2005/10/16 - 2005/10/16
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井上@打浦橋@上海さん
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復興公園までジョギングして、我が家で朝飯を食らい、一休みし、上海交通大学に向かいました。
今日は、久しぶりの上海歴史散歩があるからです。
この上海歴史散歩は、5年前の11月5日に第1回があり、この日で第25回です。
今ではメンバーが300人いるとか・・・・。確か第1回目は30人だか40人だったような・・・。
この会は、上海に長く滞在されてます片山さんと言う方のあるサイトの掲示板での呼びかけから
始まりました。
最初に手を揚げましたのが、私でした。
私の出席率は6割前後ですが、その間、イロイロなコースを周り、上海にますます興味が湧いてきたのです。
私の4travelの散歩記録の原点は、この歴史散歩にあるのです。
たとえば、私の散歩記録の第1冊目の「上海の下町散歩・董家渡から文廟・孔乙己酒家まで」も2年前の歴史散歩のコースを辿ったものなのです。
また、私のお気に入りの孔乙己酒家も、3年前の歴史散歩で方浜中路周辺を散歩したあとの打ち上げで初めて連れて行かれまして、大いに気に入ってしまった店なのです。
ということで、片山さんには、感謝感激雨あられ(古い言い回しですね、コレ・・)というところなのです。
-
今日も目的地まではバスで行きます。このバス停は我が家の近くの「打浦路」と言うバス停です。
上海はバスが便利なのです。上海市内、縦横無尽、イロイロなところをくまなく、イロイロな路線が走り回ってますから・・。ただし、地理と路線経路が頭に入ってないとダメですね。面倒くさいだけであって無用の長物となります。
バスに乗りますと、地理も覚えますし、街もよく見えてきます。タクシーだと速すぎますし、視線が低くなりますので、よく見えません。
以上は言い訳であって、ホントはバスはタクシーよりグッと安いから、っていうことです。
今日利用しますバスは806路バスです。このバスは虹橋空港が終点です。4元で行きます。
今日、降りるバス停は・・・・打浦路⇒打浦橋⇒大木橋⇒楓林路⇒呉興路⇒そして、その次の広元路と言うバス停です。
932路は城隍廟(豫園ということです)から龍華鎮を通り龍水南路まで行きます。
733路は盧浦大橋から龍華寺を通り長峰新村まで行きます。
17路トロリーバスは、私の愛用バスです。淮海中路や南京東路、外灘、四川北路へ行くのに利用します。
89路は南浦大橋から上海体育場を通り田林路の西端近くまで行きます。 -
広元路のバス停に着きました。
乗ってきた806路バスです。
このバスは少し小ぶりのバスなのです。
広元路のバス停は天平路沿いにあります。 -
926路は上海体育館から淮海中路、金陵東路走り外灘まで行きます。
320路は夜間バスです。天山路から延安東路外灘まで行きます。
72路は日暉新村(我が家の西南方向近く)から茅台路まで行きます。
920路は宜山北路から淮海中路、人民路を通り中華路に入り中華路をグルッと周り老西門まで行きます。不思議なバスだな・・・。 -
これはまだ天平路です。向こうを横切る道が広元路です。
天平路の昔のフランス名はRoute Prosper Parisです。
漢字での呼び名は姚主教路です。 -
広元路に入りました。
昔のフランス名はRoute Picard Destelanです。
漢字名は台斯徳朗路です。 -
広元路はココで終わりです。
前を行く華山路を渡りますと、広元路は広元西路に変わります。この道は、昔の虹橋路です。つまり、今の虹橋路は徐家匯にぶつかりますが、昔の虹橋路は徐家匯でなく、ここに向かっていたようです。確か、91年に上海に来ました時は、虹橋路は、徐家匯に行ってなかったような記憶があります。
華山路は、今はこんなに広い道路となりましたが、5・6年前は狭い道でした。 -
上海交通大学の正門です。
赤門と呼ばれてるとか・・・・日本人が勝手にそう呼んでるだけなのか、
上海人も、そう呼んでるのか、・・・・その辺は、私には分かりません。
前の道路の華山路は、6・7年前は、もっと狭くて雑然としていました。
また、正門の手前側には小川と言うかどぶ川と言うか、が流れていました。 -
集合時間は9時でしたが、8時15分に着いてしまいました。
獅子の像が両脇にありまして中国っぽいですね。
3年ほど前も、この交通大学を見学したことあります。
その時、散歩途中で一緒だった女性は交通大学で留学生生活を送った女性でした。彼女が上海に留学に行くと、お母さんに伝えた時の話が、面白いのです。
母親:あんた、上海の何ていう大学に留学するの?
女性:交通大学言うところ・・・
母親:あんた、また、どういうつもりなの・・
上海くんだりまで行って、交通整理の
おまわりさんにでも、なるんかい・・!?
この[交通」というのは、日本語が意味する「交通」より、もっと広い意味がありまして、情報とかそういう意味も含んでるんだそうです。
まあ、理工系の大学と言うところでしょう。 -
校門橋となってますね。
つまり、この下に小川が流れていたんです。
いや、流れてたと言うより淀んでた、ですね。 -
なんか由来が書かれてますね。
よく読み取れませんが・・・
最初は木の橋だったようですね、1927年に鉄筋コンクリート造りの現在の姿になったと言うことでしょうか・・・。
下の小川は肇嘉浜という大きな水路につながっていたんでしょう。
肇嘉浜と言う水路は、今は埋め立てられて肇嘉浜路という道になっています。 -
正門からキャンパスの中を写しました。
おじさんの顔も半分、入ってしまいました。 -
集合時間の9時が過ぎ、上海交通大学の正門前で、今日の歴史散歩の説明が始まりました。今日集まりましたのは50人くらいでしょうか・・・・
上海交通大学は、上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
1896年郵伝部大臣盛宣懐が創設した南洋公学が前身。当初の技術科に鉄道科を併設。数度の改名の後、北京の郵電学校などと合併して交通大学となる。日中戦時には日本に占領され、東亜同文書院のキャンパスとなる。
・・・・・とあります。
前の国家主席・江沢民さんは、ココの電気系を卒業してるらしいです。 -
左の光が当たって明るい背を見せてますのが図書館です。
図書館裏の広場には石碑があります。
この石碑は南洋公学にあったものを移設したとか・・。 -
老図書館です。
歴史散歩の資料によりますと・・・・
1919年建造,1996年に100周年記念大改修、交通大学校博物館を新設。・・・・
とあります。 -
大改修されたと言うことですが、ホントかな・・・
いやいや、あまりにも手を加えて、変になるより、この方が、古さが十分感じられて、イイですね。 -
2階に上がりました。
広いバルコニーに向いた大きな窓の後ろから外の光を写しました。 -
広いバルコニーに出てみました。
ライトアップ用のライトがありますね。
この老図書館夜はライトアップされるんですね。 -
バルコニーからキャンパスを眺めました。
緑豊かですね。 -
階段の明り取りの窓です。
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木の廊下も昔のままでしょう。
いい味出してますね。
向こうの看板には、
校史博物館・档案館となってますね。
そうなんです、今は図書館とは名前だけなんです。
蔵書は1985年に完成しました包兆龍図書館に移されたようです。 -
この建物は新中院です。
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この建物は1898年建造の中院です。
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中院と新中院の間の広場にあります船の碇です。
交通大学には造船工学科もあるようですから、
その関連の大型船の本物の碇でしょう。
記念碑として、ココにあるのでしょう。 -
中院、新上院が並ぶ道を行きます。
並木が立派です。 -
中院の外廊下と言うのですか、
そこの柱越しに見た歴史散歩一行と、緑あふれる風景です。 -
広大な緑の庭園と、木陰で佇む学生達・・・。
-
新上院へ向かいます。
-
新上院です。
歴史散歩資料によりますと・・・
1954年、上院老朽化により建増し改造し、新上院と改称。
・・・・となっています。 -
新上院の1階のロビーにあります胸像です。
上海交通大学の前身である南洋公学創設者の盛宣懐です。
この人は、彼自身もそうですが、子孫も日本と関連が深いのです。
盛宣懐の旧居は、元・日本総領事館で現・総領事館公邸になっております。
盛宣懐が当時総経理を務めていました中国の鉄鋼コンビナート・漢冶萍公司が、
当時の官営八幡製鉄への原材料供給源であったらしいです。
その関連で、三井財閥とも関係が深く、その流れから日本総領事館となったんでしょう。
盛宣懐自身はここに住んでいたかどうかは分からないそうですが、子孫は住んでいたとなっています。
その子孫とは、阿片王・里見甫とアヘン絡みで関係のあった盛文頤かな、と思います。
盛文頤は盛宣懐の甥らしいです。盛宣懐も辛亥革命の際日本に亡命したことがあるそうですが、
盛文頤も戦後、日本に移り住んだそうです。
そして、その盛文頤の甥の盛毓度と言う人が、その後、東京・芝に留園という中華料理屋を開店しました。
この留園出店に当たっては新日鐵が出資をしている、ということで鉄絡みの関係が続いていたと言うことなんでしょう。
上海の宝山製綱所の建設に新日鉄が関わったという事は、この流れなのかと、私は想像しています。
盛毓度さんは競馬好きでして、私は20年以上前に、東京競馬場の特別観覧席で何度か見かけたことがあります。
いつも、ホッソリした体を黒い中国風の長衣で包み、フワーッとした感じで目の前に現れました。
お顔は長めで髭を蓄えていましたね。
馬券はロールで買っていたとか・・・つまり百万円、二百万円単位で買っていたんでしょう。
彼は馬主でも有り、彼の馬にはリンリンリュウエン・ランランリュウエンと必ず「リュウエン」が付きました。
ペキンリュウエンもナンキンリュウエンもテンシンリュウエンもいましたがシャンハイリュウエンは居ませんでした。
何故でしょう?理由があります・・・・その理由とは・・?分かった方は私の掲示板に書き込んでください。 -
総弁公庁です。1932年建造。
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体育館です。1925年建造。
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体育館の外廊下の柱越しに見た風景です。
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新建楼です。
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今来た道を戻り、包兆龍図書館の脇を通り、北院に向かいます。
その途中のキャンパスっぽい風景です。
掲示板などもあります。 -
北院に付きました。
レンガ建築がそうです。
その向こうの現在建設中のマンションは匯寧広場と言うらしいです。
まず、交通大学が絡んでるでしょう。
交通大学は不動産業などもしていますから・・・。
その他、製薬業とかいろいろなことをやってるのです。
産学協同の最先端を行ってると言うか、金儲けがうまいというか・・・。
調べてみましたらやはりそうです。
この匯寧広場は上海交大南洋股份公司が開発してるもののようです。
で、この会社の発行株数の43.7%を上海交通大学が所有してるようです。 -
上海交通大学の修学の伝統は「起点高、基礎厚、要求厳、重実践、求創新」であり、
校訓は「飲水思源、愛国栄校」ということらしいです。
北院の前にある記念碑には「飲水思源」と掘り込まれています。
「飲水思源」とは、水を飲むときは、井戸を掘った人のことを忘れるな、ということです。
菅野俊作さんと言う東北大学教授を務めた方が、退職金をほとんど投じて、
中国人留学生のため「思源寮」なる寮を建てたそうです。
彼は戦前、上海の東亜同文書院に学んだそうです。
その書院の校舎・敷地は上海交通大学の今の校舎・敷地だったそうです。
提供を受けたのか、あるいは提供を迫ったのか・・・まあ、後者なんでしょう。
菅野さんは、そのことに対して申し訳ない気持ちが強かったのでしょう。
その交通大学の写真の文字の「飲水思源」から「思源寮」と名付けたそうです。
1998年の江沢民さんが仙台に訪れました。魯迅が学んだ医学専門学校を訪れたのです。
江沢民の歓迎夕食会が行なわれ、菅野さんも出席しました。
菅野さんは自らの胸につかえていたものを吐き出すようにあいさつし、
その翌朝、息を引き取ったそうです。
今日の歴史散歩は、この「飲水思源」で見学は終わり、あとは構内のレストランでの講義となりました。講義が終わったてあとは、そこで引き続き食事会となったんですが、私は予定があり講義が終わった段階で失礼させていただきました。 -
では、ココで東亜同文書院関連の本を紹介します。
1冊目は、私は読んでませんが、西所正道の『「上海東亜同文書院』風雲録』(角川書店)です。
この本は・・・・・
■菅野が学んだ東亜同文書院は、(満州)建国大学や
■ハルビン学院と並んで、大日本帝国の膨張主義の
■刻印を色濃く背負った学校だった。
■そのことを菅野は終生ぬぐえぬ罪と思い、江沢民と
■握手をかわした後、「私は主席が卒業なさった
■上海交通大学の校舎を(日中戦争中)使わせて
■いただいていた東亜同文書院に在籍しておりました」
■と言い、そして、「お許しください……お許しくだ
■さい」と続けたのである。
・・・・と言う出だしで始まるそうです。
思うに、この本には同文書院生に課せられた大旅行も出てくるのかと・・・。
大旅行とは、最終学年生4・5人グループで中国各地を歩きまわり調査記録を残すと言うものでした。それが卒論にもなり、その記録報告は外務省や軍部にも提出されたようです。中には特別な指令によるものもあったのかと思われます。そんなことがあり、同文書院はスパイ養成学校だという見方をする人もいたようです。 -
私は、今年になって西木正明さんのノンフィクションものにハマっております。読んだのは、まずは写真の「夢顔さんによろしく」です。次は「その逝く処をしらず」、そして「ルーズベルトの刺客」。「冬のアゼリア」という本は、まだ手元にありませんが、もうスグ読む積もりです。
いずれも、戦前の上海が出てくるのです。
そして「夢顔さんによろしく」と「その逝く処を知らず」には、東亜同文書院が出てくるのです。
いずれも主人公は東亜同文書院に学んだのです。
「夢顔さんによろしく」の紹介文を転記します。
■近衛文麿の嫡男にして、細川護煕の伯父―日本最高の
■貴公子、近衛文隆は快男児ぶりを発揮。
■アメリカ留学で青春を満喫し、上海では国民党の
■女性スパイとの熱烈な恋と、独自の停戦交渉に
■奔走したが、やがて戦争という過酷な運命が、
■その命までも呑み込んでいく。
■柴田錬三郎賞を受賞したノンフィクション・ノベル
■の金字塔。
この文庫本の写真の左の方が近衛文麿ですが、細川護煕にそっくりですね。右の文隆さんは爽やかスポーツマンという感じです。
近衛文隆の東亜同文書院時代の生活は上巻に出てきます。相当遊びまわっていたようです。 -
下巻は・・・
■シベリアから届いた暗号「夢顔」の謎。
■日本を代表する名家の嫡男はなぜ極寒の監獄で非業
■の最期を迎えねばならなかったのか―万感の思いを
■込めて贈るノンフィクション・ノベルの金字塔。 -
阿片王・里見甫が主人公のノンフィクション物が、
この「其の逝く処を知らず 阿片王・里見甫の生涯」です。
軍から阿片売買を依頼された時、「軍のためにやるのではない。満州国が掲げた建国の理想、五族協和のために敢えて魔道に入る」と里見は自らに言い聞かせるように語ったとか。
里見の東亜同文書院時代の話も出てきまして、大旅行の話にも触れられています。
学校を抜け出し、虹口の六三亭に遊びに行った話も
出てきます。
また、上海交通大学の前身である南洋公学創設者の
盛宣懐の甥である盛文頤は、里見の阿片取引において
重要な役割を果たしますので、度々登場してきます。
盛文頤は阿片中毒者だったらしいです。 -
画像は上海交通大学構内の地図です。
下記を開きますと元画像が確認できます。
http://www.sjtu.edu.cn/intro/campusnav/images/xh001.jpg
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この旅行記へのコメント (4)
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- km45さん 2007/05/08 16:59:24
- 交通大学とは
- 中国で近代的な高等教育機関が創設されたのは、実は清国が日本に敗れた日清戦争がきっかけでした。最初に、1185年に天津に北洋西洋学堂(現天津大学)が、翌年に上海に南洋公学が創設されます。続いて、1998年の戊戌の変法で北京に京師大学堂(現北京大学)が創設され、この前後に各地にも同様な学校が創設されます。いわば、交通大学は中国の近代的な高等教育機関のはしりだったわけです。
この南洋公学が後、中華民国時代に交通大学という名称となり、これが現在でも受け継がれているのです。この「交通」という名称は、現在では交通という意味ではなく固有名詞として使用されています。このことは、交通大学の英語表記が「Jiaotong University」と、「交通」のピンインローマ字表記であることでお分かりでしょう。
では、この「交通」の名称の起こりは何でしょうか。それは北京などにある3校と合併して、中華民国交通部(省)所属の高等教育機関となったからです(中国では国立であっても所属は教育部とは限りません)。これにより、1921年に「交通大学」と名付けられたのです。その後、所属は鉄道部に移管されましたが、名称はそのまま受け継いで、本部を上海に置きました。日中戦争勃発により上海キャンパスなどは接収され、東亜同文書院が入ったことはお書きのとおりです。日本の1945年の敗戦により、奥地に疎開していた交通大学はもとのキャンパスに戻ります。
そして、1949年の中華人民共和国成立後、高等教育機関の再編成により、まず北京鉄道学院(現北京交通大学)と唐山鉄道学院(現西南交通大学)が独立分離されます。上海のキャンパスは交通大学となります。その後、1959年、交通大学は西安と上海の両キャンパスに分離独立し、西安交通大学と上海交通大学が生まれます。台湾で生まれた新竹交通大学を含め、以上5大学が歴史的な固有名詞としての「交通」大学を継承する兄弟校なのです。
ですから、
>この[交通」というのは、日本語が意味する「交通」より、もっと広い意味がありまして、情報とかそういう意味も含んでるんだそうです。まあ、理工系の大学と言うところでしょう。>
の前半の部分は半可知でしょう。が、後半の部分は確かにそうでした。基本的に西洋の近代的技術を学ぶ教育機関として創設された歴史がありますから、理工系を基本とした大学でした。この中に鉄道や造船などの交通関係の専門も含まれていて、これが上海交通大学の造船専攻に受け継がれています。これらのことから、西安・上海交通大学とも清華大学に次ぐ理工系の名門校として中国では広く知られています。でも、近頃は両校とも総合大学化をはかり、総合大学としての地歩を固めつつあります。
なお、簡単な交通大学の沿革は、
http://km45.spaces.live.com/blog/cns!67AC4E09F9CD86BB!115.entry
を参照してください。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/05/08 21:38:39
- ああ、そうだったんですかぁ・・・
- km45さん、どうも。
いやぁ、勉強になりました。
そういうことだったんですか。
興味深かったのは
交通大学の英語表記が「Jiaotong University」と
なってるって言うことです。
北京大学の英語表記が「Beijing University」でなくて
「Peking University」になってるのと、同じなのかもしれません。
まあ、ですが、私のブログは、
薄っぺらで、好奇心だけで書いておりますので
その辺は、お手柔らかに・・・・・。
km45さんが、ココまでご存知なのは、
やはり、昔から、この辺のこと、本やらで
勉強していたということなんでしょうか。
私は、もう、不勉強で、
この時も、歴史散歩の主催者の言われたことを、
そのまま書いただけでして・・・
ご指摘を受け、恐縮しております。
-
- イスカンダル亜力山大さん 2005/10/24 16:50:29
- お馬さんがパッカパッカ走る
- 井上@打浦橋@上海さん、まいど!
シャンハイリュウエンの謎はさっぱり分かりませんが、昨日のお馬さんパッカパッカは如何でしたか?
一番人気はエエですが、100円掛けて100円の配当とはねぇ。
私にはさっぱりワカラン世界です。
ところで、中国の大学って、誰でも勝手にキャンパスへズカズカ入れないと思いますが、、、。
交通大学の赤門の所で、
「ちょった待ったぁ!」
は、なかったのですか?
50人もの大勢さんで行ったら、どさくさに紛れて入ってしまうワケにもいきませんし。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2005/10/25 06:44:04
- 交通大学、一般人入場OKかも・・・
- イスカンダル亜力山さん、どうも。
シャンハイリュウエンの件はイスカンダル亜力山さんのメールボックスに入れておきます。
菊花賞は買いませんでした。
歴史散歩で50人が入場と言うのは、勿論、話が通してあります。
でも、一人でプラッとも、まず、問題なさそうです。
交通大学の学生食堂が、ドデカイんです。
そして、イロイロなタイプの食堂があるんです。
図書館が博物館になってますし、この食堂も一般人OKの
ようでしたので、まず、一般人の入場は問題ないでしょう。
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