ワルシャワ蜂起記念碑 Monument to the Warsaw Uprising
モニュメント・記念碑
3.42
クチコミ 2ページ目(39件)
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ワルシャワ蜂起の悲劇
- 3.0
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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現在地を把握せずに歩いている時にたまたま前を通りかかりました。その時は具体的に何のモニュメントかは理解していませんでしたが... 続きを読む、決死の状況が伝わってくる像を見て、ワルシャワ蜂起に関するものだろうと察しました。
ワルシャワ蜂起とは、第二次世界大戦下の1944年8月1日~10月2日に渡って、ナチスドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起です。
ミンスクを中心に赤軍(ソ連軍)とドイツ軍が激突し、ギネスブック級の戦死者を出したバグラチオン作戦によって弱体化し敗走するドイツ軍を挟み撃ちにする作戦を、赤軍がポーランド国内軍に持ち掛けました。8月1日17時に、赤軍との打ち合わせ通り約5万人のポーランド国内軍は蜂起を開始。しかし赤軍は追撃していたドイツ軍の反撃により数日前に甚大な被害を被って行軍を停止しており、その情報は一切ポーランド側に知らされなかった上に「予定通りに到着する」という嘘の情報を伝えられていました。ワルシャワ市内に駐屯するドイツ軍は数では劣っていましたが、装備が圧倒的でした。ヒトラーは赤軍の援軍は来ないと確信し、蜂起した国内軍の制圧とワルシャワの徹底破壊を指示。蜂起の最中に赤軍はヴィスワ川の対岸まで来ていましたが、国内軍を支援することなく状況を静観した上に、国内軍への各国からの支援までも妨害しました。ワルシャワ市民も蜂起に加わり、士気が高く団結した国内軍はドイツ軍を圧倒することもありましたが、次第に劣勢に傾き蜂起は失敗。10月2日に国内軍は降伏しました。
ワルシャワ市民の死者は20万人以上と推定され、70万人の市民は鎮圧後に町から追放されました。そして蜂起への報復として、ワルシャワ市街は徹底的に破壊されました。その後赤軍は数か月後に進撃を再開し、何食わぬ顔でワルシャワを占領。生き残った少数の国内軍は郊外の森に逃げ込み、裏切った赤軍に攻撃目標を変更したそうです。
ポーランド亡命政府(1939~1990年)は「敵の敵は味方」の理論でソ連と共闘することに同意しましたが、そもそもワルシャワ蜂起はポーランドに共産主義の傀儡政権を作りたかったソ連の意図的な陰謀だったという説があります。確かに赤軍はバグラチオン作戦によって消耗し、補給路が伸びきって進撃が出来なかったのは事実ですが、ワルシャワ国内軍に対して嘘の情報を流したり、国外からの支援を妨害したのも事実でした。
現在でも毎年、8月1日17時になるとワルシャワ市内にはサイレンが鳴り響き、市民は動きを止めて1分間の黙祷をするそうです 閉じる投稿日:2016/08/14
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見ごたえあり蜂起博物館
- 4.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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2015年9月現在 入場料18ズロチ、オーディオガイド(日本語あり)10ズロチです。
入場券は入って奥の建物で購入します... 続きを読む。オーディオガイドは入場券売場ではなく、館内に入場してから左側の売店のようなところで借りられます。但し、通常、顔写真付きの書類などのデポジットが必要となります(当方達は持ってませんでしたが、ツアーの現地ガイドのさんに事前に博物館に交渉して頂き代表者のパスポートのコピーだけで借りられました)。
1階(Ground floor)は1〜13、中2階(Mezzanine)は14〜26、2階(First floor)は27〜48、また、1階のホール(Hall with Liberator)には49〜55の展示物があります。
1階の最終展示物13の横にホール(航空機を展示しているところで吹抜けの空間)への入口がありますが、ホールへは入らずに先に13の横にあるエレベータで中2階の展示物を見学、そして2階の展示物を見学した後階段からホールへ降りてくるようにするとスムーズに見学できます。
先にホールに出てしまうとホ−ルには階段があり、それを上ってしまうと直接2階ににつながっていますので、中2階の展示物を飛ばしてしまいます。
尚、オーディオガイドの個々の展示物の説明はかなり長いので、すべての説明を聞くには時間がかかります、先に展示物を見て興味がある展示物ならばオーディオガイドで説明を聞くようにすれば良いと思われます。
すべての展示物の説明を聞くには4〜5時間、いやもっと時間がかかるかも? 閉じる投稿日:2015/10/08
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悲しい歴史の記念碑です。
- 4.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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1944年8月1日ワルシャワ近郊に迫った赤軍と呼応する形でポーランド国内軍はドイツ軍の兵力が希薄になったはずのワルシャワで... 続きを読む一斉に蜂起します。しかいながら呼応するはずの赤軍は全く進軍しません。実はその前日7月31日ドイツ軍は赤軍に猛反撃を行い、甚大な損害を被った赤軍は補給線も伸びきって進軍を停止しました。そして、この情報はポーランド国内軍には伝えられませんでした。その後赤軍は全く動かず傍観したままでした。
確かにワルシャワに駐屯しているドイツ軍の兵は少なかったものの、圧倒的な火力で蜂起軍を追い詰めて9月末にほぼ壊滅させます。その後徹底的に破壊され、蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス・市民約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われます。
そんな悲しい記念碑ですがポーランド国民の愛国心には胸を打たれます。
閉じる投稿日:2015/09/01
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1944年8月1日にナチス・ドイツの支配に対してワルシャワ市民が立ち上がった時の記念碑です。
- 4.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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大きく迫力があります
- 3.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 8
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地元の人にとって大事な場所
- 3.5
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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ワルシャワ市民の自由への闘いの記念碑
- 3.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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ちょっと離れたところにあります
- 3.0
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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悲壮感漂う記念碑は必見
- 4.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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結構大きい
- 3.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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「ワルシャワ蜂起」45周年の記念碑です。離れていますが「ワルシャワ蜂起博物館」で見識を広めてからおいでませ。
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
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ワルシャワ市民の苦しみ
- 3.5
- 旅行時期:2012/04(約14年前)
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迫力ある記念碑
- 4.0
- 旅行時期:2011/12(約14年前)
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ポーランド人の苦しみが分かる
- 4.0
- 旅行時期:2011/11(約14年前)
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平和への願い
- 4.5
- 旅行時期:2011/05(約15年前)
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悲鳴が聞こえてきそうなリアル感
- 4.0
- 旅行時期:2011/01(約15年前)
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ポーランド解放運動の碑
- 4.0
- 旅行時期:2009/09(約16年前)
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涙を流してしまいました
- 5.0
- 旅行時期:2009/07(約17年前)
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