Darul Aman Mosque Darul Aman Mosque
寺院・教会
3.26
施設情報
クチコミ(9件)
チェンライ 観光 満足度ランキング 19位
3.26
- アクセス:
- 3.64
- コストパフォーマンス:
- 3.67
- 人混みの少なさ:
- 3.67
- 展示内容:
- 3.50
1~8件(全9件中)
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内部も見学できます
- 4.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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堂々としたたたずまいです
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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「雲南清真寺」であることに注目したい。
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 1
カタカナ表記すると「ダルン・アーマーン・モスク」となる。建物には「雲南清真寺」と漢字で併記されている。
雲南の回民(... 続きを読む漢人ムスリム)が北タイ・ビルマに流入してきた歴史は大変興味深い。その最初は,清代初期に明の亡命政権(南明)が永暦帝を戴いてビルマに落ちのびたときとされている。それに付き従う者の中に回民がいたのだろう。永暦帝は後にビルマ王により清軍に引き渡されて殺され,ここに明の命脈は絶たれた。
その次は,ちょうど日本では黒船が来航して攘夷だ倒幕だと大騒ぎしていた頃,雲南では杜文秀をリーダーとする回民が武装蜂起をして清朝に対して独立を宣言する(パンゼーの乱)。反乱軍は長期にわたり攻勢を維持するが,最終的に杜文秀は敗死した。反乱を鎮圧した清軍は雲南の回民を徹底的に虐殺し(十のうち九が殺されたと言われる),難を逃れた回民がビルマ方面に逃げ延びた。
最後は中国の国共内戦後で,人民解放軍に「解放」された雲南省から大量の政治難民が北タイ・ビルマへ流出した。
雲南系モスク(清真寺)の建設を主導したのは,主に馬幇と呼ばれるキャラバン交易で財を成した回民武装商人である。彼らは,雲南の金属製品や絹,綿花,中国人の好む翡翠,ビルマ人の好むルビー,果ては銀と等価の価値を持つ阿片を,馬やロバの背に載せて交易路を運び富を築いた。彼らの繁栄は,この地に日本軍が侵攻してくるまで続いたという。
もともとが「難民」である雲南回民は,タイ国籍を取得できていない者も多い。その二世,三世以後になると,イスラームの宗教知識人としての人材(アラビア語やイスラム法などの専門知識が必須)を求めにくい現実がある。
そのため,現在の雲南系モスクにおいては南アジア系など外部のイスラーム知識人を招聘してその運営に当たっているということだ。マドラサ(モスク併設の学校)も開かれ,そこには南アジア系の子弟も通う。雲南出身のムスリム漢人として難を逃れ,モスクを拠りどころに団結してきた彼らが,民族の枠を超える新しい基軸を生み出そうとしている。
人口に占めるムスリムの比率が希薄な北タイでは,南タイにおけるマレー系ムスリムとタイ政府との武力衝突のような事態は起きてこなかった。これは「難民」として辺境を流浪せざるを得なかった彼らの現実的で柔軟な思考の賜物なのかも知れない。
閉じる投稿日:2018/09/27
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内部に入ることができました
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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チェンライ市内にある唯一のモスク
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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意外な所にイスラム教のモスクがありました
- 3.0
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
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Darul Aman Mosque
- 4.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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イスラムのモスク
- 2.5
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
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