Ministers' Building Ministers' Building
建造物
3.26
施設情報
クチコミ(6件)
1~6件(全6件中)
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Ministers' Building
- 4.0
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
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旧ビルマ総督府
- 4.0
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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メンテが残念
- 3.0
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
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旧イギリス総督府、アウンサン暗殺現場
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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旧イギリス総督府。1905年建築。独立の英雄でスーチー父のアウンサンが1947年に暗殺された建物。その後ミャンマー連邦政府... 続きを読む合同庁舎、現在未使用。イギリス統治時代のビルマ植民地行政の中心で、南はMahabandoola通り、北はAnawrahta通りに面した東西南北に200mほどの広い敷地に建つ。軍事政権時代は使われる事もなくなり、修復などもなされず廃墟になっていたが、現在、修復工事が行われており、将来は何らかの利用などが構想されていると思われる。この周辺地区はダウンタウンの東側で行政の中心地だったが、首都のネピドー移転以降は使用されていない建物があるが、再開発は大きな可能性を持っていると思われる。周辺はイギリスが開拓を始めた地区で、ヤンゴン川を利用した貿易港の名残をとどめるストランド通りにはストランドホテル1901年、中央郵便局GPO1925年、税関、イギリス大使館などが残る。その周囲には最高裁判所1911年、ヤンゴン市庁舎1936年、キリスト教会SaintMarysCathedral、「ガラスの宮殿」にも登場するAYAデパート(現バンク)などイギリス統治時代の建物が点在する。 閉じる
投稿日:2017/01/12
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巨大な建物
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- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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ビルマ総督府として建てられ、その後首相府など行政機関が使ってきました。首都移転後、保存の必要性が叫ばれています
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- 旅行時期:2016/02(約10年前)
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南はMahabandoola通り、北はAnawrahta 通りに面した東西南北ともに200mほどの広大な敷地に、イギリス領... 続きを読むビルマの植民地行政の中心として1889年から1905年にかけて建てられたビルマ総督府の建物です。レンガ色でまとめられた巨大な複合建築で、壮麗さにおいては群を抜いているでしょう。
1943年日本軍の傀儡といった面を伴いつつもイギリスから一時「独立」したビルマ国の政治の中心として、またその後の1948年の完全独立以降も首相府などとして使われてきました。アウンサン・スーチーさんの父、アウンサン将軍が1947年に暗殺されたのもこの建物です。2005年のネピドーへの首都移転後は主が居なくなり、老朽化も進んでいるため保存と補修が喫緊の課題として声高に叫ばれています。
ミャンマーがイギリス領インドに組み込まれた頃の日本では、19世紀末にイギリス人建築家ジョサイアコンドルによって、旧東京帝室博物館本館(1882年)や旧海軍省本館(1894年)などが建てられました。残念ながらその多くは、関東大震災(1923年)や東京空襲(1942年から1945年)の中で失われてしまいました。レンガ造りのそうした建物が今日まで残っていれば、おそらくビルマ総督府として使われたこの建築のような雰囲気だったのではないでしょうか。今は荒れるに任せており内部見学もできませんが、何年か先には補修が為され、内部の見学が出来る日が来るものと期待しています。 閉じる投稿日:2016/03/06
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