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南部アフリカの人達と接するとき、白人の支配とアパルトヘイト(オランダ語で分離、隔離)の歴史を忘れることはできない。南アフリカは1488年、ポルトガルのバーソロミュー・ディアスが喜望峰を、1497年には同じポルトガルのバスコ・ダ・ガマがナタールを発見した後1652年にオランダ人のヤン・ファン・リーベックがオランダ東インド会社の東洋貿易の中継基地として、ケープタウンに居留地を作っている。その後オランダ人が多く移民し入植地を開拓していったが19世紀の初頭に、喜望峰をインド航路の重要拠点と認識したイギリスがこの地を占領、多くのイギリス人を移民させ南部アフリカを支配した。1833年にイギリス本国で奴隷制度が廃止され植民地である南部アフリカにも適用されると、多くの奴隷労働力に依存してきたオランダからの移民・ボーア人は反発して、新天地を求めてケープ地方から北方へ大移動した。1838年にナタールでズールー族(先住民の一部族)との「血の戦い」の後ナタール共和国を建国するもイギリス軍の追撃に敗れ、さらに内陸に移動。1852年にトランスバール共和国を、1854年にはオレンジ自由国を建国しイギリスに承認させたがオレンジ自由国でダイヤモンド、トランスバール共和国で金鉱が発見されると、イギリスが進出し占領。1880年、1899年にはボーア人が蜂起するが1902年にイギリスの勝利で終結した。イギリスは和平のためにボーア人に自治権を与えて、1910年にトランスバール州、オレンジ自由州、ナタール州、ケープ州からなる南アフリカ連邦を設立した。ボーア人たちは新国家誕生とともに「アフリカーナ」を名乗り民族の権利を主張、有色人種に対して鉱山労働法、原住民土地法といったアパルトヘイトのベースとなった人種差別法を立法化、オランダ語を母体として生まれたアフリカーンス語を英語とならんで公用語に定め、経済はイギリス人、政治はアフリカーナが握るようになった。第二次世界大戦後、アフリカーナはアパルトヘイト政策を策定、世界中の非難を受けながらも頑として受け入れず次第に孤立化していった。1989年にフレデリック・デ・クラーク(1936年生 71歳、アフリカーナ・ボーア人政治家。1993年マンデラとともにノーベル平和賞受賞)が大統領に就任し、ようやく有色人種との対話をすすめた。1990年にはネルソン・マンデラ(1918年生 87歳、1952年南アフリカで白人以外で初の弁護士となる。アパルトヘイト政策に抵抗し1962年ロベン島に投獄され1990年釈放、1993年ノーベル平和賞受賞)が27年間の投獄生活の後に釈放され、1991年にはアパルトヘイトが廃止された。1994年には全人種参加による南アフリカ共和国の総選挙でアフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラ議長が有色人種初の大統領に就任。ネルソン・マンデラは、一期で大統領を退任し、政界からも引退し現在の大統領ターボ・ムベキを後継者とした。大統領の地位に連綿とせず長期独裁政権になることも自ら回避し、国の方向が誤らないように陰から支援するネルソン・マンデラは世界的にも偉大な指導者と言えるだろう。<br />アパルトヘイト政策を採り続けたアフリカーナは、アメリカに入植し先住民のネイティブ・アメリカンと戦闘しながら西部を開拓したイギリス人と同様の歴史を持つがアフリカーナには先住民に加えイギリス人というもう一つの敵があった。迫害と戦闘の歴史の中からアフリカーナにとって労働力の確保だけでなく自分達の自治権と安全の確保のために人種隔離政策・アパルトヘイトが必要であったと想像できる。アパルトヘイトの廃止により白人の有色人種への差別意識が改善されたのかどうかは疑問だが、有色人種の指導者が国のリーダーとなって大多数の国民である有色人種のための政治を行うようになったことは大きな前進と言えるだろう。<br /> 長い期間の人種差別に苦しみ現在も経済問題やHIV感染者問題に苦しむ南部アフリカだが、写真をお願いした人達は一様に明るい笑顔で応じてくれた。豊かな自然や動物を大切にする南部アフリカの人達が今以上に幸せになるように一人一人の明るい笑顔に期待したい。<br />(写真はジンバブエの高校生)<br />=南部アフリカの旅 完=<br /><br />

南部アフリカの旅【7】 南部アフリカで出会った人達

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2005/08/31 - 2005/09/07

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

南部アフリカの人達と接するとき、白人の支配とアパルトヘイト(オランダ語で分離、隔離)の歴史を忘れることはできない。南アフリカは1488年、ポルトガルのバーソロミュー・ディアスが喜望峰を、1497年には同じポルトガルのバスコ・ダ・ガマがナタールを発見した後1652年にオランダ人のヤン・ファン・リーベックがオランダ東インド会社の東洋貿易の中継基地として、ケープタウンに居留地を作っている。その後オランダ人が多く移民し入植地を開拓していったが19世紀の初頭に、喜望峰をインド航路の重要拠点と認識したイギリスがこの地を占領、多くのイギリス人を移民させ南部アフリカを支配した。1833年にイギリス本国で奴隷制度が廃止され植民地である南部アフリカにも適用されると、多くの奴隷労働力に依存してきたオランダからの移民・ボーア人は反発して、新天地を求めてケープ地方から北方へ大移動した。1838年にナタールでズールー族(先住民の一部族)との「血の戦い」の後ナタール共和国を建国するもイギリス軍の追撃に敗れ、さらに内陸に移動。1852年にトランスバール共和国を、1854年にはオレンジ自由国を建国しイギリスに承認させたがオレンジ自由国でダイヤモンド、トランスバール共和国で金鉱が発見されると、イギリスが進出し占領。1880年、1899年にはボーア人が蜂起するが1902年にイギリスの勝利で終結した。イギリスは和平のためにボーア人に自治権を与えて、1910年にトランスバール州、オレンジ自由州、ナタール州、ケープ州からなる南アフリカ連邦を設立した。ボーア人たちは新国家誕生とともに「アフリカーナ」を名乗り民族の権利を主張、有色人種に対して鉱山労働法、原住民土地法といったアパルトヘイトのベースとなった人種差別法を立法化、オランダ語を母体として生まれたアフリカーンス語を英語とならんで公用語に定め、経済はイギリス人、政治はアフリカーナが握るようになった。第二次世界大戦後、アフリカーナはアパルトヘイト政策を策定、世界中の非難を受けながらも頑として受け入れず次第に孤立化していった。1989年にフレデリック・デ・クラーク(1936年生 71歳、アフリカーナ・ボーア人政治家。1993年マンデラとともにノーベル平和賞受賞)が大統領に就任し、ようやく有色人種との対話をすすめた。1990年にはネルソン・マンデラ(1918年生 87歳、1952年南アフリカで白人以外で初の弁護士となる。アパルトヘイト政策に抵抗し1962年ロベン島に投獄され1990年釈放、1993年ノーベル平和賞受賞)が27年間の投獄生活の後に釈放され、1991年にはアパルトヘイトが廃止された。1994年には全人種参加による南アフリカ共和国の総選挙でアフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラ議長が有色人種初の大統領に就任。ネルソン・マンデラは、一期で大統領を退任し、政界からも引退し現在の大統領ターボ・ムベキを後継者とした。大統領の地位に連綿とせず長期独裁政権になることも自ら回避し、国の方向が誤らないように陰から支援するネルソン・マンデラは世界的にも偉大な指導者と言えるだろう。
アパルトヘイト政策を採り続けたアフリカーナは、アメリカに入植し先住民のネイティブ・アメリカンと戦闘しながら西部を開拓したイギリス人と同様の歴史を持つがアフリカーナには先住民に加えイギリス人というもう一つの敵があった。迫害と戦闘の歴史の中からアフリカーナにとって労働力の確保だけでなく自分達の自治権と安全の確保のために人種隔離政策・アパルトヘイトが必要であったと想像できる。アパルトヘイトの廃止により白人の有色人種への差別意識が改善されたのかどうかは疑問だが、有色人種の指導者が国のリーダーとなって大多数の国民である有色人種のための政治を行うようになったことは大きな前進と言えるだろう。
 長い期間の人種差別に苦しみ現在も経済問題やHIV感染者問題に苦しむ南部アフリカだが、写真をお願いした人達は一様に明るい笑顔で応じてくれた。豊かな自然や動物を大切にする南部アフリカの人達が今以上に幸せになるように一人一人の明るい笑顔に期待したい。
(写真はジンバブエの高校生)
=南部アフリカの旅 完=

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  •  ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの高校生。

     ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの高校生。

  • ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの女子高校生。

    ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの女子高校生。

  • ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの高校生。

    ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの高校生。

  • ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの高校生。

    ビクトリア滝に旅行に来ていた西ジンバブエの高校生。

  • ビクトリア滝で出合ったザンビアの母娘。女の子は高い橋を怖がっていた。

    ビクトリア滝で出合ったザンビアの母娘。女の子は高い橋を怖がっていた。

  • 南アフリカ・ケープタウンに住むアンジェラさん(左)はダーバン大学で経済学を3年教えた後、日本の静岡県磐田市で10年間英語教師をしていたそうだ。説明が丁寧で具体的な優秀なガイドだった。

    南アフリカ・ケープタウンに住むアンジェラさん(左)はダーバン大学で経済学を3年教えた後、日本の静岡県磐田市で10年間英語教師をしていたそうだ。説明が丁寧で具体的な優秀なガイドだった。

  • ジンバブエの現地ガイド、アグネスさん27歳。温和でおとなしい人柄だった。

    ジンバブエの現地ガイド、アグネスさん27歳。温和でおとなしい人柄だった。

  • ジンバブエのホテルの従業員。

    ジンバブエのホテルの従業員。

  • ジンバブエのホテルの従業員。

    ジンバブエのホテルの従業員。

  • ジンバブエのレストランの従業員。

    ジンバブエのレストランの従業員。

  • ジンバブエ。ビクトリア滝観光ヘリコプターツアーの従業員。

    ジンバブエ。ビクトリア滝観光ヘリコプターツアーの従業員。

  • ジンバブエ。ビクトリア滝観光ヘリコプターツアーの従業員。

    ジンバブエ。ビクトリア滝観光ヘリコプターツアーの従業員。

  • ジンバブエの民族舞踊ショー。

    ジンバブエの民族舞踊ショー。

  • ジンバブエの民族舞踊ショー。

    ジンバブエの民族舞踊ショー。

  • ジンバブエの民族舞踊ショー。

    ジンバブエの民族舞踊ショー。

  • ザンビアのみやげ物店の店員。

    ザンビアのみやげ物店の店員。

  • ボツワナのホテルの従業員。

    ボツワナのホテルの従業員。

  • ボツワナのホテルの従業員。

    ボツワナのホテルの従業員。

  • 南アフリカ・ケープタウンのホテルの従業員。

    南アフリカ・ケープタウンのホテルの従業員。

  • 南アフリカ・ケープタウンのホテルの従業員。

    南アフリカ・ケープタウンのホテルの従業員。

  • 南アフリカ・ケープタウンのシールアイランドクルーズ船の船長。

    南アフリカ・ケープタウンのシールアイランドクルーズ船の船長。

  • 南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーの従業員。

    南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーの従業員。

  • 南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーでワインの試飲を説明する従業員。

    南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーでワインの試飲を説明する従業員。

  • 南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーでワインの説明する従業員は少しタイガーウッズに似ていた。

    南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーでワインの説明する従業員は少しタイガーウッズに似ていた。

  • 南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーの従業員。

    南アフリカ・ステレンボッシュワイナリーの従業員。

  • ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのレストランの従業員。

    ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのレストランの従業員。

  • ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのミニSLの運転手。

    ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのミニSLの運転手。

  • ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのレストランの従業員。20才だと嬉しそうに名乗ってポーズをとってくれた。

    ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのレストランの従業員。20才だと嬉しそうに名乗ってポーズをとってくれた。

  • ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのミニSLの運転手。

    ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのミニSLの運転手。

  • ヨハネスブルクのホテルのガードマン。安全のために出入り口すべてにガードマンを配置していた。

    ヨハネスブルクのホテルのガードマン。安全のために出入り口すべてにガードマンを配置していた。

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この旅行記へのコメント (16)

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  • ららとるるさん 2007/07/21 18:10:04
    いつか行きたい南アフリカ
    さすらいおじさん様
    こんばんは、南アフリカのブログ拝見いたしました、素晴らしい出会いありの旅ですね。最後の出会った人々のスナップは、本当に私がなぜか胸が厚くなる様な笑顔であふれていますね。素晴らしいです。
    この夏は会社がららは会社が10連休なのですがるるの都合により、海外に行けません。エジプトから帰って2ヶ月経ったばっかりですから、まぁ〜しょうがないかぁ〜って。ですが、本当に、ケープタウンは、本当に街なんですね、大いなる自然があっての、確かワールドカップも開催されます。今夜もBSのどこかの局で、南アフリカの旅行記をするようなので、先週から予約を入れていました。歴史を振り返れば、現在でも問題は残っているのでしょうが、またその地に行って私自身いろいろ感じたいと思います。ヨハネスブルグからのブルートレインに乗りたいと思っています。季節はいつごろ幾野がベストなのでしょうか?それでは、さすらいおじいさん様、また覗かしていただきますね。これからも素晴らしい旅を、続けてくださいませ。
    ららとるる

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2007/07/22 12:17:04
    RE: いつか行きたい南アフリカ
    ららとるるさん
    南アフリカをごらんいただきコメントありがとうございます。
    南アフリカは古代文明の遺産が魅力のエジプトとはまったく違う魅力にあふれています。
    私が南部アフリカで特に印象に残っているのは、大自然です。ケープタウンのテーブルマウンテン、喜望峰、ビクトリア滝、象やキリンが見られるサファリなどすばらしい光景でした。
    2010年にはサッカーのワールドカップも開催されるのでますます観光客の注目を集めるでしょう。
    ヨハネスブルグからのブルートレイン、体験したかったのですが、私は乗れず残念でした。豪華なたびができるそうですね。
    南アフリカは10月から3月が春から夏で観光に良いと言われており、10月中旬にはジャカランダが満開になり、最も美しい時期だと聞きました。
    私は8末から9月初めまで夏休みを利用してパックツアーで訪問しました。7,8月は真冬とのことですが、気温は10−20度でまったく冬という感じはありませんでした。
    冬でもケープタウウンなど、花もきれいでした。南アフリカは1年中温暖でいつ行っても楽しめる国だと思います。どうぞお楽しみください。
  • ちゅぴさん 2005/09/28 11:21:58
    初めまして。
    初めまして!

    ジンバブエ〜南アフリカ旅行記、すべて読ませていただきました。
    写真がとても美しく、感激しました。
    すごいですねー☆

    ・・・実は私、10月の半ばから、
    ほぼ同じコースで旅行に出かける予定です。

    そこで質問なのですが、いってみた経験から
    持って行ったほうがいいものや、気をつけたほうがいいこと
    など、どんな小さいことでも結構ですので
    アドバイスいただけたらな、と思います。

    これまでたくさん海外旅行はしてきましたが
    今回はあまり想像できない感じで・・・
    ぜひ、生の声を聞かせてください。

    よろしくお願いします。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/10/09 05:15:02
    RE: 初めまして。
    ちゅぴさん  南部アフリカをご覧いただきありがとうございます。

    私も南部アフリカに行く前に下記のアドバイスをいただき役に立ちました。

    ?野外では猿などに物を盗られないように注意---猿に近づかないほうが良い。
    ?ビクトリア滝はレインコートがあったほうが良い---乾期で少し水量は少ないかもしれませんが、レインコートで水しぶきは防げます。ヘリコプターからは滝の全貌が見れますので空中観光もお勧めです。
    ?冷え込みがあるので、防寒着を準備する。---テーブルマウンテン、モーニングサファリは寒くて上着、毛糸帽子、手袋、マフラーなど役立ちました。
    ?夜間外出はやめる。--ホテルからは出ない方が良いでしょう。

    以上ご参考ください。

    ちゅぴさん からの返信 2005/10/10 14:06:37
    RE: RE: 初めまして。
    お帰りなさい。
    さっそくのお返事ありがとうございます。
    とても参考になりました。
    朝晩の冷え込みは、手袋やマフラーを必要とするほどなんですね。
    寒いのは苦手なので、準備万端で行きたいと思います。

    いよいよ間近です。
    楽しんできます!

    ありがとうございました。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/10/11 02:40:38
    RE: RE: RE: 初めまして。
    ちゅぴさん

    南アに私が行ったのは春の初頭、9月初旬でしたから、10月は大分暖かくなっていると思いますが、モーニングサファリの風は結構冷たいので、暖かいものは持って行かれたほうが良いと思います。
  • kokonoさん 2005/09/25 09:50:04
    おはようございます
    さすらいおじさん >> 南アフリカ・・写真をお願いした人達は一様に明るい笑顔で応じてくれた。
    ・・を拝見しましたので服装についてコメントしてみました

    高校生徒達の制服姿・・
    女生徒は緑色のジャンパースカートに白のブラウス・ロングソックスに
    揃いのシューズ男子生徒は白のワイシャッに緑色のネクタイと生徒全員、
    上から下まで決まっています!!しかもクリーニングがよく効いた清楚な感じで好感がもてる学生服だと思いました
    戦後の日本における学生服は黒色・濃紺色が基調であったように思いますが、やはり国民性の表れでしょうか?? 時の流れでしょうか?? 
    どちらにしても芽生えて育つ意味においては緑色が
    入るのは適切に思いました

    一般の人達の服装・・
    カラフルな色合いの服装が多いように見受けられますがやはり色の基調には緑色を重視したところが感じられました以下の方たちの服装に
    多く見られました
    ・ザンビアの母娘
    ・ジンバブエの現地ガイド
    ・ビクトリア滝観光ヘリコプターツアーの従業員。
    ・ケープタウンのシールアイランドクルーズ船の船長。
    ・ステレンボッシュワイナリーでワインの試飲を説明する従業員。
    ・ヨハネスブルグのゴールド・リーフ・シティのミニSLの運転手。
    ・ヨハネスブルクのホテルのガードマン

    ジンバブエの民族舞踊ショー・・
    衣装は古典的なのか、近代的なのか判断しかねますが緑色の配色が基調として使われている事を感じられました


    >さすらいおじさんがおっしゃるように豊かな自然や動物を大切にする
    南部アフリカの人達は周囲の緑色に調和して生活する「国旗色」を体感しての服装色だと感じました。kokono


    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/09/25 16:04:55
    RE: おはようございます
    kokonoさん 服装についての詳しいコメントをありがとうございます。緑を基調にした服装が多いことのは気がつきませんでした。kokonoさん の感性の素晴らしさを感じました。

    【豊かな自然や動物を大切にする
    南部アフリカの人達は周囲の緑色に調和して生活する「国旗色」を体感しての服装色だと感じました。kokono】

    kokonoさんがおっしゃるとおりだと思いました。「国旗色」を調べましたが

    (国旗の意味や由来)
    緑色は農業と繁栄を、黄色は富を、赤色は独立闘争を、黒色は黒人国家を象徴する。紋章の「ジンバブエの鳥」はジンバブエ遺跡の彫刻からとったもので、平和のシンボル。

    http://www.sarago.co.jp/nfhtm/zw.html

    とのことで緑色が象徴する「農業と繁栄」を大切にしているのだろうと思いました。

    高校生達はたくさんの観光客に見られるということもあるのでしょう、マナーが良く服装も清潔で恐らく国の顔になることを先生がしっかり教育したのだと思います。あの高校生たちとの出会いはジンバブエの側面を見るうえでも貴重でした。




    kokono

    kokonoさん からの返信 2005/09/25 21:17:44
    RE: RE: おはようございます
    >さすらいおじさん、http://www.sarago.co.jp/のご紹介をありがとうございました
    又、ひとつ勉強することが増えて楽しくなりました・・簡単に判断していたことがこんなにも
    歴史のあることに気がつきませんでした・・気力を充実する季節柄励みになりました!!

    今後とも良い情報をお願いいたします。kokono

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/09/26 07:47:29
    RE: RE: RE: おはようございます
    kokonoさん

    >さすらいおじさん、http://www.sarago.co.jp/のご紹介をありがとうございました
    又、ひとつ勉強することが増えて楽しくなりました・・簡単に判断していたことがこんなにも
    歴史のあることに気がつきませんでした・・気力を充実する季節柄励みになりました!!
    今後とも良い情報をお願いいたします。kokono

    kokonoさん こちらこそ服装の色柄の傾向をお教えいただきありがとうございます。
    日本では日の丸の色がオリンピックのユニフォームに使われるのは知っていますが、学校や一般国民が服装にとり入れているのは、あまり知りません。これから海外を訪問するときは国旗の歴史・由来にも関心を持って見たいと思います。
    ありがとうございました。

  • fkさん 2005/09/18 07:41:05
    アパルトヘイト
    さすらいおじさんさん,

    人種偏見・差別・奴隷制度など見たり聞いたりすると
    人類の歴史は悲しいことが多すぎると思いますね。

    私も長い間その様な問題を考えてきました。

    南アフリカのアパルトヘイトについての要点をよく読ませてもらいました。
    長すぎた人種差別はいまでもきっと白人と黒人の憎しみあいになっているの
    ではないかと思いますが...


    奴隷制度はブラジルにもあって30年ぐらい続いたと思います。
    でももう過去のことになって,人種のるつぼとなっていますが
    それはポルトガル人の性格が働いたように思えるのです。

    翻って米国の奴隷制度は300年も続いてしまった。
    しかもひどすぎる制度だった。
    あまりに長すぎたので,いまだに白人と黒人の憎しみあいは強い(政治問題に
    なるから表面ではその点を隠していても)と思います。
    これは米国に駐在して多くの人と接した経験のある人はだれでも知っていると
    思います。

    さすらいおじさんさんはどう思われますか?

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/09/18 09:46:57
    RE: アパルトヘイト
    fkさん 南アフリカをご覧いただきありがとうございます。


    >翻って米国の奴隷制度は300年も続いてしまった。
    しかもひどすぎる制度だった。
    あまりに長すぎたので,いまだに白人と黒人の憎しみあいは強い(政治問題になるから表面ではその点を隠していても)と思います。
    これは米国に駐在して多くの人と接した経験のある人はだれでも知っていると思います。
    さすらいおじさんさんはどう思われますか?

    私はアメリカに住んだことが無いので差別の実態を体験したことはありませんが、米国に駐在していた人達からは白人社会の中に黒人を入れないケースが多いことを聞いています。また、ビジネス上は表面に出さずフレンドリーに接するが(日本人、ユダヤ人に対しても同様と聞きましたが)内心では偏見があると聞いています。アメリカ人は表面では上手につきあう術を憎みあいの歴史の中から会得したのだと思いますが内心の偏見は変わっていないと思います。
  • つーさん 2005/09/17 07:55:20
    ごぶさたしておりますつーです。
    南アフリカの旅行記拝見させて頂きました。学生の頃世界史を専攻しており
    アパルトヘイトについても「用語」として覚えた記憶があります。
    旅行記拝見させて頂き、その歴史について知ることができました。
    歴史的には悲しい背景を持っているかもしれませんが、旅行記から伝わって
    くるのはとても純粋な笑顔、特に皆さん透き通るような瞳がとても綺麗です☆
    きっとレンズからそんな笑顔を見ているさすらいおじさんさんの目が優しい
    からだと思いました♪
    なんだかそんな写真を撮ることができるのがとてもうらやましいです★
    私も世界中を旅して色々な笑顔を見てみたいなぁって思います!
    また遊びに来させて頂きますね。では☆

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/09/17 13:26:17
    RE: 瞳
    つーさん
    南アフリカをご覧いただき、ご評価もいただきありがとうございます。
    南部アフリカの人達は苦しい歴史と現実を抱えながらも苦しさを見せない「屈託の無い笑顔」が魅力でした。
    つーさんの旅行記の写真、文章、掲示板への書き込みのいずれからも、つーさんの人にも花にも優しいお人柄がわかります。
    つーさんは世界史を専攻されておられたのですね。
    私は受験勉強ではあまり好きでなかったのですが、海外旅行を始めてから世界史が好きになりました。いろんな国を訪問して生きた世界史を学ぶことが楽しみになっています。世界の歴史・文化・自然そしてそこで生活する人達から学ぶことはたくさんありますね。


  • Rockyさん 2005/09/16 11:22:24
    >白人の支配とアパルトヘイト
    さすらいおじさん

    >白人の支配とアパルトヘイト

    この問題を再度考える良い機会となりました。
    世界には色々な問題がありますね。

    又、旅最中に、色んな人との出会いが有ったのが判り興味持ちました。

    mrocky

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/09/16 12:43:44
    RE: >白人の支配とアパルトヘイト
    mrockyさん

    南アフリカをご覧いただき、ご評価もいただきありがとうございます。

    >この問題を再度考える良い機会となりました。
    世界には色々な問題がありますね。

    世界を旅すると、ほとんどの国が人種問題をかかえており、紛争している国もありますが、なんとか休戦状態を保つ国も多いと思います。
    日本もアイヌ、琉球民族、在日外国人問題など潜在しますが、民族問題は世界でも最も安定している国の一つだと思います。

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