ハン・ミュンデン:"わたしが鉄ヒゲ博士(ドクター・アイゼンバルト)Ich bin der Doktor Eisenbarth"
4.0
旅行時期:2019/09(約5年前)
<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水... 続きを読む)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃
④鉄ひげ博士の家:Lange Str. 79
鉄ひげ博士の家は旧市街のメインストリートのランゲ通り79番地にある。
ランゲ通りは直線で300m程度の通りだが両側に美しい木組みの建物が並んでいる。
建物は高いものは5~6階建てで梁に彫られた彫刻や出窓が美しい。
「鉄ひげ博士」Dr.アイゼンバルトの家は梁に大きな注射器を持った博士のカラーの木彫りがあるのですぐわかる。
博士像の下にある文字盤に「此処(この家)で博士は活躍し、死去した。彼は彼の評判とは違っていた」とある。
この町を有名にしたのも藪医者の代名詞となっているDr.Eisenbart鉄ひげ博士だが、実際は意欲的な、真面目な医者であったそうだ。
“北ドイツ周遊の旅”
2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
4月29 日 (金) 曇り時にシャワー11℃
ハン・ミュンデンに10:15到着。人口2万6千人の小さな田舎町は3つの川が流れて、周囲を森に囲まれ、赤屋根の町並が織り成す美しさは格別だ。旧市街は700以上と言われる木組みの家々の街並みでうまり、なかなかのものだ。
マルクト広場にはヴェーザー・ルネサンス様式の市庁舎、聖ブラジウス教会、博物館になっているWelfenschlossヴェルフェン城等がある。
旧市街の中心・ランゲ通りを行くと、Dr.Eisenbartアイゼンバルト(鉄ひげ)博士(藪医者の代名詞となっているが、実際は意欲的な、真面目な医者であったそうだ。夏には博士の野外劇もある)という実在の医者の家、其の名を付けた薬局もあり、大きな注射器を持った博士の看板が面白い。
*Johann Andreas Eisenbarthヨハン・アンドレアス・アイゼンバルト(1663~1727年)は17世紀のドイツの医者である。ドイツの各地をサーカス巡業のような方法で治療旅行し、自家製の薬を売り歩いた。
バイエルン州のオーベルフィーヒタッハ(現シュヴァンドルフ郡)の出身である。祖父も父親も床屋医師で、アイゼンバルトは目の手術や骨折の治療を得意とした。義理の兄弟からも医学の知識を得た。
アイゼンバルト博士と呼ばれたが、もちろん博士号を得てはいなかった。アイゼンバルトは、通常120人にも及ぶ芸人や道化師、楽隊とともにドイツの各地を旅した。多くの見物客を集め、楽隊が音楽を奏で、コーラスがアイゼンバルトを称える歌を歌う中で治療を行った。自家製の薬を製造し、大規模に販売したと云う。
尚、1800年頃、"Ich bin der Doktor Eisenbarthわたしが、ドクター・アイゼンバルト" という歌がドイツで流行した。歌詞は以下である。
https://www.youtube.com/watch?v=nOp334i0OPE
„Ich bin der Doktor Eisenbarth,
widewidewitt, bum bum
Kurir die Leut nach meiner Art,
widewidewitt, bum bum
Kann machen, dass die Blinden gehn,
Und dass die Lahmen wieder sehn.
Gloria, Viktoria, widewidewitt juchheirassa!
Gloria, Viktoria, widewidewitt, bum bum.
邦書では原田恒雄氏のビールに関するエッセー、『金のジョッキに、銀の泡』で以下のような詞で紹介されている。
「わたしが、ドクター・アイゼンバルト。 パッカパパー・・・!わたしはわたしの流儀で病気をなおす。めくらも目明きにしてみせる。いざりもたちまちたちあがる。ブカブカドンドン・・・!(以下略)」(Wiki)。
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<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水... 続きを読む)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃
マルクト広場から左のMuehlenstrasse水車小屋の通りを行くと、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
Tanzwederタンツの中州に向かう。
⑨Fuldaフルダ川:
フルダ川はヘッセン州・Rhoenレーン山地にあるWasserkuppeヴァッサークッペ山に源流がある。メルヘン街道沿いにある、三つの川が合流する町と呼ばれるハン・ミュンデン(ニーダーザクセン州)までを流れる。ここでフルダ川はWerraヴェラ川と合流し、Weserヴェーザー川となって北海に至る。全長218km。ヘッセン州で最も長い川でもある。
⑩Tanzwederタンツの中州にあるWesersteinヴェーザーシュタイン:
Muehlenbruecke水車小屋の橋の下はフルダ川が流れる。
橋の上から見ると結構水量がある。橋を渡り切ると、広大な駐車場もあるTanzwederタンツの中州に入る。
中州公園の先端にはヴェラ、フルダ、ヴェーザー・三つの川の合流点であるWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)がある。
この日の最も訪れてたかったのはここだった。言わば、お気に入りなのだ。
先端の大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木は更に立派に育ち、大きな実も落ちていた。
その木の下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)と呼ばれる記念碑が立っている。
何やら、木や柱にHeimat故郷などの言葉を付けては写真を撮っていた方に私共も撮って頂いた。それが下の写真だ。
ご親切な方でしたが、私共も日本に戻る日も近づいてきて、「Heimat故郷」の言葉が嬉しい。
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恒例のお気に入りの碑文は以下:
ハン・ミュンデンのフルダ川とヴェラ川が合流してヴェーザー川となる地点に、1899年7月末に以下の詩文を刻んだプレートをつけた石碑が建てられた。
Wo Werra sich und Fulda kuessen
Sie ihre Namen buessen muessen,
Und hier entsteht durch diesen Kuss
Deutsch bis zum Meer der Weser Fluss.
Hann. Muenden, d. 31. Juli 1899
(ヴェラ川とフルダ川がキスをして
その償いにその名を捨てる
そしてそのキスから生まれた
ヴェーザー川がドイツを抜けて海へ向かう
ハン・ミュンデン、1899年7月31日)
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