パリの過去・現在・未来を見つめ続ける静かな佇まいの広場
- 4.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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by CAFE MOCHAさん(男性)
パリ クチコミ:7件
コンコルド広場を訪れて感じるのは、その静かな佇まいと眺望の良さです。ルクソールの神殿遺跡にあったオベリスクはエジプトからフランスへ贈られコンコルド広場の象徴となっています。しかし素晴らしい眺望や静かな佇まいからは想像できない程この広場は凄惨極まりない処刑場だったという事実を忘れてはならないと思います。
フランス王朝は太陽王ルイ14世の時代に豪華絢爛たる宮廷文化の象徴としてヴェルサイユ宮殿を建造しました。ルイ14世の信頼が厚かった建築家マンサール、造園家ルノートルなどを起用して歴史上類を見ない程の華麗で壮大な宮殿、広大で美しい庭園が造られました。
しかし社会や文化が成熟しその果てに爛熟すると歴史の必然として、それらはやがて退廃しその先にあるものは滅亡であるという目に見えない掟が存在することをルイ14世の時代にはまだ誰も気づいていなかったのです。
やがてルイ15世の時代となりこの広場はルイ15世の騎馬像を設置したルイ15世広場と命名されました。その後ルイ16世の時代になると栄華を極めたフランス王朝と宮廷文化も財政難と民衆の不満による革命の勃発で、敢えなく終焉の時を迎え広場も革命広場という呼称に変化しました。
過去のパリ滞在でシテ島にあるコンシェルジュリーを訪れたときコンシェルジュリーの内部にマリーアントワネットが人生最期の日々を過した独房が再現されているのを見てその過酷な環境に複雑な感情を抱きましたが、マリーアントワネットはコンシェルジュリーからコンコルド広場へ連行されここで公開処刑されました。コンコルド広場ではルイ16世、マリーアントワネット及び多数の貴族、政治家がギロチンによって処刑されました。
ちなみにコンコルド広場を設計した建築家アンジュ=ジャックガブリエルは、ヴェルサイユ宮殿にあるプチトリアノンの設計者としてあまりにも有名です。そしてアンジュ=ジャックガブリエル設計によるプチトリアノンこそマリーアントワネットが、こよなく愛した離宮だったのです。マリーアントワネットはプチトリアノンで過ごす時間と庭園の散歩に心の安らぎを感じていたと伝えられています。
マリーアントワネット最愛の離宮プチトリアノン。そしてプチトリアノンの設計者アンジュ=ジャックガブリエルが設計したコンコルド広場でギロチン台の露と消えたマリーアントワネットの運命、人生の暗転を想うと慄然たる想いを禁じ得ません。
フランス革命に関して詳細に記された書籍、文献を読むと遥か彼方の遠い昔の出来事とはいえ非常に残酷かつ凄惨な歴史がそこに存在したことを記憶に留めておくべきだと思いました。
フランス革命後この広場は処刑及び恐怖政治が終わった後の1795年コンコルド=調和という意味を持つコンコルド広場と呼ばれるようになりました。
コンコルド広場からはナポレオン1世が建造を命じたカルーゼル凱旋門そしてその逆方向にはやはりナポレオン1世が建造を命じたシャルルドゴールエトワールに聳え立つ凱旋門が見えます。更にシャルルドゴールエトワールの凱旋門の視界の先にはラデファンスのグランダルシュ・新凱旋門が存在しています。
パリの過去・現在を見つめ続けてきたコンコルド広場からは未来への視界も開けているという訳ですが、パリそしてコンコルド広場を訪れて激動、波乱に富んだ歴史に想いを馳せるのも貴重で興味深い時間だと思います。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/06/13
いいね!:6票
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