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スペインのマドリードから十数時間、リスボン特急は国境を越えるとやがて低木のコルクの木々や、オリーブの木々のプランテーション地帯を縫うように走り抜けポルトガルのリスボンに到着したのは翌朝だった。列車から降りる時からスペインとは空気の何処と無く違う柔らかさを感じた。それはポルトガルの人々が発する人当たりの柔らかさ、或いは何処となく控え目な風情を感じさせるポルトガル人の国民性が柔らかい雰囲気をもたらしていたのか・・と気付くのに時間はかからなかった。ギラギラとした感じのスペイン人とは明らかに違った風情がポルトガル人とポルトガルの間にはあった。 <br /><br />ポルトガルの闘牛は牛にトドメを刺さない事でも知られている。スペインのように牛を殺生すると云う事をしないのである。 <br />その事はスペイン人とポルトガル人の国民性の違いを現わす時の喩えになっている程だった。 <br /><br />駅内のツーリストインフォメーションで首尾よくリスボンの市内地図を手に入れた私は、行く先も考えず、市内に向かうであろうバスに飛び乗った。地図で確認しながら街の中心地であるロッシオ広場でバスを降りた私は広場に面した一角に安宿を見つけた。ドル換算で3ドル程の4階建てのビルの一角を旅籠にした安宿だった。この宿の娘達がとても人懐っこく、或いは日本人を珍しがってなのか、ポルトガル語を箇条書きにして幾つかの必要な単語を次々とレクチャーしてくれた。 旅装をといた私は覚えたてのポルトガル語のメモを手に早速に街歩きに出かけた。 <br /><br />ロッシオ広場から幾つか放射線状に延びる道の一つがリベルダーデ通りだった。その道脇で路上販売をしている人々がいる一角があった。 <br />雑誌、新聞を路上販売している傍を通ったとき、音楽雑誌っぽい表紙に大きな文字で<Tsutomu・Yamashita>と書かれているのを見かけた。その雑誌を開いてみると大きな<山下ツトム>のピンナップ画像が添付されているのを見て、当時、世界的な打楽器奏者として海外の方で良く知られていると云われていた山下ツトムの人気ぶりを改めて知った。 <br /><br />更にその一角で東洋人らしい20代半ばと思しき青年が路上に手作りアクセサリーを販売しているのを見かけた。何処かで見覚えのある顔貌と髪型だった。今でいえばシンセサイザー奏者の喜多朗に瓜二つだった。 <br />何処かで確かにその顔を見た記憶があったが何処で観たのか思い出せないでいた。 <br />座り込んで販売しているその男に正対するように私も座り込んで改めて顔を見たとき、その顔を何処で見たのかクリアーに思い出す事が出来た。 そうだ・・あの時、この顔を見たんだ! と・・・ <br /><br /> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  <br /><br />それは数ヶ月前にドイツ・フランクフルトのユースホステルに向かう為に中央駅前の市電の停留所でザックを傍らに市電を待っていた私にボブ・ディランに良く似た風貌の男が親しげに話し掛けてきたことから始まる。曰く、俺もユースホステルに向かうところだ、お前は日本人だろ?俺はジュエリー販売をしているんだけど、そのジュエリー加工の技術を丁寧に教えてくれたのが日本人なのさ、本当にいい奴なんだ!俺のベストフレンドさ!と云いながら彼の小さなバッグから大事そうに一枚の写真を取り出して見せた。ジュエリー販売をするような男が何故ユースホステルに泊まるのか合点がいかなかったが、その時に見せてもらった証明写真サイズの人物こそが今、目の前で路上販売をしている男だったのだ。 <br /><br />数日間のフランクフルト滞在で、このボブディランに良く似た男パキスタン人、Quemとは相部屋になったこともあり親しくなっていった。幾度も一緒に食事に出かけた。とても美味しくて安いアメリカンレストランに行こうと誘われて一緒に出掛けてみたら、それはマクドナルドの事だった。(・・;)<br />フランクフルトのユースホステルのすぐ裏手はザクセンハウゼンのワイン酒場街だったが、ある晩にワイン街に出かけると、突然に路上でアクセサリー販売をしている男から大きな声で名前を呼ばれた。Quemだった。その時に初めて<宝石商>がユースホステルに居る事の不思議さの辻褄があった。ユースホステルのフロントに宝石が入っているからと預けたショルダーバッグの中身はこれだったのかぁ・・ (*^_^*)<br /><br />彼の話を改めて聞けば、三連泊までしか滞在出来ないユースホステルに連泊後、市内の安宿に一泊して、再びユースホステルに三連泊を繰り返すという事を続けながら、もう半月近くフランクフルトに滞在しているという。この男、人当たりの良い気持ちのいい奴だった。 <br /><br />更にその二ヶ月後、私はフェリアと呼ばれる春祭りで沸くスペインのセビリアでこのQuemと再会することになる。<br />行商が連なる歩行者天国の路上にて店を冷やかしながら歩いていると、突然に誰かに背後から目隠しをされた。「俺は誰だ?俺はだ〜れだ?」と笑い声を上げながら、誰かが背後から両手で目隠しをするのである。手を振り解くと満面の笑みを浮かべたボブ・ディランの風貌を持つパキスタン人Quemがそこにいた。縁あって彼の行商の手伝いをしばらくすることになった。彼はあきらかに日本人に強いシンパシーを感じていたようである。それは勿論、このアクセサリー加工の技術を教えてくれたのが日本人だったからという事に他ならない。 <br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br /><br />私は目の前に居る喜多朗氏に唐突に尋ねた。 <br />「もしかして貴方の行商仲間でパキスタン人のQuemと云う男を<br />ご存知ではないですか?」 <br />彼は文字通り目が点になるが如くに驚いた表情で<br />私を見つめ反問した。 <br />「どうしてアナタが自分とQuemの事を知ってるの??」 <br />私はフランクフルトでの事を伝えてQuemがアナタにとても恩義を感じていて、あなたの写真を大事に持っていた事などを手短に話した。 <br />数週間前にセビリアで偶然、Quemと再開した事も話すと喜多朗氏は更に驚いた表情を浮かべた。 <br />「奴は今スペインに居るのか・・もう二年以上も遇っていないよ」と吐呟いた。 <br />「Quemは相変わらず危ないモノも取り扱ってるの?」私は黙って頷いた。このパキスタンのボブ・ディランはハッシシだけでなく白い粉末まで行商仲間に小分けしているのを何度も目撃していた。 <br /><br />「しかし・・とても不思議な話だなぁ・・ 俺はアンタの事など何も知らない、でも初めて会ったアンタは俺の事もQuemの事も知ってるなんて・・」 <br />「そうですね、、不思議ですよねえ。ところで儲かりますか?」 <br />「いや、ここでは喰うのがやっとですね・・」 <br /><br />そんな会話を交わした刹那だった。この喜多朗氏が目配せしながら、アクセサリーを物凄い勢いで片付け始めた。事情の飲み込めない私は「おまわり?」と尋ねると「そうだ」と彼は短く答えた。スペインでも警官が小遣い稼ぎにショバ代をしばしば徴収に来たものである。 <br />行商の針金師の使うテーブルは二つ折に畳むと鞄に早変わりする。 だから平べったい鞄をもって歩いているのは針金師だなとすぐに判る。素早く片付けを終えた喜多朗氏は車の往来の激しい大通りを縫うように走り出し私の視界からやがて消えていった。 <br />「じゃ〜また!」という言葉を残して・・・ <br /><br />あれから四半世紀以上経った。彼は今、何処で何をしているんだろうとふと思う。 <br />行商仲間だったQuemと喜多朗の間を行ったり来たりしていた私は何だったのだろう? <br /><br />参照・・・<針金師>;路上販売で手作りアクセサリーなどを加工販売する行商の総称  <br /><br />

リスボンの針金師

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kio

kioさん

スペインのマドリードから十数時間、リスボン特急は国境を越えるとやがて低木のコルクの木々や、オリーブの木々のプランテーション地帯を縫うように走り抜けポルトガルのリスボンに到着したのは翌朝だった。列車から降りる時からスペインとは空気の何処と無く違う柔らかさを感じた。それはポルトガルの人々が発する人当たりの柔らかさ、或いは何処となく控え目な風情を感じさせるポルトガル人の国民性が柔らかい雰囲気をもたらしていたのか・・と気付くのに時間はかからなかった。ギラギラとした感じのスペイン人とは明らかに違った風情がポルトガル人とポルトガルの間にはあった。

ポルトガルの闘牛は牛にトドメを刺さない事でも知られている。スペインのように牛を殺生すると云う事をしないのである。
その事はスペイン人とポルトガル人の国民性の違いを現わす時の喩えになっている程だった。

駅内のツーリストインフォメーションで首尾よくリスボンの市内地図を手に入れた私は、行く先も考えず、市内に向かうであろうバスに飛び乗った。地図で確認しながら街の中心地であるロッシオ広場でバスを降りた私は広場に面した一角に安宿を見つけた。ドル換算で3ドル程の4階建てのビルの一角を旅籠にした安宿だった。この宿の娘達がとても人懐っこく、或いは日本人を珍しがってなのか、ポルトガル語を箇条書きにして幾つかの必要な単語を次々とレクチャーしてくれた。 旅装をといた私は覚えたてのポルトガル語のメモを手に早速に街歩きに出かけた。

ロッシオ広場から幾つか放射線状に延びる道の一つがリベルダーデ通りだった。その道脇で路上販売をしている人々がいる一角があった。
雑誌、新聞を路上販売している傍を通ったとき、音楽雑誌っぽい表紙に大きな文字で<Tsutomu・Yamashita>と書かれているのを見かけた。その雑誌を開いてみると大きな<山下ツトム>のピンナップ画像が添付されているのを見て、当時、世界的な打楽器奏者として海外の方で良く知られていると云われていた山下ツトムの人気ぶりを改めて知った。

更にその一角で東洋人らしい20代半ばと思しき青年が路上に手作りアクセサリーを販売しているのを見かけた。何処かで見覚えのある顔貌と髪型だった。今でいえばシンセサイザー奏者の喜多朗に瓜二つだった。
何処かで確かにその顔を見た記憶があったが何処で観たのか思い出せないでいた。
座り込んで販売しているその男に正対するように私も座り込んで改めて顔を見たとき、その顔を何処で見たのかクリアーに思い出す事が出来た。 そうだ・・あの時、この顔を見たんだ! と・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

それは数ヶ月前にドイツ・フランクフルトのユースホステルに向かう為に中央駅前の市電の停留所でザックを傍らに市電を待っていた私にボブ・ディランに良く似た風貌の男が親しげに話し掛けてきたことから始まる。曰く、俺もユースホステルに向かうところだ、お前は日本人だろ?俺はジュエリー販売をしているんだけど、そのジュエリー加工の技術を丁寧に教えてくれたのが日本人なのさ、本当にいい奴なんだ!俺のベストフレンドさ!と云いながら彼の小さなバッグから大事そうに一枚の写真を取り出して見せた。ジュエリー販売をするような男が何故ユースホステルに泊まるのか合点がいかなかったが、その時に見せてもらった証明写真サイズの人物こそが今、目の前で路上販売をしている男だったのだ。

数日間のフランクフルト滞在で、このボブディランに良く似た男パキスタン人、Quemとは相部屋になったこともあり親しくなっていった。幾度も一緒に食事に出かけた。とても美味しくて安いアメリカンレストランに行こうと誘われて一緒に出掛けてみたら、それはマクドナルドの事だった。(・・;)
フランクフルトのユースホステルのすぐ裏手はザクセンハウゼンのワイン酒場街だったが、ある晩にワイン街に出かけると、突然に路上でアクセサリー販売をしている男から大きな声で名前を呼ばれた。Quemだった。その時に初めて<宝石商>がユースホステルに居る事の不思議さの辻褄があった。ユースホステルのフロントに宝石が入っているからと預けたショルダーバッグの中身はこれだったのかぁ・・ (*^_^*)

彼の話を改めて聞けば、三連泊までしか滞在出来ないユースホステルに連泊後、市内の安宿に一泊して、再びユースホステルに三連泊を繰り返すという事を続けながら、もう半月近くフランクフルトに滞在しているという。この男、人当たりの良い気持ちのいい奴だった。

更にその二ヶ月後、私はフェリアと呼ばれる春祭りで沸くスペインのセビリアでこのQuemと再会することになる。
行商が連なる歩行者天国の路上にて店を冷やかしながら歩いていると、突然に誰かに背後から目隠しをされた。「俺は誰だ?俺はだ〜れだ?」と笑い声を上げながら、誰かが背後から両手で目隠しをするのである。手を振り解くと満面の笑みを浮かべたボブ・ディランの風貌を持つパキスタン人Quemがそこにいた。縁あって彼の行商の手伝いをしばらくすることになった。彼はあきらかに日本人に強いシンパシーを感じていたようである。それは勿論、このアクセサリー加工の技術を教えてくれたのが日本人だったからという事に他ならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私は目の前に居る喜多朗氏に唐突に尋ねた。
「もしかして貴方の行商仲間でパキスタン人のQuemと云う男を
ご存知ではないですか?」
彼は文字通り目が点になるが如くに驚いた表情で
私を見つめ反問した。
「どうしてアナタが自分とQuemの事を知ってるの??」
私はフランクフルトでの事を伝えてQuemがアナタにとても恩義を感じていて、あなたの写真を大事に持っていた事などを手短に話した。
数週間前にセビリアで偶然、Quemと再開した事も話すと喜多朗氏は更に驚いた表情を浮かべた。
「奴は今スペインに居るのか・・もう二年以上も遇っていないよ」と吐呟いた。
「Quemは相変わらず危ないモノも取り扱ってるの?」私は黙って頷いた。このパキスタンのボブ・ディランはハッシシだけでなく白い粉末まで行商仲間に小分けしているのを何度も目撃していた。

「しかし・・とても不思議な話だなぁ・・ 俺はアンタの事など何も知らない、でも初めて会ったアンタは俺の事もQuemの事も知ってるなんて・・」
「そうですね、、不思議ですよねえ。ところで儲かりますか?」
「いや、ここでは喰うのがやっとですね・・」

そんな会話を交わした刹那だった。この喜多朗氏が目配せしながら、アクセサリーを物凄い勢いで片付け始めた。事情の飲み込めない私は「おまわり?」と尋ねると「そうだ」と彼は短く答えた。スペインでも警官が小遣い稼ぎにショバ代をしばしば徴収に来たものである。
行商の針金師の使うテーブルは二つ折に畳むと鞄に早変わりする。 だから平べったい鞄をもって歩いているのは針金師だなとすぐに判る。素早く片付けを終えた喜多朗氏は車の往来の激しい大通りを縫うように走り出し私の視界からやがて消えていった。
「じゃ〜また!」という言葉を残して・・・

あれから四半世紀以上経った。彼は今、何処で何をしているんだろうとふと思う。
行商仲間だったQuemと喜多朗の間を行ったり来たりしていた私は何だったのだろう?

参照・・・<針金師>;路上販売で手作りアクセサリーなどを加工販売する行商の総称 

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この旅行記へのコメント (13)

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  • mimiさん 2012/09/11 19:16:52
    こんばんわ
    kioさん

    初めまして。この度は、ご訪問&コメントまでいただきましてありがとうございました。

    お返事が遅れまして申し訳ありません。
    ポルトガルの印象が同じとのこともあり、kioさんの不思議な出会いと別れののお話、とっても興味深く拝見させていただきました。一生で出会える人の数には限りがあると思いますが、近くにいてもただ通り過ぎるだけの人もあるのに、遠く遠く離れた土地での出会いと別れ…なんとドラマチックなんでしょうか。決して偶然ではなく、やっぱりそこには「ご縁」があるんだと思います。時間を経ても忘れられない出会いがある…やっぱり旅っていいなあと改めて思った次第です。

    これからもちょくちょく訪問させていただきます。
    ありがとうございました。

    mimi

    kio

    kioさん からの返信 2012/09/13 20:45:52
    RE: こんばんわ
    mimiさん こんばんわ
    書き込みと投票頂き、ありがとうございます!

    <リスボンの針金氏>を読んで頂いたのですね
    自分はスペインも好きだったけど、それ以上に
    ポルトガルに惹かれましたね
    街の佇まいと風情、人々の何処となくシャイで控えめな印象、
    無論、短い滞在だったので表層的な部分をなぞっただけかも
    知れませんが、そんな印象を持ちました、

    実はリスボンでは、針金氏の他にかなりミステリアスな
    感じの青年とも出会って、その事が実はリスボンで一番印象的だったのです。
    http://4travel.jp/traveler/kio/album/10030832/
    ↑ <リスボンのハヤシ君の事>というタイトルです。
    良かった読んで頂ければ嬉しいです。

    日常の日々では出逢いと別れなど、頻繁にあるわけも無いのに、
    非日常の旅先ではかくも頻繁に出逢いと別れの繰り返し、、
    バリアフリーな一人旅の成せる業かと思います。
    ツアーだったら、有り得ないかも?

    自分にとってはリスボン=ハヤシ君という括りで
    もはや記号化されている感じです(*^_^*) 

    mimiさんのサイトにもまた寄らせていただきます。
    では では〜

  • ginさん 2007/04/25 06:30:34
    二人の喜多郎
    今晩はkioさん,今此方は夜の11時頃です.書込みは始めてなので始めましてからですかねぇ(苦笑).kioさんのポルトガルの針金師を読んで思いだす人物が二人居るんです,一人は一九七四年の暮れにイスタンブールからインドのデリーまで行く当時マジックバスとよばれていた長距離バスで一緒だった男,彼は背が高く痩せ型で頬骨がちょっと出ていて喜多郎そっくりでした.バスはイランのどこかの田舎でぶっ壊れ私と同行だった名古屋のkさんとローカルバスをのりつぎインドのデリーまで行きました,例の男ととはそこまででしたが...もう一人は新潟出身の大柄な男で髪は長く優しい顔つきの男で一九七五年の夏頃はコペンハーゲンで針金細工を売っていました,彼はギターを持っていたのを覚えています当時の顔は今でも覚えています,実は私も当時は針金師だったのです.kioさんの昔話を読んでいると気持ちは当時の世界へタイムスリップして読み終えるとハッと我に返り当時が懐かしく成ります.gin

    kio

    kioさん からの返信 2007/04/28 00:04:48
    RE: 二人の喜多郎
    ginさん はじめまして! 
    書き込み有り難うございます。
    そしてdeepでコアな話題も有り難うございます。
    1974年というと沢木氏が<深夜特急>の旅に出た年と
    そっくり被りますね。
    ルー大柴も高校出てすぐに欧州に向かい針金師をやっていたのも
    その同じ時期の頃らしいですよん。
    バックパッカーが細面で長髪で髭を生やしていると、
    誰もが普通に喜多朗的な顔になってしまいますよね(*^。^*)

    自分は時々思い出します。あの頃出逢った奴等、今も
    この地球上で日々の暮らしを過ごしてるんだろうなと・・

    ginさん 今アジアの片隅ですか?
    ナイスな日々を過ごされていますね。
  • sunnyさん 2006/12/01 23:12:34
    自分が主人公に
    kioさん

    ポルトガルでの不思議な出会い、読ませていただきました。
    私がYHで読書をしながら至福の時を過ごしていた国での出来事ですね。
    読みながら自分がkioさんのいた時代に足を踏み入れた気がしました。ネバーエンディングストーリーのように。

    ところでやっとの思いで『深夜特急』読み終わりました。
    男の方の一人旅は、女性のそれとはまた違った一面があるのだと強く感じました。
    ただ次に生まれ変われるとしたら、今は女性かな。
    イスラムの世界では夫以外の男性が見られない、女性の神秘の世界がたくさんありますもの^^

    sunny321

    kio

    kioさん からの返信 2006/12/02 22:08:08
    RE: 自分が主人公に

    sunny321さん こんばんわ〜
    書き込み有り難うございます。
    ポルトガル編を読んでくれたのですね
    <リスボンの針金氏>を読んでくれたのかなと思います。


    ポルトガル、自分にとっては忘れがたい、とても短い間の
    出逢いと別れの記憶があります。
    同じイベリア半島でもスペインは原色のギラギラ感ありて
    一方、ポルトガルはセピアな土色<つちいろ>な風合いでした。
    そんなリスボンの街で遭遇した不思議な青年の事を短い文章に書いた
    <リスボンのハヤシ君>編にも目を通して貰えれば嬉しいです。
    自分が書いた旅行記の中でも一番に思い入れのある文章です。 d(⌒o⌒)b♪


    >ところでやっとの思いで『深夜特急』読み終わりました。
    男の方の一人旅は、女性のそれとはまた違った一面があるのだと強く感じました。
    ただ次に生まれ変われるとしたら、今は女性かな。
    イスラムの世界では夫以外の男性が見られない、女性の神秘の世界がたくさんありますもの^^


    代表的な影響を与えた海外放浪記として1960年代の<何でもみてやろう>
    70年代の<青年は荒野をめざす>
    そして80年代の<深夜特急>と云われていますね。
    自分も60年代、70年代を代表する両作品には大きな影響を受けました。
    海外一人旅への夢を大きく膨らましていったものでした。

    自分は生まれ変わっても男でいたいでっす(^-^;



    sunny

    sunnyさん からの返信 2006/12/02 23:33:23
    ミコノスとハヤシ君
    kioさん、こんばんは。
    ミコノスとリスボンのハヤシ君を読ませていただきました。

    ミコノス編、恐怖ではらはらしっぱなしでした。
    そのままプロレスラーにどうにかなっちゃったのかと思うと・・・。
    太陽の照りつける楽園で、背筋が凍る体験されましたね。
    実はそんなkioさんが恐怖体験をされたミコノスで私も追いかけられた経験が。
    相手は島で人気のペリカン君でしたけどね(笑)

    そしてハヤシ君。
    表紙の写真がモノクロだったのも最高の演出でほろっと来てしまいました。
    言葉の通じない時のジェスチャー交えた日本語の会話。
    窓から手をふるハヤシ君。
    貴重な青春の一ページですね。
    ハヤシ君、今もリスボンのどこかで暮らしてるんでしょうか。

    旅はやめられないですね。

    sunny321

    kio

    kioさん からの返信 2006/12/03 21:39:06
    RE: 自分が主人公に
    >ミコノス編、恐怖ではらはらしっぱなしでした。
    そのままプロレスラーにどうにかなっちゃったのかと思うと・・・。

    はいっ きっと違う人生を歩んでいたかもしれません(^-^;
    あんがい そちらの人生の方が愉しかったりして(゜゜;)\(--;)ォィォィ(゜

    >実はそんなkioさんが恐怖体験をされたミコノスで私も追いかけられた経験が。
    相手は島で人気のペリカン君でしたけどね(笑)

    ペリカンの寿命ってどのくらいなんだろう、、
    1978年当時にもミコノス島でペリカン君と遭遇した記憶が
    おぼろげながらもあるんですよね。
    当時、日本では既に販売されていなかったMAZDA製の小型オート三輪の
    新車が島中を走り回っていましたよ。


    >ハヤシ君、今もリスボンのどこかで暮らしてるんでしょうか

    ハヤシ君、、今思い返すと、テニスのマイケル・チャンに似た
    青年でした。今もリスボンでオヤジになっても同胞っぽい東洋人に
    声を掛けていたりして? ま、まさかねぇ、、(^_^;)

    でも迷子のプロさんも書き込みしていたけど、今だったら絶対に声を
    掛けられても付いていかないですよね。遣り取りしている中で
    言葉通じずでも相手の人柄とか見えてくるもの、感じるものがあったという
    ことなんだろうな。(^^;)
  • ちょめたんさん 2006/06/16 22:36:17
    今晩は
    風に吹かれて放浪するkioさんは誰なんでしょうね?
    マクドナルド確かに地図ではRのマーク付いていますね。

    kio

    kioさん からの返信 2006/06/17 21:46:36
    マクドナルドはアメリカンレストランなり(・・;)
    ちょめたんさん こんばんわ〜

    「リスボンの針金師」に投票いただき 有り難うございますm(._.)m ペコッ
    パキスタン人のQuemとは帰国後も何度か手紙の遣り取りをしていました。
    住所不定の彼の宛先はいつも中央郵便局留めでしたけど。

    中央郵便局と云うくらいだから、たいてい街の中心地にあって
    アクセスも便利なんですよね
     自分も旅先で受け取る日本からの手紙は
    C/O Central Post Office宛てがほとんどでした

    ちょめたん

    ちょめたんさん からの返信 2006/06/17 23:02:42
    RE: マクドナルドはアメリカンレストランなり(・・;)
    いろいろなところでお友達楽しそうですね。本当に素敵な人生ですね。
  • チビケイさん 2005/03/27 00:21:40
    面白いです(^^)
    こんにちわ。kioさん。バンコック?〜?まで全部読んでしまったし・・タイのお話しも読みましたよぉ〜そして今度は‘針金師’ホント全部面白かったです。

    実話はやはり説得力があるし次は、次はと、思ううちに読み終わってしまいました(*^^)v

    今日の読書タイムは終わりにしてまたお邪魔させて頂きますm(__)m

    kio

    kioさん からの返信 2005/03/27 01:01:59
    同時間帯に互いの掲示板に書き込みをいれていたようで(笑)
    チビケイさんの掲示板にせっせと書きこみして
    自分の板に戻って見たら、チビケイさんの書き込みが在って
    タマゲタ(笑)
    旅文読んで頂きありがとうございます。
    ストックはまだまだあるので、アップも容易です。
    今度はハンガリー・ブタペストの旅文をアップしたいと
    思っています。 

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