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 アムステルダムという名前は、13世紀にアムステル候がアムステル川をダムでせき止めて、城を築いたことに由来するそうだ。14世紀には海運、商業都市として発展し宗教戦争の時代には宗教的迫害から逃れてきたユダヤ人を受け入れている。17世紀にはオランダ東インド会社が設立され世界最大の商業都市となり、レンブラントなどの芸術家もこの時代に輩出している。第2次世界大戦中はナチス・ドイツ軍に占領され、多くの亡命ユダヤ人の子孫が強制収容所に送られた国でもある。<br /> 到着した日はペンションを予約し、観光ボートで運河めぐりののち、美術館で「レンブラントの夜警」をじっくり鑑賞した。翌日は運河沿いを歩き、本を読み映画を見て関心が強かった「アンネの日記」の著者、アンネ・フランク(1929.6.12− 1945.3月頃)の隠れ家を訪ねた。第2次世界大戦の写真と説明がある部屋にはヒロシマの原爆の紹介があり、広島の子供達からは折り鶴が贈られていた。隠し扉になっている本棚の奥の部屋は「アンネの日記」の映画でもユダヤ人8人の不自由な生活を描いたシーンが印象に残っており、厳しい潜行生活を想像した。<br /> アンネ・フランクはドイツのフランクフルト・アム・マインにユダヤ人一家の末娘として生まれている。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を恐れ、一家とともにオランダのアムステルダムに移住。しかし1940年5月、ドイツ軍のオランダ占領により生活環境が一変。1942−1944年、フランク家を始めとした8人のユダヤ人は、隠れ家で潜行生活に入る。ここでの暮らしは2年に及んだが、やがて密告され、1944年8月4日ドイツ・アムステルダム駐留軍保安警察(SD)が隠れ家を急襲し、ユダヤ人8人全員が逮捕される。8月8日にヴェステルボルクのユダヤ人通過収容所に送られ1ヶ月を過ごした後に全員がポーランドのアウシュビッツ強制収容所に収監され、以後別々の強制収容所に送還される。アンネ・フランクはアウシュビッツ強制収容所に2ヶ月収監された後、姉のマルゴーとともにドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所に送還され、1945年の3月頃チフスによって僅か15年の短い生涯を閉じたといわれている。8人のユダヤ人のうち生き延びたのは、アンネの父オットー・フランク(1980年8月19日死去)だけである。1945年5月8日ドイツ敗戦による解放後、アムステルダムに戻ったオットー・フランクは、支援者から娘アンネの残した日記などの文書を遺品として渡された。オットーは日記をタイプし小冊子にしてごく少数の人達に配った。やがてこれが評判を呼び、1947年にはオランダ国内で出版され、その後世界各国で翻訳された。翻訳された言語は55ヶ国語、出版部数は2500万部を超えるといわれる。1942年6月12日のアンネ13歳の誕生日に父が贈った日記帳に2年間綴った「アンネの日記」の素晴らしさは、隠れ家のアンネをとりまく人々の苦しみや希望を生き生きと描く表現力と、「この日の光、この雲のない青空を生きてながめることができる限り、わたしは不幸ではない」という日記の言葉が示すように、アンネ自身が希望を持ち、死に直面していても常に前向きであったことが読者の心を打ったからではないだろうか。私は今年の5月にポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪問し、その悲惨さを目の当たりにしたが、アンネも2ヶ月間そこで苦しい生活を強いられたことを思うと心が痛む。アムステルダムでは戦争の悲惨さが最も印象に残った。<br /><br />(2006年11月の旅行記)<br />オランダのアムステルダム<br />http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10122991/<br /><br />オランダのデン・ハーグ<br />http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10123248/<br /><br />オランダ、ライデンのシーボルト・ハウス<br />http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10123463/<br /><br />オランダのザーンセ・スカンス<br />http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10123636/<br /><br />(写真はアンネ・フランクの隠れ家周辺の光景)<br /><br /><br /><br />

欧州バックパッカーの旅【17】 1971年のオランダ・アムステルダム

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1971/09/07 - 1971/09/20

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

アムステルダムという名前は、13世紀にアムステル候がアムステル川をダムでせき止めて、城を築いたことに由来するそうだ。14世紀には海運、商業都市として発展し宗教戦争の時代には宗教的迫害から逃れてきたユダヤ人を受け入れている。17世紀にはオランダ東インド会社が設立され世界最大の商業都市となり、レンブラントなどの芸術家もこの時代に輩出している。第2次世界大戦中はナチス・ドイツ軍に占領され、多くの亡命ユダヤ人の子孫が強制収容所に送られた国でもある。
 到着した日はペンションを予約し、観光ボートで運河めぐりののち、美術館で「レンブラントの夜警」をじっくり鑑賞した。翌日は運河沿いを歩き、本を読み映画を見て関心が強かった「アンネの日記」の著者、アンネ・フランク(1929.6.12− 1945.3月頃)の隠れ家を訪ねた。第2次世界大戦の写真と説明がある部屋にはヒロシマの原爆の紹介があり、広島の子供達からは折り鶴が贈られていた。隠し扉になっている本棚の奥の部屋は「アンネの日記」の映画でもユダヤ人8人の不自由な生活を描いたシーンが印象に残っており、厳しい潜行生活を想像した。
 アンネ・フランクはドイツのフランクフルト・アム・マインにユダヤ人一家の末娘として生まれている。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を恐れ、一家とともにオランダのアムステルダムに移住。しかし1940年5月、ドイツ軍のオランダ占領により生活環境が一変。1942−1944年、フランク家を始めとした8人のユダヤ人は、隠れ家で潜行生活に入る。ここでの暮らしは2年に及んだが、やがて密告され、1944年8月4日ドイツ・アムステルダム駐留軍保安警察(SD)が隠れ家を急襲し、ユダヤ人8人全員が逮捕される。8月8日にヴェステルボルクのユダヤ人通過収容所に送られ1ヶ月を過ごした後に全員がポーランドのアウシュビッツ強制収容所に収監され、以後別々の強制収容所に送還される。アンネ・フランクはアウシュビッツ強制収容所に2ヶ月収監された後、姉のマルゴーとともにドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所に送還され、1945年の3月頃チフスによって僅か15年の短い生涯を閉じたといわれている。8人のユダヤ人のうち生き延びたのは、アンネの父オットー・フランク(1980年8月19日死去)だけである。1945年5月8日ドイツ敗戦による解放後、アムステルダムに戻ったオットー・フランクは、支援者から娘アンネの残した日記などの文書を遺品として渡された。オットーは日記をタイプし小冊子にしてごく少数の人達に配った。やがてこれが評判を呼び、1947年にはオランダ国内で出版され、その後世界各国で翻訳された。翻訳された言語は55ヶ国語、出版部数は2500万部を超えるといわれる。1942年6月12日のアンネ13歳の誕生日に父が贈った日記帳に2年間綴った「アンネの日記」の素晴らしさは、隠れ家のアンネをとりまく人々の苦しみや希望を生き生きと描く表現力と、「この日の光、この雲のない青空を生きてながめることができる限り、わたしは不幸ではない」という日記の言葉が示すように、アンネ自身が希望を持ち、死に直面していても常に前向きであったことが読者の心を打ったからではないだろうか。私は今年の5月にポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪問し、その悲惨さを目の当たりにしたが、アンネも2ヶ月間そこで苦しい生活を強いられたことを思うと心が痛む。アムステルダムでは戦争の悲惨さが最も印象に残った。

(2006年11月の旅行記)
オランダのアムステルダム
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10122991/

オランダのデン・ハーグ
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10123248/

オランダ、ライデンのシーボルト・ハウス
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10123463/

オランダのザーンセ・スカンス
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10123636/

(写真はアンネ・フランクの隠れ家周辺の光景)



同行者
一人旅
一人あたり費用
100万円以上
交通手段
鉄道
  • アンネ・フランクの隠れ家周辺の光景。アンネもこのような雲の無い青い空を見たのかも知れない。<br />

    アンネ・フランクの隠れ家周辺の光景。アンネもこのような雲の無い青い空を見たのかも知れない。

  • アンネ・フランクの隠れ家。買って来た絵はがきをUP.

    アンネ・フランクの隠れ家。買って来た絵はがきをUP.

  • アンネ・フランクの隠れ家の隠し扉になっている本棚。買ってきた絵はがきをUP。

    アンネ・フランクの隠れ家の隠し扉になっている本棚。買ってきた絵はがきをUP。

  • 、観光ボートでの運河めぐりの絵はがき。

    、観光ボートでの運河めぐりの絵はがき。

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