1993/05/22 - 1993/06/03
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さすらいおじさんさん
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1993年に初めての東北旅行を経験した。13日間というまとまった休暇が取れたので福島、山形、宮城、岩手、青森、秋田、新潟、富山と回ったが、途中では青森から青函トンネルを通って函館も訪ねた。この旅では各県の歴史文化、自然を知ることと、憧れの旅の俳人・松尾芭蕉が歩いた奥の細道を辿ることも目標だった。
旅の第一歩は福島県の飯坂温泉。1689年(元禄2年)3月27日
「行春や鳥啼魚の目は泪」
の句で見送りに来た弟子達との別れを惜しんだ芭蕉は日光、白河関などを見物し5月2日に飯坂温泉に到着。源義経が奥州平泉の藤原秀衡のもとから、兄頼朝を助けるために鎌倉にはせ参じたときからの家来、佐藤継信・忠信兄弟の菩提寺である医王寺を訪ねている。佐藤継信・忠信兄弟は義経の忠孝の士であり屋島の合戦で継信が義経を守って戦死した場面はNHKの大河ドラマ「義経」でも重要なシーンになっていた。佐藤継信・忠信兄弟の死後義経が平泉に落ちる途中に佐藤の館に寄ると佐藤兄弟の2人の嫁が亡き夫の鎧兜を身につけ、義経を助けたいと申し出た話は美談として芭蕉も感動している。医王寺が宝物にしていた義経の太刀や弁慶の笈を見た芭蕉は端午の節句の5月には、弁慶の笈も義経の太刀も、帋幟(かみのぼり)といっしょに飾って祝ってほしいと次の句を詠んだ。
「笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)」
早朝に訪問した医王寺では檀家と思われる人達が熱心に清掃されていたことが印象に残った。
福島では磐梯吾妻スカイライン観光をし、吾妻小富士に登った。高村光太郎の智恵子抄で詠われた安達太良山は霧で見えなかったが周囲の景観は良かった。五色沼のコバルトブルーも神秘的だ。猪苗代湖では野口記念館が印象に残っている。世界的な医学者、野口英世博士(1876−1928年)の生家があり遺品を展示していた。野口英世を紹介した映画「遠き落日」でも猪苗代湖周辺や英世の生家でロケをしたそうだ。生家には英世が乳児のときに転落し、手に大やけどを負い、医学を目指すきっかけとなった囲炉裏もあった。展示品の中では映画でも紹介していたが、海外で活躍する野口英世に戻ってきてほしいと、たどたどしい文字で嘆願する、母の手紙に感動した。
(写真は五色沼)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
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飯坂温泉駅前の芭蕉像。
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医王寺にある芭蕉の句碑。医王寺が宝物にしていた義経の太刀や弁慶の笈を見た芭蕉は端午の節句の5月には、弁慶の笈も義経の太刀も、帋幟(かみのぼり)といっしょに飾って祝ってほしいと詠んだ「笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)」 の句が刻まれている。
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医王寺周辺の光景。
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時間帯で色が変化する五色沼。
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時間帯で色が変化する五色沼。
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五色沼から流れ出す水流も美しい。
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猪苗代湖畔の野口記念館。世界的な医学者、野口英世博士(1876−1928年)の生家。
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猪苗代湖畔の野口記念館。世界的な医学者、野口英世博士(1876−1928年)の生家の内部。
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吾妻小富士(1705m)の頂上から見る光景。
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吾妻小富士(1705m)の頂上から見る光景。
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吾妻小富士(1705m)の頂上から見る光景。
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吾妻小富士(1705m)の火口。
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磐梯吾妻スカイラインのバスから見るつばくろ谷。
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