正雅堂さんへのコメント一覧全1件
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池田光政は鳥取から岡山に転封
池田光政は元和2年(1616年)父・利隆の死により姫路藩42万石の藩主となり、当初は幸隆(よしたか)と名乗った。翌元和3年(1617年)幼少を理由に鳥取藩32万5000石に転封となる。元和9年(1623年)3代将軍徳川家光の偏諱を拝受し光政と名乗る。
寛永9年(1632年)岡山藩主・池田忠雄(光政の叔父)が死去し、従兄弟で忠雄の嫡男・池田光仲が幼少のため山陽道の要所岡山を治め難いとし、光政が岡山藩31万5000石へ、光仲が鳥取藩32万5000石に国替えとなった。
鳥取池田藩として幕末まで因幡・伯耆二国を治めたのは輝政と家康の娘・富子の子であり将軍家の外戚で親藩格である忠継・忠雄の家系の光仲です。



