ビルマ総督府として建てられ、その後首相府など行政機関が使ってきました。首都移転後、保存の必要性が叫ばれています
- 5.0
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
-
-
by ナツメロ大王さん(男性)
ヤンゴン クチコミ:32件
南はMahabandoola通り、北はAnawrahta 通りに面した東西南北ともに200mほどの広大な敷地に、イギリス領ビルマの植民地行政の中心として1889年から1905年にかけて建てられたビルマ総督府の建物です。レンガ色でまとめられた巨大な複合建築で、壮麗さにおいては群を抜いているでしょう。
1943年日本軍の傀儡といった面を伴いつつもイギリスから一時「独立」したビルマ国の政治の中心として、またその後の1948年の完全独立以降も首相府などとして使われてきました。アウンサン・スーチーさんの父、アウンサン将軍が1947年に暗殺されたのもこの建物です。2005年のネピドーへの首都移転後は主が居なくなり、老朽化も進んでいるため保存と補修が喫緊の課題として声高に叫ばれています。
ミャンマーがイギリス領インドに組み込まれた頃の日本では、19世紀末にイギリス人建築家ジョサイアコンドルによって、旧東京帝室博物館本館(1882年)や旧海軍省本館(1894年)などが建てられました。残念ながらその多くは、関東大震災(1923年)や東京空襲(1942年から1945年)の中で失われてしまいました。レンガ造りのそうした建物が今日まで残っていれば、おそらくビルマ総督府として使われたこの建築のような雰囲気だったのではないでしょうか。今は荒れるに任せており内部見学もできませんが、何年か先には補修が為され、内部の見学が出来る日が来るものと期待しています。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
クチコミ投稿日:2016/03/06
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する