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ワルシャワ蜂起の悲劇

  • 3.0
  • 旅行時期:2016/05(約10年前)
susuさん

by susuさん(女性)

ワルシャワ クチコミ:33件

現在地を把握せずに歩いている時にたまたま前を通りかかりました。その時は具体的に何のモニュメントかは理解していませんでしたが、決死の状況が伝わってくる像を見て、ワルシャワ蜂起に関するものだろうと察しました。

ワルシャワ蜂起とは、第二次世界大戦下の1944年8月1日~10月2日に渡って、ナチスドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起です。
ミンスクを中心に赤軍(ソ連軍)とドイツ軍が激突し、ギネスブック級の戦死者を出したバグラチオン作戦によって弱体化し敗走するドイツ軍を挟み撃ちにする作戦を、赤軍がポーランド国内軍に持ち掛けました。8月1日17時に、赤軍との打ち合わせ通り約5万人のポーランド国内軍は蜂起を開始。しかし赤軍は追撃していたドイツ軍の反撃により数日前に甚大な被害を被って行軍を停止しており、その情報は一切ポーランド側に知らされなかった上に「予定通りに到着する」という嘘の情報を伝えられていました。ワルシャワ市内に駐屯するドイツ軍は数では劣っていましたが、装備が圧倒的でした。ヒトラーは赤軍の援軍は来ないと確信し、蜂起した国内軍の制圧とワルシャワの徹底破壊を指示。蜂起の最中に赤軍はヴィスワ川の対岸まで来ていましたが、国内軍を支援することなく状況を静観した上に、国内軍への各国からの支援までも妨害しました。ワルシャワ市民も蜂起に加わり、士気が高く団結した国内軍はドイツ軍を圧倒することもありましたが、次第に劣勢に傾き蜂起は失敗。10月2日に国内軍は降伏しました。
ワルシャワ市民の死者は20万人以上と推定され、70万人の市民は鎮圧後に町から追放されました。そして蜂起への報復として、ワルシャワ市街は徹底的に破壊されました。その後赤軍は数か月後に進撃を再開し、何食わぬ顔でワルシャワを占領。生き残った少数の国内軍は郊外の森に逃げ込み、裏切った赤軍に攻撃目標を変更したそうです。
ポーランド亡命政府(1939~1990年)は「敵の敵は味方」の理論でソ連と共闘することに同意しましたが、そもそもワルシャワ蜂起はポーランドに共産主義の傀儡政権を作りたかったソ連の意図的な陰謀だったという説があります。確かに赤軍はバグラチオン作戦によって消耗し、補給路が伸びきって進撃が出来なかったのは事実ですが、ワルシャワ国内軍に対して嘘の情報を流したり、国外からの支援を妨害したのも事実でした。

現在でも毎年、8月1日17時になるとワルシャワ市内にはサイレンが鳴り響き、市民は動きを止めて1分間の黙祷をするそうです

施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
一人旅
観光の所要時間:
1-2時間
アクセス:
3.0
コストパフォーマンス:
3.0
人混みの少なさ:
3.0
展示内容:
4.0

クチコミ投稿日:2016/08/14

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