てバス・43路です。
この43路バスは、このあとさらに南西部に行きますが、乗客の殆んどがここで降りましたが、
乗り込む人も結構いました。
この後、私はうしろに見えます歩道橋に上がり、徐家匯の風景を写しました。 -
歩道橋から南西方向を写しました。
西亜賓館というホテルがあります。
3星のホテルです。下記をご覧ください。
http://travel.explore.ne.jp/hotel/area.php3?b=sh&c=sh&ar=xujia
その下の看板は「王鴨」でなくて「鴨王」です。
北京ダックの店です。
鴨王に関しては下記をご覧ください。
http://shwalker.com/shanghai/contents/gourmet/200412/shokushin.html
右に見えますガラス張りの球形の建物は美羅城です。
ショッピングセンターです。
「美羅」とは、メトロのことだと思います。 -
歩道橋から西方向の風景です。
真正面に見えるのが東方商厦と言うデパートです。
右に見えますのは港匯広場のオフィス塔です。
左には美羅城の球形ガラス張りの建物が見えます。
真下を走るのが肇嘉浜路の西端です。
右に進む道が虹橋路、左に進む道が漕渓北路です。
今回の散歩は、右の虹橋路を行き、漕渓北路を戻る経路を取ります。 -
歩道橋を降り、虹橋路に向かいます。
正面に見えますのが港匯広場です。
低層の建物がショッピングセンターになってまして、
両脇の高層ビルがオフィス塔になっています。
「港匯」の「港」は香港で、「匯」は徐家匯だと思っていますが、
どうなんでしょうか。
この港匯広場は東側には華山路が、南側には虹橋路が走ります。 -
こちらは東方商厦です。
右側の道が虹橋路で、左側が漕渓北路です。 -
東方商厦の前まで行きました。
紫色のクリスマスツリーが華やか鮮やかです。 -
虹橋路を西に行きます。
実業公寓という90年代初期にできたマンションが左奥にあります。
徐家匯が賑やかになり始めた頃の初期のマンションです。 -
弘基休閑広場と言うレストランが集まったスペースです。
港匯広場の西側の広大な敷地にあります。
この状態は仮の姿であって、いずれはオフィスビルかショッピングセンターか高級マンションが出来るんでしょう。 -
上海市徐匯中学です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
1850年フランスの宣教師が創設した徐匯公学が前身。正式名は、イエズス会創設者の名にちなむイグナチウス公学。宗教色が強く、信者子弟を受け入れ、卒業後は震旦大学などへ進学した。1931年教育局に登記時に現名となり、1953年公立化。1918年竣工のフランスルネッサンス様式の4階建て校舎が現存。
・・・・となっています。 -
徐家匯の長距離バスターミナルです。
弘基休閑広場の西隣にあります。
正式名称は交通大宇徐家匯客運站でして蘇州や杭州などへ数多くのバスが出ています。
詳しくは下記をご覧ください。
「上海・徐家匯の長距離バスターミナル」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10037042/ -
文定路に入ります。
この道は、4・5年前にはありませんでした。
文定路自体は昔からあるのですが、ここまで延びていなかったのです。
小道の両脇にありますのが東方哈曼頓という高級マンションですが、
このマンション開発事業に伴って、この辺の複雑な道が整備され、
2・3年前に文定路1本に統一され、ここまで延びてきたというわけです。
なお「文定」とは徐家匯の父・徐光啓の別名です。 -
これが東方曼哈頓の車両出入り口です。
警備員が多いですね。
こういった警備員の月給はいくらくらいなんでしょうか?
2000元は行ってないと思います、1500元くらいか・・・・。
ところで、東方はオリエントと言うことですが、曼哈頓と言うのはマンハッタンのことなんです。
なんでマンハッタンなのかは分かりませんが・・。 -
文定路沿いにありました不動産屋の窓に貼り付けてありました広告ビラです。
東方曼哈頓の価格は、大体、平米あたり24000元から28000元くらいというところでしょうか。
150?、3房2庁2衛で420万元。「2衛」とはバス・トイレが2つずつ、ということです。
87?、2房2庁1衛で213万元。 -
右奥に立つ屋根つきのビルは、まだ完成していません・・・・と言うより、
4・5年前から工事がストップしています。
外壁が茶色いですが、これはレンガの地肌の色です。
資金がショートして、工事ストップになったんでしょう。
オフィスビルになるはずだったのか、ホテルなのか・・・。
その手前の低いビルと、左の高層ビルは東方曼哈頓です。 -
文定路はまだ続きますが、前を行く南丹路を左に行きます。
-
南丹路に入りました。
すぐ左に見えてきますのが徐光啓公園です。
手前の大きな石には「徐光啓紀念館」と刻まれてます。
石のゲートの向こうには十字架も見えます。 -
公園の中では音楽にあわせて踊ってるグループがいました。
平均年齢60歳以上でしょうか・・・・
皆さん元気ですね。
日本の年寄りは、公園でこんなこと、オッ恥ずかしく、まず、やりませんね。
こちらに背中を向けてるおばさんの着てる服の派手なこと・・・。
ただいま朝の9時7分です。 -
こちらでは太極拳です。
右の芝生で覆われて小山が徐光啓さんのお墓です。 -
鳥篭を持って公園に来る人も多いのです。
この鳥はなんというのでしょうか・・。
イチョウの黄色が鮮やかです。 -
こちらでは、剣を持って、振り回しています。
武道の型を取り入れた踊りのような・・。
師匠と弟子という感じでした。
いや、親子かもしれません。 -
徐光啓公園の東隣にあるスポーツ・ホテルです。
漢字では斯波特大酒店です。
23階建ての3星ホテルです。
どういうわけだか、日本人が多くて、服務員で日本語をしゃべる人もいます。
このホテルの屋上まで行きました。
今回の散歩コースの俯瞰写真を撮るためです -
屋上に来ました。
屋上には外廊下がありまして、そこに上がりました。
真下が徐光啓公園です。
それを恐る恐る撮ろうとしまして、一歩踏み出した私の汚い運動靴が見えます。
運動靴とは・・・・今じゃ、死語でしょうね。 -
これが恐る恐る撮りました、ほとんど真上からの徐光啓公園です。
お墓の小山と十字架が見えます。 -
これが、私が歩きました外廊下です。
手摺がないのです。怖かったぁ〜〜!!
「JVC」の看板が架かってますビルは気象大楼です。
その右斜め向こうのビルは建国賓館です。 -
屋上からの俯瞰写真、まずは西から・・・
ほとんど、東方曼哈頓ですね。 -
3枚組みの真ん中の写真です。
元カトリック系の徐匯中学校とグランド、徐家匯天主堂と、
カトリック色が強い風景です。
周辺のビルも、教会に合わせたのか、屋根つきの建物が目立ちます。 -
東側の写真です。
斜めに走る道は漕渓北路です。
真ん中に見えます白っぽい5階建ての屋根つき建物は聖母院です。 -
スポーツ・ホテルを出まして南丹路を東に行きます。
-
漕渓北路に出ました。
地下鉄1号線・徐家匯站の1番出口です。 -
漕渓北路沿いにある明代科学家徐光啓の銅像です。
徐光啓に関しては下記から引用します。
http://www.tabiken.com/history/doc/J/J104L100.HTM
■1562〜1633(嘉靖41〜崇禎6)中国明時代の政治家。
■キリスト教に入信したことから,西洋科学を学び,
■これを紹介した。
■また『農政全書』のような中国古来の農学者の所説を総合した著書もある。
■彼は字(あざな)を子先,諡(おくりな)を文定といい,上海に生まれた。
■1592年(万暦20)北京で郷試を受け,首席で合格したが,翌年の会議に失敗して,郷里に帰った。
■この帰省中にマテオ=リッチの著した世界地図を見て感激し,南京に出てリッチを訪ね,
■天主教の原理について聞いたが・・・
とあります。
その後、北京で勉学に励み、マテオ・リッチと幾何学原本を共著し、父の喪に服するために故郷の上海に戻ります。上海では、西洋宣教師を迎えて布教に従事させ、この地に有力な信者団が形成される基礎をつくった。南京で発生した天主教迫害にも、積極的に護教運動を展開したそうです。 -
漕渓北路をさらに北へ行きます。
-
徐家匯天主堂の前の広場に着きました。
地下鉄1号線の徐家匯站の3番出口が一番近いようです。 -
徐家匯天主堂は、上海歴史ガイドマップによりますと・・・
1861年建造の旧天主堂の南側に1910年竣工した上海最大のカトリック教会建築。聖イグナチオ新堂。英国人Dodwall設計のフランスゴシック様式の赤煉瓦建築。2500人を収容する堂内の奥行きは79m、幅28m。入り口両端の尖塔の高さは60m。尖塔は文革期に取り壊され、1985年修復。
・・・・・とあります。 -
徐家匯天主堂の内部です。
徐家匯天主堂に入門する際に係員に、写真を写してはダメだと、言われましたが・・・
それは、お祈りに来てる人たちに、フラッシュで驚かせてはいけない、という意味だと理解しまして、フラッシュを焚かなければ、イイかも、と勝手に判断しまして、撮ってしまいました。
なかなか、荘厳ですね・・・・。
私が4年間勉強していました、と言うか、遊んでいたと言うか・・・その大学にも聖イグナチオ教会はありました。ですが、一度も入ったことなかったです。この徐家匯の天主堂も聖イグナチオ教会らしいですが、ここには、もう4度か5度入っています。 -
外に出まして脇から撮ってみました。
この煉瓦の色合い、なかなか味わい深いです。 -
私は中学・高校とミッションスクール、大学もカトリック系の大学でしたが、この像が何なのか分かりません。左上はキリストさんっポイですが・・・・??
-
こちらの建物にも十字架がありますし、それらしい像が4体並んでますので、天主堂関係のものなのでしょう
-
漕渓北路を更に徐家匯中心部に向かいます。
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右に見えてきましたのは聖母院です。修道院ですね。
今は、レストランになっています。
上海老站というレストランです。これに関しては下記をご覧ください。
http://www.shanghai.or.jp/osaka-city/kanchiwan/50chi.html -
東方商厦前の紫のクリスマスツリーが、また見えてきました。
出発点に戻ったというわけです。
向こうに見えますのは上海太平洋百貨店です。
台湾系のデパートのようです。 -
ガッガァーン!!やはり、今は、港匯広場が徐家匯の顔って感じですね。
なかなか風格あります。そして最高のロケーションにあります。 -
中国の・・いや北京の、あるいは上海のどでかいショッピングセンターで驚かされるのは、なんといっても、このような、どうしようもなく無駄な吹き抜け空間があると言うことです。日本人は、こういうこと出来ません。エネルギーの無駄だ、とか、そう言った高尚なところからの見方以前に、こういった贅沢っぽいことは出来ない、と言うか・・・ある意味じゃみみっちさがあるからです。
中国人のこういうところはスケールがでかいというか、大きければイイのだというか、無駄こそ贅沢だ、金持ちなのだと言う意識・・・なんでしょうね。
万里の長城とか、北京の故宮は、それに繋がるんでしょう。 -
やはりですね・・・・・・絶対、夏場の空調費をどうしようもなく無駄使いしてます。
こんな、どうしようもなく無駄な空間も冷房しなくてはならない。そして、上部を見てください・・ガラス張りですよ。直射日光、ドンドン入ってくれ!!ですもん。
思うに、中国人の金持ちにとっては無駄をするってことは、意味を持つことなんでしょうね。
つまり、無駄が出来るのは金持ちであることの証明で、皆さんもこの贅沢な空間で無駄使いをすれば金持ち気分に浸れます・・・っつうことなのかと。 -
港匯広場の地下まで降りまして、地下鉄の連絡口に向かいましたら、コイン・ロッカーを発見しました。コイン・ロッカーは昔、南京路から外灘への地下道にあったことを覚えてますが、誰にも使われずに消えて行きました、その後も、大型スーパーの荷物預けの為のコイン・ロッカーは見かけますが、こういった公共の場所にあるのは見かけたことありません。
現在は、どうなんでしょうか・・・使われているのか・・あるいは、相変わらず、こういうものを信頼する人が少なくて、利用者も少ないのか・・・少なければ、また、無くなってしまうでしょう。 -
このコイン・ロッカーは地下鉄1号線の徐家匯站から行きますと、港匯広場出口の緑の案内板を過ぎた両側にあります。
今日の散歩はここで終わりです。
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この旅行記へのコメント (4)
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- はんなりさん 2007/02/10 11:41:08
- 楽しい〜♪ですね。
- お邪魔します。
わぁ、見覚えのある場所が建物が〜
何回となくお邪魔し拝見させて頂いていますのに
肝心のこちらは見逃していました。
何処見てたんだか全くもう
画像の楽しく詳しいコメントに
行って来てからも充分に楽しめました。
しかしホテルの屋上からの写真は
考えただけで高所恐怖症には・・・冷や汗
沢山の上海散歩をまた楽しませて頂きます。
ありがとうございます。
はんなり
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/02/10 15:27:57
- 街路樹が青々としてる頃
- はんなりさん、どうも。
いつかまた上海に来る気がありましたら、
街路樹が青々としてる頃に是非どうぞ。
そしてフランス租界の街並みを堪能してください。
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- イスカンダル亜力山大さん 2005/12/14 17:33:04
- コメントお待ちしてました
- 井上さん、まいど!
イスカンダル亜力山です。
コメントが入るのをお待ちしてました。
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- イスカンダル亜力山大さん 2005/12/14 17:32:46
- コメントお待ちしてました
- 井上さん、まいど!
イスカンダル亜力山です。
コメントが入るのをお待ちしてました。
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