2005/06/15 - 2005/06/15
87位(同エリア93件中)
EMUさん
イエス・キリスト生誕の地ベツレヘムへ行ってきた。
当初、イスラエル入国予定があやふやだった為、何も下調べはしていない。
ただ、日本で少しHPを読み流している時にベツレヘムという名前だけは覚えていた。
アンマンで手に入れたガイドブックにベツレヘムが載っており、エルサレムから意外と近いので行けるかな、くらいののりで行く事を決定していた。
恥ずかしながら、行くまでそこがパレスチナ自治区とは知らずにいた。
下準備があまりにもなかったので、少しショックがあった。
一番のショックは、写真の壁である。
街が全て壁で囲われているのである。
よく軍隊とかで使われているフェンス程度のものじゃなく、かなり厚い壁である。
驚かされた。
漫画でしか見た事のないような光景である。
ドミトリーで一緒になった外人にパレスチナ問題についてどう思うか?とよく聞かれたが、それまで、
「どちらにも言い分があるから、難しい、共存の道は描けないのか、描いて欲しいと思う」
と答えていた。
しかし、この壁を見て、いろいろ言い分があってもこの壁はやってはいけないと感覚で思った。
どちらがいいとか、どうするべきとか、私には判断できない。
パレスチナの人がかわいそうとか、イスラエルは悪いとかも思わない。
ただ、私の感覚的なルールで言うとこの壁はNoである。
この壁を抜けて街に入る事になる。
この街の感想として、どこか居心地の悪さと気味悪さを感じたのを覚えている。
それが、生誕の地であるからなのか、入り口の壁が影響しているのかわからない。
街の中は、いたって普通である。華やいでいる。
しかし、どこか居心地の悪さを感じてしまう。
この感じは、過去感じた事があるのが、
・LAのダウンタウンにある治安の悪い界隈。
・カンボジアのプノンペン
この二箇所で、同じように感じていたのを覚えている。
緊張地域なだけに肌で感じる何かがあったのかもしれない。
その為、あまり長居はせず、2時間ほど散策してでてしまった。
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写真は、ベツレヘム大学の学生、ソフィア。
エルサレムにおいて、ベツレヘム行きのバスを探す。
英語が通じないので、相変わらず行き先の連呼。
親切な人にやっとバス乗り場まで連れて行ってもらい、
バスに乗る。意外ときれい。
しかし、ここでも全員乗るまで出発しない。
イスラエルって、もっと近代的だと思っていたけど、バスはアラブ的だった。
国の問題なのか、バス会社の問題か知らないけどさ。
エルサレムからバスで30分。
また、よくわからないところで降ろされる。
勝手に街の中まで行くものだと思い込んでいた私は、途方にくれる。
ベツレヘムはどこだと聞いても、あっちにあると指差すだけ。他の乗客も同じ。
いつものパターンでタクシーに乗れって事かなと半ば覚悟を決めた頃、一人の女の人が近くを通りかかった。
それが写真のソフィアである。
彼女はベツレヘム大学の学生で、英語が少しできた。
これから大学に行くそうで私を連れて行ってくれると言う。
ありがたい。
途中、パレスチナ自治区について、パレスチナ人についてあまりにも無知な私は、ソフィアに対して、
ヘブライ語でありがとう「トダーラバー」と言っていた。しかし、反応がない。
アラビア語でありがとう「シュクラン」と言うと反応があった。
考えてみれば当然である。
ソフィアは、パレスチナ人。
イスラエルだからヘブライ語と何ともソフィアには失礼な事をしてしまった。
今更ながら反省している。
まっすぐな道沿いに、イスラエルのチェックポイントが見えてきた。
ここでパスポートをを見せる。ソフィアも同じ。
イスラエル兵士がチェックする。国境みたいな扱いなのだろう。
金属探知機があり、鳴りまくる。しかし、問題なく、再チェックもなく、通過。
意味のない金属探知機。
そこからしばらく行くと、ベツレヘムの入り口の壁が見えてくる。
ここまで、日本人どころか、観光客らしき人物と一人もあっていない。
おいおい、今日の治安って本当に大丈夫かよ、って思ってしまう。
まるで天気のよう。
その壁の入り口で撮ったのがこの写真。
壁を越えてしばらく行くと、タクシー乗り場があり、ソフィアはそこから、大学へセルビスに乗り行く。
ソフィアとはここでお別れ。
メールアドレス聞き忘れた事を後悔。
私は、セルビスがなかったので、仕方なく、イエスの生誕教会までタクシーで行く。
いつものようにぼったくりタクシーと争い、何とか到着。
無理矢理観光地まわって金を取りたがる。
どこでも同じだ。 -
生誕教会の前の広場。
パレスチナ自治区だからもっと殺伐としたものを想像していたが、意外と普通である事に驚いた。 -
生誕教会の入り口。
意外と地味で狭い入り口。
この地下にイエスを祭った祭壇がある。
その祭壇では、神父が数名でずっとお祈りをしていた。
ここはここで聖地なのである。
教徒以外が入りすぎるのは、失礼かもしれない。
日本からわざわざ来ているというのは、
こっちの勝手な都合なのだから。 -
生誕教会の中の祭壇。
-
ミルク・グロットの中の写真。
マリアの母乳が落ちて、岩が真っ白に染まったという伝説の場所である。
中に入ると、おじさんが丁寧に説明してくれる。
中は洞窟状になっていて、ろうそくをつけている為、すすで黒くなっているが、今でも白いままである。
世界中から子供のできない多くの人がここを訪れ、白い岩を削り持って帰る。
何人もそれで子供が生まれたそうだ。
実際にその写真が送られてきていた。
おじさんが丁寧に一つ一つ説明してくれた。
僕も結婚していて、子供を作る前なら削って持って帰っただろうに、この時は無縁だった。 -
国連の車。
この車を見たのは、タイ−カンボジア国境以来。
さすがにそういう場所なんだと改めて思う。 -
ベツレヘムの街並み。
パレスチナ自治区と言っても普通である。
しかも、少し華やいでいる。
しかし、最初に書いたが、どこか居心地の悪さと気味悪さを感じたのがこの街である。
私は、この自分の感覚をある程度信用している。
この感覚を感じた場所は、緊張のレベルを一気に高める、
そして、極力トラブルに巻き込まれないように最新の注意を払うようにしている。
これまで大きなトラブルに巻き込まれなかったのもこの為だと思っている。
ベツレヘムは比較的安全だとは思うが、この感覚を信用し、2時間程度で立ち去る事にした。 -
ベツレヘムの街並み。
見た目はやはり意外と普通なのである。
ここを下り、行きタクシーで来た場所まで徒歩で戻る。
途中、20歳くらいの若者2人組が座っており、通過する時にパスポートと荷物を見せろときた。
イスラエル軍とは違い、パレスチナ自治区独自でしているのかとも思い、一応出してみた。
トランシーバーも持っていたので、万一、正規のチェックで
拒否して、捕まるのもしゃれにならないと思ったからだ。
問題なく通過する事はできたが、未だにこれが正規なものなのか、
単にからかわれただけなのかわからない。
チェックポイントまで戻り、エルサレム行きのバスに乗る。
いつものように全員乗るまで30分待たされた。 -
エルサレムからは前日来た道を戻る。
写真は、エルサレムから国境までの道。
海外安全ホームページによると、
「渡航の延期をおすすめします。」のエリア。
国境までのバスは、30シュケルだそうだ。
行きのバスより5シュケル高い。
シュケルも余っているし、交渉も面倒だったのでOKする。
国境手前で一度簡単なパスポートと本人確認がある。
写真と顔を確認する程度。
私の顔がパスポートとは、随分変わっているらしく、少し疑われた。
この国で一瞬でも疑われると冷や汗もの。
随分前だからと言ったら、何とか納得してもらえた。
危ない。
国境に着いたら、出国手続きをする。
ここで、アンマンのビザを持っていなかったら苦労するらしい。
持っているので無事通過。
一瞬、イスラエルの出国スタンプを押されるのかと焦ったが、きちんと別紙に押してくれた。
ここで不思議な光景を発見。
一緒のバスで来たアメリカ人が2つパスポートを持っていた。
何でもっているんだ?って聞くと、
1つ目にスタンプ押されたから、これがないとシリアに帰れないから。
いや、わかるけどそれでいいのか?と聞くと
問題ないとか言っていた。
なんとも怪しいがそういう事らしい。
また、国境では、出国税$30くらいを払わされた。
こんなにとられるとは思っていなかったので、正直驚いて、
思わずディスカウントしろと言ったが、聞き入れられず、泣く泣く払う。
後でアンマンで会ったブラジル人曰く、この国境(キングフセイン橋を渡る国境)の出国税は特に高いらしい。
彼は南の方の国境から回りもっと安かったと言っていた。
出国の手続きは、入国ほど厳しくなく、ほとんどパスポートチェックくらいで通過。
その後、40分ほど待たされて、国境を渡るバスに乗る。2JD。 -
エルサレムジュエルホテル屋上からの写真。
ヨルダン側の国境は、普通に通過。
正直、旅の疲れもあり、ぐったり。
国境からムジャンマ・アブダリ(バスターミナル)までセルビスで3JD。元気もないのでそのまま乗る。
やっと前日早朝に出発したエルサレムジュエルホテルに戻ってきた。
預けてあった大きい鞄も無事。
宿の従業員も覚えていたらしく、歓迎してくれた。
この日は、翌日ペトラ遺跡に行く事もあり、ゆっくりと体を休める事にした。
ついでに疲れとともに日本の味が異様に恋しくなっていた。
ここで行きの飛行機でもらったカップラーメンを食べる事にした。
(2005年中東の旅1 最初の一歩 レバノン!! 参照)
チキンラーメンミニ。
チキンラーメンがこれほどうまいと思った事はなかった。
ホテルの屋上から写真の景色を見ながら、ラーメンをすする。よかった。
翌日も早朝からペトラ遺跡に移動する。 -
渡航時の外務省海外安全ページの絵。
オレンジ:渡航の延期をおすすめします。
濃い黄色:渡航の是非を検討して下さい。
薄い黄色:十分注意して下さい。
●エルサレム、ジェリコ、ベツレヘム及びこれらを結ぶ幹線道路
(エルサレム〜ジェリコ、エルサレム〜ベツレヘム間)
:「渡航の是非を検討して下さい。」(引き下げ)
引き下げられたとはいえ、どう見ても行ってよいとは書いていなかった。
出発前に言われたが、自己責任ってやつなのだろうか。
このHPいつも思うのだが、どうしてアメリカとかイギリスになにも出ていないのだろう。
アメリカで襲われている邦人は、多いはず。
イギリスなんて、ロンドンのテロ後ですら、何もでていない。
逆に低いレベルで出ている所を訪れて、どうみても問題のないところはたくさんある。
これは単に外務省がよくわからないという理由だけででているのではないかと思ってしまう。
不思議だ。
中東に行く前に周りから危険だ、危険だと言われた。
中には、大人としての責任がどうのとわけのわからぬ事を言いながら、自信満々で私を攻める人もいた。
その時、よくこう答えていた。
色々調べると調べるほどそれほど危険ではない事がわかってくる。
(もちろんベツレヘムのような状況によって治安が悪くなる所除く)
危険だと思うのは、単に日本人が知らないだけではないのか?
例えば、欧州の人からしたら、韓国のソウルなんて、北朝鮮の平壌のすぐ傍だから
旅行するのは、危ないと考える人がいるかもしれない。
日本にしても、北朝鮮のスパイが入っているとか、ミサイルが飛んでくるとかの理由で
危険だと思うかもしれない。
でも、実際に住んでいる私達は危険だとは思っていない。
これと同じ事が中東にも言えるのではないか。
と答えてきた。
確かに、イラクやアフガニスタンは危険だと思う。
しかし、中東の周りの国々はいたって問題のない国だと思っている。
イスラエルのようにその時その時の情勢により安全さも変わる国もあるが、
そういう事情を把握している限り、中東はそれほど危険とは思わない。
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この旅行記へのコメント (3)
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- aminaさん 2008/01/06 00:14:24
- 分離壁について
- はじめまして。
私も3月にパレスチナ自治区の多くの都市を周りました。
というのも、私はパレスチナの子ども達の支援をする団体のボランティアをしたり、パレスチナ問題に関して勉強し続けているからです。
前回のパレスチナ訪問は膨大な写真を撮り、本当に貴重な経験を数多くしました。
ぜひ載せたいのですが、帰国直後に就職してしまって、写真のアップなどの時間が取れず、今に至っています。
また、パレスチナ自治区という地域か項目をつけて欲しいと4Travelに問い合わせたところ、快い返事を下さったのですが、時間がかかるとのことで、出来るまで載せるのを躊躇していました。
でもそろそろとりあえず載せたいと思います。
壁について、簡単に少し説明させて頂くと、あれは実はパレスチナ自治区を大きく食い込んで作られていて、さらにパレスチナの地下水に沿って作られているのです。
もし完成してしまうと、パレスチナの地には水資源のない人が住めない土地と化してしまうのです。
ここ数年間で建て始められ、壁の内側となってしまった地域にあるパレスチナ人の家々や畑は、毎日ブルドーザーやダイナマイト、戦車で破壊され、抵抗する人々は撃たれています。
壁は、エルサレムにも食い込み、近くにあるパレスチナ人の大学の敷地内にも嫌がらせで建設されてしまいました。
私はそこの大学にも行き、写真を撮りましたので、ぜひ載せたいです。
メディアは決してこうした人権侵害の占領政策について報道しません。なぜなら、メディアのトップ(CNNなどの大手メディア)はユダヤ系、もしくはシオニストであり、日本もその情報を直輸入しているからです。
詳しいことは詳細を説明しなくてはならなくなり、それが私の旅行記UPを遅らせているのですが、もうそろそろ書いてしまおうかと思っています。
とりあえず、情報源だけでも紹介させていただきたいと思います。
長文になってしまいすみません。
パレスチナ情報センター http://palestine-heiwa.org/
パレスチナとイスラエルに関する総合情報サイト。「アーカイブス」のコーナーでは、ネット上の日本語による主な関連文書をアーカイブしている。主要サイトへのリンクもほぼ網羅。
P-navi info http://0000000000.net/p-navi/info/
パレスチナとイスラエルに関する話題を中心にしたブログ。速報性も高い。下の「パレスチナ・ナビ/ナブルス通信」のブログ版。
パレスチナ・ナビ/ナブルス通信 http://www.onweb.to/palestine/
パレスチナとイスラエルに関するメールマガジン「ナブルス通信」のサイト。メールマガジンは、翻訳記事を中心に不定期発行。読者も募集中(左記サイトが重い場合は、こちらへ → 購読登録)
(リンク先は、別のウインドウで開きます)
パレスチナの平和を考える会
http://palestine-forum.org/ イスラエルによるパレスチナの地下水収奪についての海外の学術論文等の情報が満載。
『ルート181―パレスチナ〜イスラエル旅の断章―』 解説サイト
http://palestine-forum.org/route181/info/index.html
2002年夏、パレスチナ人のクレイフィとイスラエル人のシヴァンの両監督は二人が生まれた故郷をともに映像でたどる旅に出る。二人がたどったのは、〈ルート181〉と名付けた架空の道だった。それは1947年、パレスチナの地を二分するために国連決議181号で定められた分割線を意味し、実際には境界になることがなかったルートである。
1948年、イスラエル建国によってパレスチナ住民の多くは追放され、このルートの大半はイスラエルの土地となった。さらに1967年、イスラエルは西岸・ガザを占領し、パレスチナ全土を手中に収めた。
分割決議案から55年後、イスラエル軍によるパレスチナへの侵攻と過酷な軍事占領が続くさなか、二人の監督はこのルートに沿って北上し、この地に住む人々の声と表情を拾っていく。そこであらわになる様々な〈境界〉に取り囲まれた生の現実と、歴史の襞が織り込まれた記憶は、今を鋭く問いかける。
全くのプロパガンダなしのため、出てくる証言の背後にある様々な過去の事件に関する説明がない。それを補うのがこのサイトです。
■ パレスチナの子ども達を支援しているNPOのページ
☆日本パレスチナ医療協会
http://www1.ttcn.ne.jp/~jpma/top/top_right.html
イスラエルによるパレスチナ内の無数の検問所で、多くのパレスチナ人は病院に行くことさえはばかられ、さらに
国際社会の課している経済制裁により、パレスチナの医療機関は危機的な状況にあります。こうした状況を改善するための活動です。
☆JVC(日本国際ボランティアセンター)パレスチナ事業
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/palestine/index.html
イスラエルによる外出禁止令、無数の検問所の封鎖、軍事侵攻による物資の移動の制限などにより、パレスチナの子ども達の多くが栄養失調になっています。
今回の国際社会の経済制裁により子ども達の栄養失調がさらに深刻化しています。
JVCはパレスチナの子ども達の栄養改善事業や医療支援を行っています。
☆パレスチナ子どもの里親運動
http://www5e.biglobe.ne.jp/~JCCP/
レバノン南部にある最も劣悪な環境下におかれ続けているパレスチナ難民の子ども達を支援する里親制度です。
1984年、シャロンがイスラエル軍の撤退宣言の後、世界各国のメディアが帰国したのを見計らってパレスチナ難民を大虐殺した後、フォトジャーナリスト広河隆一さんがたまたま通りがかり、親を亡くした大勢の子ども達の里親を募ったことが始まりです。
☆パレスチナ子どものキャンペーン
http://www32.ocn.ne.jp/~ccp/contents/cont2.html
活動開始以来、国境や宗教・民族にとらわれず、子どもたちの人権と生活を守るための活動を続けています。
フォトジャーナリスト広河隆一さんの創設したNPOです。
ガザでの耳の不自由な子ども達のための学校や、2002年のイスラエル軍による大虐殺のあったジェニンで母と子の心理療法などを行っています。
☆パレスチナ・オリーブ http://www5a.biglobe.ne.jp/~polive/top.html
産業がいつもイスラエルによって破壊される中、乾燥に強いオリーブはパレスチナで唯一の収入源となっています。
ところがイスラエル軍は嫌がらせでオリーブ畑を戦車やブルドーザーで破壊し何万本ものオリーブを根こそぎ破壊したり、微妙な出荷時期で品質が変わるオリーブを運び出す時期にわざと検問所を封鎖したり道路を破壊したりに土砂を積み出荷出来なくしたりしています。
そんな苦難の中作られるオリーブ製品を、フェアートレードで販売することでパレスチナ人の生計を助けようと出来た団体です。
-
- まみさん 2006/02/17 08:08:41
- ベツレヘムの壁!
- EMUさん、こんにちは。
ベツレヘムの壁には私もショックを受けました。
私がイスラエルに行ったのは1998年です。
まだ米国の同時多発テロが起きる前。
湾岸戦争のショックも、日本から見る限りだいぶ落ち着いてきたかなぁというかんじでした。
ベツレヘムへ行ったのは現地ツアーに参加してなので、個人で行くよりスルーしていることも多かったかもしれませんが、こんな壁はなかった気がします。。。あるいは覚えていないだけか。
>これは単に外務省がよくわからないという理由だけででているのではないかと思ってしまう。
>不思議だ。
なるほどと思ってしまいました。確かに、よく知らないから、あるいはたいていの日本人はよく知らないに違いないと思うから、我々は警告を発しましたよ、自己責任で行ってくださいよ、と強調しているのかもしれません。
- EMUさん からの返信 2006/02/20 02:06:43
- RE: ベツレヘムの壁!
- 書き込みありがとうございます。
ベツレヘムの壁は、旅行記にも書きましたが、
実際に見るとかなり衝撃的です。
どうもこの壁、最近作り始めたらしく、
パレスチナ自治区とイスラエルを明確に分けて、
テロ防止とするものだそうです。
しかし、当然うまくいっているわけもなく、色々ともめているみたいです。
いろいろと考えさせられる壁でした。
次回の旅は、まみさんの行かれている東欧を考えていますので、
旅行記参考にさせてもらいます。
ありがとうございました。
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