2005/06/01 - 2005/06/07
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さすらいおじさんさん
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大連港からは1945年8月15日の終戦後から約5年間に、旧満州で生活していた開拓日本人のうち約20万人が引き上げ船で帰国している。日本は1945年までに約32万人を開拓民として満州に送り出しているが、1945年8月にソ連軍が満州を侵攻した時に日本軍は軍関係者を保護したものの、開拓民を保護せずに撤退している。そのためにハルピン編で紹介したなかにし礼の「赤い月」で描かれているように、開拓民は悲惨な目にあっている。
開拓民は中国人の襲撃を受けたり処刑されたりし、集団自決した人達もいる。また、食べ物が得られずに栄養失調で死亡したり、飢餓により不衛生な食べ物や水を飲食して伝染病にかかり死亡した人達も多いそうだ。このような地獄の中、着の身着のまま引き上げ船に駆け込んだ人の中には子供を置き去りにしたり中国人に売ったりしなければならない人も多かった。日本と中国は1972年に国交回復するが残留孤児の調査を本格的に始めたのは1981年からで永住帰国が本格化したのは1986年からだ。永住帰国した在留邦人(終戦当時13歳未満を残留孤児、13歳以上を残留婦人等と呼ぶ)の合計は約6000人で家族を含めると約2万人。しかし、中国にはまだ数万人が残留しているだろうと予測されている。さらに、日本に帰国した残留孤児達は日本語のできない人達に対する日本語教育、職業斡旋、生活支援など日本の補償制度が整備されていないことを不満とし、補償制度確立を求めてデモ、集会を行ったり、訴訟問題になったケースも起こっている。現在、北朝鮮の拉致問題がクローズアップされているが、現在ではあまりマスコミが取り上げない中国の残留孤児・婦人問題も解決していない。
残留孤児達は親に捨てられ中国で苦労し、日本に戻っても生活苦にあえいでいる。第2次世界大戦終戦後、60年になるが依然として戦争の傷跡は消えていない。
旧満州の旅は7日間の短いものだったが各地で戦争の悲惨さを再認識させられた。ひとたび戦争に巻き込まれると、その傷を回復するためには数十年から数百年も要する。そのことを私達は肝に命じなければならないことを痛感させられる旅であった。
(写真は20万人の日本人が引き上げた現在の大連港)
=中国・旧満州の旅 完=
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