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 みちのくは魅力ある作家を多く輩出しており、みちのくを舞台とした文学作品も多い。岩手県で私が長年魅力を感じていたのが民話のふるさと遠野、宮沢賢治ゆかりの花巻、石川啄木ゆかりの盛岡などで数多い。<br />遠野を有名にした「遠野物語」は佐々木喜善の記録を民族学者・柳田国男(1875−1962年)がまとめた民話集で本編に119話、続編の「遠野物語拾遺」に299話を収録している。<br />「遠野物語」の中には、河童、山姥、座敷童等の「もののけの物語」が多いが、アイヌ民族の伝承民話も含まれていると考えられている。遠野三山の一つ早池峰山(はやちねさん・1914m)などの実在の地名を織り交ぜて語られているので実話ではないかと錯覚することさえある。民話は日本中にあるのだが、遠野は明治以降「遠野物語」という文学作品で街おこしをし、遠野ふるさと村、伝承園、遠野昔ばなし村、カッパ淵など民話の世界を誰でも目で確かめられるようにし、美しい原風景も大切に残すことで民話のふるさとのイメージを作り上げた。1982年には養蚕の神「オシラサマ信仰」を織り交ぜ、道ならぬ恋に悩みながらも、愛を貫いた二人の男女が来世で結ばれるという映画「遠野物語」が製作され、近年では早池峰山を背景に他国に行った夫を待ちわびる若妻の心境を長山洋子が歌う「遠野物語」も出され、益々人気の街になった。遠野の街はレンタル・サイクルで回ったが民話のイメージと豊かな自然が調和した街だった。<br /><br />宮沢賢治(1896−1933年)は岩手県花巻市出身の詩人・童話作家で私は子供の頃から「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などの賢次の童話の世界に夢中になっていた。一方、賢治の芸術の根底には、幼い頃から親しんだ仏教、特に後に帰依した法華経による献身的精神があるとされ、それを顕した「アメニモマケズ」は好きな詩で見習いたい精神だ。<br /><br />「アメニモマケズ」<br />雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち 慾は無く 決して瞋らず何時も静かに笑っている 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを自分をかんじょうにいれずによく見聞きしわかりそして忘れず 野原の松の林の蔭の小さな萱ぶき小屋に居て東に病気の子供あれば行って看病してやり 西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにデクノボウと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに私はなりたい<br /><br />花巻−遠野−釜石間は釜石線を利用、釜石からは山田線で井上 ひさし(1934年生 )小説家・劇作家の「吉里吉里人」で有名になった「吉里吉里駅」を通った。井上 ひさしは「ひょっこりひょうたん島」で夢の島を描いたが「吉里吉里人」でも吉里吉里国という独立国を創造、地方自治体が町おこしの一環として実際に独立国家を宣言したことで話題になった。リアス式海岸の陸中海岸国立公園の景観を見ながら宮古を経由し盛岡に入った。<br />盛岡では「啄木新婚の家」を訪ねた。<br /><br />石川 啄木(1886−1912年)歌人・詩人は現在の岩手郡玉山村日戸に生まれ1887年に渋民村(現在の玉山村渋民)に移り、小学校からは盛岡市内に居住している。貧困生活に終始し27年間の短い生涯だったが時代を超えて人々の心に残る珠玉の作品を残した。「一握の砂」の中で母にかけた苦労を思い、泣きながら作ったと言われる<br /><br />「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」<br /><br />は子供の頃に最も強い印象を受けた歌だ。啄木は1905年、長年の恋人堀合節子と結婚し「啄木新婚の家」で父母と妹が同居するという新婚生活をおくる。貧困のため、わずか3週間で引っ越すという状態だったが啄木夫妻にとっては幸せな一瞬だっただろう。この家はほぼ当時のまま現存しており 啄木の書や写真なども展示され新婚夫婦の生活を垣間見ることができた。<br />盛岡は南部富士と呼ばれる雪を頂いた岩手山(2038m)の全貌が見え、北上川、高松池などに山並みが映える美しい街だった。<br />(写真は盛岡から見る岩手山)<br />

日本の旅 みちのく文学を辿る【5】 岩手県,花巻・遠野・盛岡

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1993/05/22 - 1993/06/03

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

みちのくは魅力ある作家を多く輩出しており、みちのくを舞台とした文学作品も多い。岩手県で私が長年魅力を感じていたのが民話のふるさと遠野、宮沢賢治ゆかりの花巻、石川啄木ゆかりの盛岡などで数多い。
遠野を有名にした「遠野物語」は佐々木喜善の記録を民族学者・柳田国男(1875−1962年)がまとめた民話集で本編に119話、続編の「遠野物語拾遺」に299話を収録している。
「遠野物語」の中には、河童、山姥、座敷童等の「もののけの物語」が多いが、アイヌ民族の伝承民話も含まれていると考えられている。遠野三山の一つ早池峰山(はやちねさん・1914m)などの実在の地名を織り交ぜて語られているので実話ではないかと錯覚することさえある。民話は日本中にあるのだが、遠野は明治以降「遠野物語」という文学作品で街おこしをし、遠野ふるさと村、伝承園、遠野昔ばなし村、カッパ淵など民話の世界を誰でも目で確かめられるようにし、美しい原風景も大切に残すことで民話のふるさとのイメージを作り上げた。1982年には養蚕の神「オシラサマ信仰」を織り交ぜ、道ならぬ恋に悩みながらも、愛を貫いた二人の男女が来世で結ばれるという映画「遠野物語」が製作され、近年では早池峰山を背景に他国に行った夫を待ちわびる若妻の心境を長山洋子が歌う「遠野物語」も出され、益々人気の街になった。遠野の街はレンタル・サイクルで回ったが民話のイメージと豊かな自然が調和した街だった。

宮沢賢治(1896−1933年)は岩手県花巻市出身の詩人・童話作家で私は子供の頃から「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などの賢次の童話の世界に夢中になっていた。一方、賢治の芸術の根底には、幼い頃から親しんだ仏教、特に後に帰依した法華経による献身的精神があるとされ、それを顕した「アメニモマケズ」は好きな詩で見習いたい精神だ。

「アメニモマケズ」
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち 慾は無く 決して瞋らず何時も静かに笑っている 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを自分をかんじょうにいれずによく見聞きしわかりそして忘れず 野原の松の林の蔭の小さな萱ぶき小屋に居て東に病気の子供あれば行って看病してやり 西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにデクノボウと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに私はなりたい

花巻−遠野−釜石間は釜石線を利用、釜石からは山田線で井上 ひさし(1934年生 )小説家・劇作家の「吉里吉里人」で有名になった「吉里吉里駅」を通った。井上 ひさしは「ひょっこりひょうたん島」で夢の島を描いたが「吉里吉里人」でも吉里吉里国という独立国を創造、地方自治体が町おこしの一環として実際に独立国家を宣言したことで話題になった。リアス式海岸の陸中海岸国立公園の景観を見ながら宮古を経由し盛岡に入った。
盛岡では「啄木新婚の家」を訪ねた。

石川 啄木(1886−1912年)歌人・詩人は現在の岩手郡玉山村日戸に生まれ1887年に渋民村(現在の玉山村渋民)に移り、小学校からは盛岡市内に居住している。貧困生活に終始し27年間の短い生涯だったが時代を超えて人々の心に残る珠玉の作品を残した。「一握の砂」の中で母にかけた苦労を思い、泣きながら作ったと言われる

「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」

は子供の頃に最も強い印象を受けた歌だ。啄木は1905年、長年の恋人堀合節子と結婚し「啄木新婚の家」で父母と妹が同居するという新婚生活をおくる。貧困のため、わずか3週間で引っ越すという状態だったが啄木夫妻にとっては幸せな一瞬だっただろう。この家はほぼ当時のまま現存しており 啄木の書や写真なども展示され新婚夫婦の生活を垣間見ることができた。
盛岡は南部富士と呼ばれる雪を頂いた岩手山(2038m)の全貌が見え、北上川、高松池などに山並みが映える美しい街だった。
(写真は盛岡から見る岩手山)

同行者
一人旅
交通手段
自転車 JRローカル 徒歩
  • 遠野駅。

    遠野駅。

  • 遠野の伝承園。

    遠野の伝承園。

  • 遠野の伝承園。

    遠野の伝承園。

  • 遠野三山の一つ早池峰山(はやちねさん・1914m)。

    遠野三山の一つ早池峰山(はやちねさん・1914m)。

  • 遠野の常堅寺。

    遠野の常堅寺。

  • 花巻の光景。

    花巻の光景。

  • 花巻駅。

    花巻駅。

  • 釜石駅。 花巻−遠野−釜石間は釜石線を利用した。

    釜石駅。 花巻−遠野−釜石間は釜石線を利用した。

  • 井上 ひさし(1934年生 )小説家・劇作家の「吉里吉里人」で有名になった「吉里吉里駅」。井上 ひさしは「ひょっこりひょうたん島」で夢の島を描いたが「吉里吉里人」でも吉里吉里国という独立国を創造、地方自治体が町おこしの一環として実際に独立国家を宣言したことで話題になった。

    井上 ひさし(1934年生 )小説家・劇作家の「吉里吉里人」で有名になった「吉里吉里駅」。井上 ひさしは「ひょっこりひょうたん島」で夢の島を描いたが「吉里吉里人」でも吉里吉里国という独立国を創造、地方自治体が町おこしの一環として実際に独立国家を宣言したことで話題になった。

  • 車窓から見る宮古の街並み。

    車窓から見る宮古の街並み。

  • 車窓から見る宮古の街並み。

    車窓から見る宮古の街並み。

  • リアス式海岸の陸中海岸国立公園の景観。

    リアス式海岸の陸中海岸国立公園の景観。

  • 盛岡から見る南部富士と呼ばれる雪を頂いた岩手山(2038m)。

    盛岡から見る南部富士と呼ばれる雪を頂いた岩手山(2038m)。

  • 盛岡を流れる北上川。

    盛岡を流れる北上川。

  • 盛岡の高松池。

    盛岡の高松池。

  • 「啄木新婚の家」。父母と妹が同居するという新婚生活をおくる。貧困のため、わずか3週間で引っ越すという状態だったが啄木夫妻にとっては幸せな一瞬だっただろう。この家はほぼ当時のまま現存しており 啄木の書や写真なども展示され新婚夫婦の生活を垣間見ることができた。

    「啄木新婚の家」。父母と妹が同居するという新婚生活をおくる。貧困のため、わずか3週間で引っ越すという状態だったが啄木夫妻にとっては幸せな一瞬だっただろう。この家はほぼ当時のまま現存しており 啄木の書や写真なども展示され新婚夫婦の生活を垣間見ることができた。

  • 盛岡から見る南部富士・岩手山(2038m)。

    盛岡から見る南部富士・岩手山(2038m)。

  • 盛岡を流れる北上川。

    盛岡を流れる北上川。

  • 盛岡の石割桜。盛岡地裁の中にある樹齢300年の桜で周囲21mの大きな花崗岩を割って成長している。

    盛岡の石割桜。盛岡地裁の中にある樹齢300年の桜で周囲21mの大きな花崗岩を割って成長している。

  • 盛岡城跡。

    盛岡城跡。

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