2001/07/19 - 2001/07/24
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さすらいおじさんさん
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陜西省の省都で人口約700万人を擁する西安はかつて長安と呼ばれ、紀元前11世紀から10世紀初頭まで2000年に渡って秦、漢、唐など多くの王朝の都であった。この間、秦の始皇帝、前漢の武帝、唐の玄宗と楊貴妃など歴史上世界的に著名な人物を多く輩出している。
同時に西安はシルクロードの起点でもあり、玄奘三蔵は天竺(インド)までシルクロードを旅して多くの経典を持ち帰った。中国の絹、茶、磁器などは中央アジアを通りヨーロッパに伝わり中国にも西方国の物産や文化が伝わった。
西安と日本の交流も古く6世紀から遣隋使、遣唐使を派遣した。青龍寺で密教を学び真言宗を開いた弘法大師空海(774−835年)、天台山で密教を学び天台宗を開いた伝教大師最澄(767−822年)、帰国できなかったが頭脳明晰で玄宗皇帝に仕え李白とも交流があった阿部仲麻呂(698−770年)を始め、長安で学んで帰国し日本の文化や技術の発展に貢献した歴史的人物は多い。
大雁塔(慈恩寺)は玄奘三蔵がインドから645年に持ち帰った大量のサンスクリット語経典や仏像などを保存するために652年に建立された。玄奘三蔵は20年間に75部1235巻の経典を翻訳し法相宗を開いた。日本も玄奘三蔵を信奉して建造された法隆寺、薬師寺など法相宗寺院は現在も重要な世界遺産だ。大雁塔は64mの高さで最上部からは京都が平安京創設のときにモデルとした碁盤の目のような西安の街並みが一望できる。
華清池は2700年以上前に発見された温泉と景観の美しさから歴代王朝によって離宮や浴槽などが造られた。華清池を有名にしたのは唐の第6代皇帝玄宗(685−762年)と楊貴妃(719−756年)のロマンス。楊貴妃は玄宗の子、寿王の妃だったが745年に父玄宗が息子から奪い取り愛人とされた。玄宗の楊貴妃への寵愛ぶりは異常で国政が乱れ安禄山のクーデターを引き起こした。2人のロマンスは唐朝衰退の原因となったと言われている。白居易(772−846年)の「長恨歌」は2人の情事を叙事詩で歌い世界中に知られることとなった。息子の妻を奪い取るという玄宗皇帝の行為は異常に思えるが楊貴妃はカエサル、アントニウスをとりこにしたクレオパトラのような魅力があったのだろう。
秦の始皇帝陵は紀元前221年中国全土を統一した始皇帝が70万人の囚人を動員し36年を費やし建造、女官3000人、陵墓造営者など秘密を守るために多勢が殉死させられている。
秦の始皇帝兵馬俑博物館は1974年3月、農民楊氏らが井戸を掘っている時に発見された7000体以上の地下警護兵を展示したものだが未発掘の部分も多くまだ全容が把握できていない。始皇帝の絶大な権力ぶりは世界中を驚かせている。
西安は2度目の訪問だったが2000年以上の都の歴史の中で未発掘のものも多い。シルクロードの起点として全世界の中心的な都であったと同時に城壁に囲まれた街並みは2000年前と変わらない面影がある。街を掘れば数千年前の遺跡が出るかもしれないが、街の人達からは急いで掘ろうという気持ちも見えず、中国7000年の流れに身を任せているような悠然とした街である。
(写真は玄奘三蔵がインドから持ち帰った大量のサンスクリット語経典や仏像などを保存するために建造された大雁塔)
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華清池。
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華清池。
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華清池。
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華清池。楊貴妃が温泉を楽しんだ浴槽。
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華清池。
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華清池。
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華清池。
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華清池。
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華清池。
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西安の中心街を囲む14世紀明時代の城壁。
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秦の始皇帝陵。紀元前221年中国全土を統一した始皇帝が70万人の囚人を動員し36年を費やし建造。女官3000人、陵墓造営者など秘密を守るために多勢が殉死させられている。
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陜西省博物館にあった高松塚古墳の壁画の説明。
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陜西省博物館にあった高松塚古墳の壁画のコピー。
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陜西省博物館に展示されている兵馬俑像。
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陜西省博物館に展示されている兵馬俑像。
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唐の時代の宮廷舞踊。
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唐の時代の宮廷舞踊。
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大雁塔(慈恩寺)の玄奘三蔵が経典を背負ってインドからシルクロードを通って帰国したときの様子を描いたレリーフ。
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大雁塔がある慈恩寺の境内。
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大雁塔の最上部から見る西安。京都が平安京創設のときにモデルとした碁盤の目のような西安の街並みが一望できる。
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大雁塔の最上部から見る西安の街並み。
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大雁塔の最上部から見る西安。京都が平安京創設のときにモデルとした碁盤の目のような西安の街並みが一望できる。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館。
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秦の始皇帝兵馬俑博物館に向かう道。
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この旅行記へのコメント (6)
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- 花やんさん 2005/08/04 15:30:39
- 楊貴妃の小さな足について
- 昔は中国では纏足といって、子供の時から布で足を巻き小さな靴を履かせて大きくならないようにしていました、それが美人の条件だったようです。
私も子供の時に朝鮮で近所の中国婦人の足を見ましたが、指が内側に曲がり変形して、ヨチヨチ歩きしか出来ませんでした。
また、靴を脱ぎ布をはずしたときの蒸れた匂いがセクシーに感じられたということを後日耳にしました。
我々から見れば可哀想な姿でした。
現在描かれていたり、像となっている「楊貴妃」とは美人の基準が異なるので、想像できないようですね。
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/08/04 16:37:46
- RE: 楊貴妃の小さな足について
- 花やんさん 纏足をお教えいただきありがとうございます。
>私も子供の時に朝鮮で近所の中国婦人の足を見ましたが、指が内側に曲がり変形して、ヨチヨチ歩きしか出来ませんでした。
また、靴を脱ぎ布をはずしたときの蒸れた匂いがセクシーに感じられたということを後日耳にしました。
我々から見れば可哀想な姿でした。
現在描かれていたり、像となっている「楊貴妃」とは美人の基準が異なるので、想像できないようですね。
纏足した人は映画で見たことがありますが、生存されている方の話は始めて伺いました。「楊貴妃のいい匂い」というのも纏足によるものかも知れませんね。
美人の基準も時代とともに変わるのも不思議ですね。唐・平安時代の美人が今も同じ基準なら、女性はダイエットをしなくなるでしょうね。
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- mom_momさん 2005/08/03 18:03:55
- 玄宗と楊貴妃のお話、大好きです(*^0^*)
- こんにちは、さすらいおじさん
楊貴妃が温泉を楽しんだ浴槽、初めて見ました。
感動ですね〜。
楊貴妃は、足に具足をしていて、一人では歩けなかったという話を何かの本で読んだことがあります。
その本で、華清池の入浴シーンが書かれていたのですが、「女官に両脇を支えられて...階段を上がる」と表現されていて、「華清池」というものを見たことがなく、温泉の沸く池だと思っていたので、いまいちイメージができなかったのですが、この浴槽の写真を拝見して、やっと納得しました。
華清池は、今でいう温泉保養所みたいな感じなのですかねぇ?
景色も綺麗だし、温泉もあるし、のんびり過ごすには、最高の場所なんでしょうね。
華清池の景色を玄宗と楊貴妃が眺めて過ごしたかと思うと、ロマンがありますよね。
mom_mom
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/08/03 20:50:10
- RE: 玄宗と楊貴妃のお話、大好きです(*^0^*)
- mom_momさん 西安をお読みいただきありがとうございます。
>楊貴妃は、足に具足をしていて、一人では歩けなかったという話を何かの本で読んだことがあります。
その本で、華清池の入浴シーンが書かれていたのですが、「女官に両脇を支えられて...階段を上がる」と表現されていて--
楊貴妃が足が悪かった話は中国でも聞きませんでした。楊貴妃は足が悪くても、玄宗が息子から奪い取るほどの魅力がある人だったのでしょう。楊貴妃という人をますます知りたくなりますね。お教えいただきありがとうございます。
- mom_momさん からの返信 2005/08/03 21:06:35
- RE: RE: 玄宗と楊貴妃のお話、大好きです(*^0^*)
- こんばんわー、さすらいおじさん
>楊貴妃は、足に具足をしていて、一人では歩けなかったという話を何かの本で読んだことがあります。
その本で、華清池の入浴シーンが書かれていたのですが、「女官に両脇を支えられて...階段を上がる」と表現されていて--
> 楊貴妃が足が悪かった話は中国でも聞きませんでした。楊貴妃は足が悪くても、玄宗が息子から奪い取るほどの魅力がある人だったのでしょう。楊貴妃という人をますます知りたくなりますね。お教えいただきありがとうございます。
足が悪いと言うことではなく、高貴な人は、子供の頃より足に木型をはめて、歩けなくした風習があったようです。
一説には、逃げれないようにするとかの話もあるようですが...
高貴な人は、自分で用事をすることもなく、常に身の回りの世話をする人がついていますから、歩く必要もなかったのかもしれません。
楊貴妃も楊家の幼女で、幼少の頃より高貴な人に嫁がせるために、足を成長させないように、家の奥で人目に曝されず大事に育てられたようです。
だから、色白で白豚という褒め言葉(当時は賛辞)を言われたそうです。
現在でも中国の女性は、色が白いことが美しい条件になっています。
また、太っていることは裕福な証なので、太った色白な人は、美人の代名詞だったようです。
華清池で入浴した楊貴妃は、身体に香を塗り込めなくとも、自らとても良い香りを発したとも言われています。
どんな方だったのでしょうねぇ〜。
mom_mom
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/08/03 22:28:26
- RE: RE: RE: 玄宗と楊貴妃のお話、大好きです(*^0^*)
- mom_momさん いろいろお教えいただきありがとうございます。
>楊貴妃も楊家の幼女で、幼少の頃より高貴な人に嫁がせるために、足を成長させないように、家の奥で人目に曝されず大事に育てられたようです。
だから、色白で白豚という褒め言葉(当時は賛辞)を言われたそうです。
現在でも中国の女性は、色が白いことが美しい条件になっています。
また、太っていることは裕福な証なので、太った色白な人は、美人の代名詞だったようです。
華清池で入浴した楊貴妃は、身体に香を塗り込めなくとも、自らとても良い香りを発したとも言われています。
どんな方だったのでしょうねぇ〜。
唐の末期から習慣になった纏足のようなことをしていたのでしょうね。運動不足になるから太るし色も白くなるでしょう。
奈良・平安時代の美女が太めなのは、中国の影響なのかもしれませんね。
【華清池で入浴した楊貴妃は、身体に香を塗り込めなくとも、自らとても良い香りを発したとも言われています。】
良い香りを発するのはすごいですね。玄宗皇帝をひきつけた一つなのかもしれませんね。
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