![中東で有名な世界遺産、ペトラ遺跡へ行ってきた。<br />言うまでもなく、映画「インディージョーンズ最後の聖戦」のロケ地。<br />中東遺跡の3P=ペルセポリス、パルミラ、ペトラの最後のひとつにやっと来る事ができた。<br />この中東の旅に出るきっかけとなったのは、ペトラ遺跡に来たかったというのがある。<br />切り立った崖の間の長い道を通り、その奥に見えてくるエルハズネ。<br />奥に広がる巨大な遺跡群。<br />その評判は嘘ではなく、非常にすばらしかった。<br /><br />だが、ここも観光地化がかなり進んでいた。<br />観光客に群がる地元民。<br />平気でぼったくろうとするわ、嘘もつく。<br />しつこく売り込んだ挙句断ったら悪口を言ってくる。<br /><br />遺跡がいくら良くても興ざめである。<br /><br />世界的な観光地→世界中の人が集まる→その国の評判に繋がる。<br />これくらい想像して欲しいものだ。<br />これでは、ヨルダンは自ら三流国です、と世界中に宣言しているようなものだと思う。<br />同じ世界遺産でもアンコールワットのバイタクの方がずっとまし。<br /><br />でもそこは世界遺産。<br />行ってみて、後悔はなかった。<br />将来、観光地として、ヨルダンの顔としてふさわしい場所となった時に再度訪れたいと思う。<br /><br /><br />さて、このペトラへは、アンマンからバスで訪れた。<br />バスターミナルは、宿の近くかつ国際路線のムジャンマ・アブダリではなく、ムジャンマ・ワヘダット。<br />朝6時出発。<br />かなり離れているのでセルビスで向かった。20分程度。<br />なぜか途中で降ろされ、乗りなおすはめに。<br />アラビア語が使えないと何かと不便だ。<br /><br />それにしても不便。<br />一箇所に固まっていないから、その間の移動で時には長距離バスの値段以上に費用がかかる。<br />ばかばかしい。<br />日本に来た外国人が成田からわざわざ羽田を利用しなくてはならない時同じように思うのだろう。<br />羽田の国際空港化賛成。<br /><br />ムジャンマ・ワヘダットへ到着後、例によってまた人が全員乗るまで待たされる。<br />日本の交通機関に慣れるとやってられない。<br />ほとんど満員のマアーン(ペトラまでセルビスで30分)行きのバスと<br />5分の1くらいしか乗っていないペトラ最寄の町ワディ・ムーサ行きのバス。<br />マアーンのバスの人間は、こっちの方が早いと勧めてくる。<br />しかし、目的地と違うバスに乗ると結局余計に時間がかかり、さらにぼったくられそうなので、<br />結局、ワディ・ムーサ行きのバスで待つ事にする。<br /><br />散々待たされた挙句、0740頃出発。3JD。<br />どうも周りの人間が2JDしか払っていないようだったが、私に3JD請求していても<br />周りの人間は普通の顔をしていたので、勘違いだと思い、3JD払う。<br />どっちが本当だったのだろう。<br /><br />1200ちょっと前にワディ・ムーサに到着<br />とりあえず、宿にチェックイン。<br />体力的に疲れ果てていたので、少し高めの「ピースウェイホテル」に泊まる事にした。<br />しかし、ここが最悪だった。今までの旅の中で一番最悪。<br />*詳細は、クチコミ情報を参照して下さい。<br /><br />腹を立てながらもオーナー(らしき人物)が言っていた、<br />翌日の土曜日は、バスは朝2本しかないという情報をワディ・ムーサのバスターミナルに確認しに行く。<br />ヨルダン人に英語が通じにくいのは知っていたので、東洋人っぽい人に話しかける。<br />おっとこの人も英語がほとんど通じない。<br />すると日本語で何か独り言を言っている。<br />おお!!もしや日本人??<br />日本語で話しかけるとめちゃくちゃ日本人だった。<br />感動だった。<br />日本を出発して、ドバイでトランジット後、1週間ぶりの日本人である。<br />さすがペトラ。世界的観光地。感動。<br />日本語で聞いてみたが、わからないみたいだったので、車掌らしき人物に英語で聞いてみた。<br />なんとか通じて、どうも明日も普通に何本もバスはあるらしい。<br /><br />日本人に会った軽い感動とホテルオーナー(らしき人物)への腹立たしさを覚え、バスターミナルを後にする。<br /><br />それにしても、街の中の住民もひどいもんである。<br />ホテルオーナー(らしき人物)同様、基本的に目は金、カネ、かね。<br />水を買ったら、お菓子も買え。買わないと言ったら、馬鹿にしてくる。<br />道を教えてくれと言ったら、まず商品を買えと言う。<br />突然、店に手を引かれ、引きずり込まれた事もある。<br />最低である。<br /><br />ワディ・ムーサの中心からバスターミナル及びペトラ遺跡入り口まで1JDで地元民に乗せてもらった。<br />乗っている間、ちょくちょく値段をあげてくるが、その度にいつもと同じようにその場で降りる真似をすると、<br />元に戻る。<br />その繰り返し。それにしても、観光地だ。<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/02/86/650x_10028666.jpg?updated_at=1121554666)
2005/06/16 - 2005/06/17
419位(同エリア590件中)
EMUさん
中東で有名な世界遺産、ペトラ遺跡へ行ってきた。
言うまでもなく、映画「インディージョーンズ最後の聖戦」のロケ地。
中東遺跡の3P=ペルセポリス、パルミラ、ペトラの最後のひとつにやっと来る事ができた。
この中東の旅に出るきっかけとなったのは、ペトラ遺跡に来たかったというのがある。
切り立った崖の間の長い道を通り、その奥に見えてくるエルハズネ。
奥に広がる巨大な遺跡群。
その評判は嘘ではなく、非常にすばらしかった。
だが、ここも観光地化がかなり進んでいた。
観光客に群がる地元民。
平気でぼったくろうとするわ、嘘もつく。
しつこく売り込んだ挙句断ったら悪口を言ってくる。
遺跡がいくら良くても興ざめである。
世界的な観光地→世界中の人が集まる→その国の評判に繋がる。
これくらい想像して欲しいものだ。
これでは、ヨルダンは自ら三流国です、と世界中に宣言しているようなものだと思う。
同じ世界遺産でもアンコールワットのバイタクの方がずっとまし。
でもそこは世界遺産。
行ってみて、後悔はなかった。
将来、観光地として、ヨルダンの顔としてふさわしい場所となった時に再度訪れたいと思う。
さて、このペトラへは、アンマンからバスで訪れた。
バスターミナルは、宿の近くかつ国際路線のムジャンマ・アブダリではなく、ムジャンマ・ワヘダット。
朝6時出発。
かなり離れているのでセルビスで向かった。20分程度。
なぜか途中で降ろされ、乗りなおすはめに。
アラビア語が使えないと何かと不便だ。
それにしても不便。
一箇所に固まっていないから、その間の移動で時には長距離バスの値段以上に費用がかかる。
ばかばかしい。
日本に来た外国人が成田からわざわざ羽田を利用しなくてはならない時同じように思うのだろう。
羽田の国際空港化賛成。
ムジャンマ・ワヘダットへ到着後、例によってまた人が全員乗るまで待たされる。
日本の交通機関に慣れるとやってられない。
ほとんど満員のマアーン(ペトラまでセルビスで30分)行きのバスと
5分の1くらいしか乗っていないペトラ最寄の町ワディ・ムーサ行きのバス。
マアーンのバスの人間は、こっちの方が早いと勧めてくる。
しかし、目的地と違うバスに乗ると結局余計に時間がかかり、さらにぼったくられそうなので、
結局、ワディ・ムーサ行きのバスで待つ事にする。
散々待たされた挙句、0740頃出発。3JD。
どうも周りの人間が2JDしか払っていないようだったが、私に3JD請求していても
周りの人間は普通の顔をしていたので、勘違いだと思い、3JD払う。
どっちが本当だったのだろう。
1200ちょっと前にワディ・ムーサに到着
とりあえず、宿にチェックイン。
体力的に疲れ果てていたので、少し高めの「ピースウェイホテル」に泊まる事にした。
しかし、ここが最悪だった。今までの旅の中で一番最悪。
*詳細は、クチコミ情報を参照して下さい。
腹を立てながらもオーナー(らしき人物)が言っていた、
翌日の土曜日は、バスは朝2本しかないという情報をワディ・ムーサのバスターミナルに確認しに行く。
ヨルダン人に英語が通じにくいのは知っていたので、東洋人っぽい人に話しかける。
おっとこの人も英語がほとんど通じない。
すると日本語で何か独り言を言っている。
おお!!もしや日本人??
日本語で話しかけるとめちゃくちゃ日本人だった。
感動だった。
日本を出発して、ドバイでトランジット後、1週間ぶりの日本人である。
さすがペトラ。世界的観光地。感動。
日本語で聞いてみたが、わからないみたいだったので、車掌らしき人物に英語で聞いてみた。
なんとか通じて、どうも明日も普通に何本もバスはあるらしい。
日本人に会った軽い感動とホテルオーナー(らしき人物)への腹立たしさを覚え、バスターミナルを後にする。
それにしても、街の中の住民もひどいもんである。
ホテルオーナー(らしき人物)同様、基本的に目は金、カネ、かね。
水を買ったら、お菓子も買え。買わないと言ったら、馬鹿にしてくる。
道を教えてくれと言ったら、まず商品を買えと言う。
突然、店に手を引かれ、引きずり込まれた事もある。
最低である。
ワディ・ムーサの中心からバスターミナル及びペトラ遺跡入り口まで1JDで地元民に乗せてもらった。
乗っている間、ちょくちょく値段をあげてくるが、その度にいつもと同じようにその場で降りる真似をすると、
元に戻る。
その繰り返し。それにしても、観光地だ。
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-
ペトラ遺跡到着直後、驚愕する事実が突きつけられた。
それがこの写真である。
---------------------------
Admission Fee To Petra
1Day 21.000 J.D.
2Days 26.000 J.D.
3Days 31.000 J.D.
Student Discount
1Day 10.500 J.D.
2Days 13.000 J.D.
3Days 15.500 J.D.
---------------------------
*US$1=0.7JD
地球の歩き方(04-05)には、1日11J.D.
う〜〜ん、旅の予定予算がどんどん狂ってくる。
少し高いけども2日券を買おうと思っていたが、高すぎる。
1日でUS$30!!
前日のイスラエル出国税もびっくりしたがこれも驚いた。
ここまでするか、ヨルダン政府。
仕方がないので、いつも持ち歩いている期限切れの国際学生証を見せてみる。
期限切れを指摘されて、アウト。
結局、見たことのない遺跡に2日券を買えないので、1日券にする。
しかし、USドルが使えない。
困ったので、その辺にいた韓国人団体旅行客に頼んで両替してもらった。
US$1=0.7JDで。
それにしてもシリアからヨルダン入国後、財布からどんどんドルが消えていく。
ヨルダンは、物価が高い。
国際学生証は、期限が切れても持ち歩くようにしている。
偽物を作ると文書偽造罪になるし、学生だと嘘をついても詐欺罪になる。
誰も捕まえないと思うけど。
しかし、期限切れでも見せると係員によっては、ディスカウントしてくれる。
その為、未だ持ち歩いている。
ペトラ遺跡の後、アンマンのクリフホテルで会ったブラジル人は、
私同様、期限切れの国際学生証を持っていて、
ペトラ遺跡の係員に遠めで学生証を見せて、さっさとしまったら、それでOKだったそうだ。
適当な係員だ。
彼はそれで2日券を買って、1日しか行かなかったそうである。
うまい事やったなあ。 -
ペトラ遺跡の入り口からしばらくは、
写真のような道が続く。
入り口直後には、乗るのが当たり前のように
ロバ乗り場があり、ひたすら勧誘される。
そう言えば、富士山もこんな感じか。
当然、私は歩いてペトラ遺跡の空気を全身で感じつつ、
進む事にした。 -
エルハズネまで続く1.5kmのシークの入り口。
いよいよ本格的にペトラ遺跡に入る。
エルハズネは、ペトラ遺跡群で最も有名な遺跡で、
インディジョーンズのロケが行われたところです。 -
スークの途中。
馬車やロバが通り過ぎていきます。
比較的涼しい。 -
奥に見えるのが、エルハズネ。
歩くと少しずつ見えてくる。
思わず走り出してしまいました。 -
エルハズネ到着!!
大きくてきれい。
彫刻も細かく、感動しました。
映画で見たあのままです。 -
エルハズネは、スークを抜けた直後よりも、
少し横から撮ったこの角度の写真の方が好きです。 -
エルハズネの中。
映画とは違い、中は何もないです。 -
エルハズネを抜けると、
写真のような遺跡がたくさんあります。 -
この上に上ると遺跡群が見渡せます。
ちょうどどこかの国のテレビ局が取材してました。
ふしぎ発見のような番組みたい。 -
ローマ円形劇場。
この辺りの地域の遺跡に行くと大体あります。
一度、こういった所に人を集めたイベントに参加したい。
日比谷の野音が似たような感じかな。 -
墓の遺跡。
ペルセポリスにあった墓も似たような形してました。 -
柱廊通から凱旋門。
ここを抜けると凱旋門があり、その先にレストランがある。
いかにも高そうなレストランとロバ乗り場。
さらに先には、エドディルというエルハズネに似た大きな遺跡がある。
エドディルまで行こうとしたら、レストランを過ぎた辺りに、
ガイド無しでは危険だから行くなと書いてある。
なるほど、だからここにロバ乗り場があるわけか。
さすがに迷ってしばらく考えていると、
他の外国人観光客は何も気にせず、どんどんガイド無しで進んでいく。
なので、私も人の後についていけば迷う事はないだろうと考え、
エドディルに向かう事にする。
ここのロバ乗り場もひどいもんである。
とにかく勧誘しまくってくる。うっとおしい。
面倒なので「No money!!」と言うと、
「No money, No honey!!」と言ってくる。
確かにNo honewだがお前らに言われる筋合いはない。
小学生高学年くらいの子供がたくさんおり、ずっとこんな感じ。
まじめに顔面を蹴ってやろうかと何度も考えた。 -
エドディルに行く途中の山道。
こういう道が延々と続く。
入り口付近で下りて来た観光客に何分くらいかかるか
聞くと、急いで35分くらいだそうだ。
それなら、まあ何とかなるだろう。
しかし、この後、何度も後何分くらい?って聞きまくった。 -
エドディル到着。
大きいエルハズネみたいな感じ。
作りも大きいが、その分、雑な作りと感じた。
きれいさは、エルハズネの方が上。
ここにたどり着いた時はとりあえずへとへとだった。 -
エドディル前のカフェというか店。
何も頼まず少し休憩させてもらった。
値段は、やっぱり高い。
富士山登山で1合上るごとに
ジュースが100円ずつ上がっていくのと同じだろう。 -
墓の遺跡。
柱廊通から凱旋門の写真の逆方向から。
エドディルから下りて来て、少し雰囲気が変わった。
何か日本人がやたらといる。
これまでこういう場所に来ると日本人の団体旅行と遭遇するケースがよくある。
しかし、数が多い。
不思議に思っていたら、次の場所で何故かがわかった。 -
墓の遺跡。
ここで大勢の日本人観光客の理由がわかった。
Peace Boatに乗っている人達だそうだ。
そのツアーに全部で3つのツアーがあり、
3つ全てがペトラ遺跡に来るそうだ。
全部で約2000人いるそうだ。
そりゃ、こんなに会うわけだ。
前にも書いたが、この旅始まって以来、
日本人とほとんど会っていない。
故に余計に驚いた。
墓の遺跡は、遠くで見るよりも近くで見る方が雰囲気があっていい。 -
墓の遺跡からの風景。
遠くに遺跡を見ながら、ぼぉ〜〜としてた。
Peace Boatに乗っている川崎からきたおじさんと
久々の日本語での会話。
日本語なのにすごく懐かしい感じがした。
帽子をかぶっているとはいえ、長時間炎天下にいた為、
熱中症気味になった。
帽子からでている耳は焼け爛れたようになっていた。
さすが沙漠のど真ん中。
気をつけなくては。 -
最後にエルハズネをバックに写真を撮りました。
この後、ワディ・ムーサまで歩いて帰った。
出口から約20分。
水が無くなり、水を買うもヨルダンの水は硬水。
口に合わない。まずい。
しかし、あまりにも喉が渇いている為、
一気に1リットルくらい飲み干す。
この日は、ワディ・ムーサ、ペトラのヨルダン人の態度に
あまりにも腹が立っていたので、1円も払いたくなく、
水とコーラ以外は何も食べない事を決めていた。
おかげで炎天下動きまくって1日でコーラ1本のみ。
ホテルに帰っても例のごとく最悪なので、
ホットシャワーはでない等々、
しかも抗議をすると腹が立つだけなので、
さっさと寝る事にした。
翌日は、早朝のバスでさっさとワディ・ムーサを後にする。
朝食も準備できているはずの時間に何も無い。
ひどいもんだった。
ペトラ遺跡以外は、非常に腹立たしい事が多かった。
街の雰囲気が良く、入場券がもっと安ければ、数日間かけて、
ゆっくりと見て回るのもいいかなとも思った。
昼前にアンマン到着。
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