2005/04/18 - 2005/04/18
131位(同エリア176件中)
ソフィさん
セーヌ河河口、ヨーロッパ切っての貿易港、ル・アーヴルに、マルロー美術館がある。
1961年、時の文化大臣アンドレ・マルローの指揮で開館。
ル・アーヴルは、「印象派」という言葉の由来となった「印象・日の出」が描かれた町である。
マルロー美術館は、もともと印象派の作品が充実している。
ルノワール、モネ、ピサロなど美術史的に重要な作品がウージェーヌ・ブーダンの兄弟やラウル・デュフィーの夫人など画家の遺族から寄贈を受け、コレクションを充実させてきた。
今回新たに、大コレクションが寄贈され、その展示を大幅に拡大した。
この寄贈作品の大半が、印象派やナビ派、フォービズムの作品。
ボナール、ブーダン、クールベ、コロー、ドラン、ルノワール、ピサロ、マチス、モネなど巨匠のものである。
マルローの経歴は波乱に富んでいる。
1901年パリに生まれ、両親は子供のころに離婚、母親と祖母に育てられ、父は自殺。
東洋語学校に入学し東洋の言語を学びながら芸術家と交わり、学校は卒業しなかった。
裕福な妻と結婚したが、妻の財産を株式投資につぎ込んだところ、株価暴落によって破産。
その後、当時フランスの植民地だったカンボジアに住み、盗難で禁固1年半。
フランス植民地当局に極めて批判的で、新聞「鎖に繋がれたインドシナ」を創刊。中国国民党とも関係をもった。
1926年に最初の小説『西洋の誘惑』を書き、1933年ゴンクール賞受賞。
1936年スペイン内乱に義勇兵として共和国派に参加。空軍パイロットとして二度負傷。
1939年第二次世界大戦にはフランス軍に入り、戦車部隊に勤務したが、1940年に捕虜。
脱走後レジスタンス運動に身を投じた。
1944年アルザス・ロレーヌ旅団司令官となり、この功績で戦後レジスタンス勲章や戦争十字勲章を授与。
1945年8月ドゴール将軍に出会って肝胆相照らす仲となり、1945年フランス臨時政府の情報相に任命。1960年から1969年にかけて文化相に在任。
文化相時代、パリの黒ずんだ建物を磨いたことで有名。
1976年に死去。没後20年目1996年、フランスの偉人を祀るパンテオンに改葬。
展示の一部は、ノルマンディ【10】をご覧下さい。
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