1999/08/01 - 1999/08/06
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フランシスコさん
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日本人を初めて見た西洋人とはかのフランシスコ・ザビエルで、1547年、マレー半島のポルトガル領(当時)マラッカである。日本人の名はアンジロウ(ヤジロウとも)という薩摩の郷士。
ザビエルはアンジロウに触れて、日本人の貧しさを恥辱と思わない誇り高さ、知的向上心、倫理的な生活観に感銘する。ポルトガル及びローマ教会にもその旨報告し、日本およびその文化的な「母国」と思われた中国へのカトリック布教を決意する。
先ずはマラッカへ行ってみたい、ザビエルとアンジロウが初めて対面した丘に立ってみたいと、ずっと前から思っていた。
本当はインドのゴアにも行きたかったのだが、ヒンズー教の聖年とカトリックの聖年(ことにザビエルがらみ)で、アクセスも宿泊もままならないとのことで諦めた。北インドならいくらでもツアーなんかがあるのに。悔しいー。
でも、いつかは「黄金のゴア」と言われた廃墟へいくぞ。
こちらにも旅コンテンツあります。
http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp
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セント・ポールの丘に上りながら振り返るとマラッカ川に復元されたオランダ船が見える。
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1547年12月、アンジロウが苦難の末マラッカにやってきたとき、ザビエルは結婚のミサを執り行っている最中だった。彼はこんなザビエルに迎えられたんだろうか。
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今やすっかり屋根の崩れ落ちたセント・ポール教会。1521年、ポルトガル人の手で建てられた。
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会堂の壁面。苔むした跡は450年の歳月を感じさせる。
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1552年12月3日午前2時、二人の従僕に看取られながら、ザビエルは広東港外の上川島(サンチョワン)で没する。
仮埋葬されていた遺体は、2か月後、マラッカに向かうために墓から出された。腐敗もせず、「生けるがごとき」微笑をたたえていたという。
マラッカに着いたのが1553年3月22日、市民総出でザビエルを迎えた。
その後、12月の末まで、ザビエルは懐かしいセント・ポール教会の写真の入口下に埋葬されていた。 -
インドのポルトガル領ゴアに移送するために墓を開いたところ、ザビエルの遺体は、相変わらず生前から何の変化も見られなかった。
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ザビエルが眺め、ここで学んでゴアの学院に移ったアンジロウにとっても見慣れた船着き場の風景だ。
ザビエルが日本各地に宣教に廻る間に、鹿児島に残されたアンジロウは失踪、その後の行方は分からない。中国沿海で倭寇の群れに入り、中国の官憲に殺されたという説もある。 -
荒れ果てた会堂。一時はヒッピー(懐かしい!)なんかのねぐらになっていたようだが、今はひっそりとしたたたずまいである。
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今や教会をねぐらにしているは数匹の痩せた野良猫。
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丘の麓から教会を見上げる。
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ザビエル、アンジロウのいた頃、この敷地内には神学校があって、アジアの様々な人種の若者がラテン語やカトリックの教理を学んでいた。
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丘の麓に残るサンチアゴ砦。
ポルトガルがマラッカを占領した1511年に築かれている。東洋一の要塞だった。
今残るのは、1670年にオランダが再建した門。
1807年、イギリスが要塞を破壊しつくし、面影はここにしかない。 -
サンチアゴ砦からセント・ポール教会を見上げる。
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今もインドのゴアの聖パウロ教会に安置されているザビエルの遺体には右腕がない。
死後も腐敗しなかった証拠に、切り落とされてローマに送られたためだ。
この「証拠」もあって、ザビエルは聖人に列せられるのだが……。
もういっぺん、セント・ポール教会のザビエル像を見てほしい。
像も、右腕がもげている!!
偶然とは言え、怖い、切ない。
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