イーストサイドギャラリー East-Side-Gallery
博物館・美術館・ギャラリー
3.83
クチコミ 6ページ目(110件)
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東西冷戦の遺跡・ベルリンの壁が残るイーストサイドギャラリー
- 5.0
- 旅行時期:2011/09(約14年前)
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イーストサイドギャラリーは、東西冷戦時、ベルリン市街を分断していたベルリンの壁が残るところです。
ヴァルシャウアー・... 続きを読むシュトラーセ駅(Warschauer Strasse S3、S5、S7、S75、U1線)とベルリン・オスト駅(Berlin Ostbahnhof DB、S3、S5、S7、S75、U1線)間のシュプレー川(Spree)沿いのミューレン通り(Muehlenstrasse)に広がります。
ベルリンの壁が残るもう一つの地域・ベルナウアー通り(Bernauer Str.)と異なり、こちらには壁に多くの絵が描かれています。
イーストサイドギャラリーの南端にあるオーバーバウム橋(Oberbaumbruecke)は、東西冷戦時代、チェックポイント・チャーリー同様に国境検問所が設置されていました。2つの塔が立ち、上段をU-Bahn、下を歩道が通る大変美しい橋です。 閉じる投稿日:2011/12/31
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「自由」をテーマにしたものが多い
- 4.5
- 旅行時期:2011/08(約14年前)
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ュプレー川沿いのミューレン通りに1.3kmがオープンアートに。いきなり現れるのでびっくり。
敗戦後東西に分裂したドイツ、... 続きを読む首都ベルリンも同様に分裂。当時は自由だった東西の行き来も、政治への不満から東から西へ逃げる人が続出。それを危機とした東ドイツは1961年、東西ベルリンの境界線をすべて封鎖し、壁を一夜にして建設した。たったこれだけの壁が人々を隔て、人生を変えただなんて。。。
実はこの壁の中には、もうひとつ壁があり二重構造になっていたそう。2枚の壁の間には、東から西へ逃げられないように番犬や堀、ブロック、発砲装置などが置かれていたそう。たった四半世紀前まで当たり前だったできごと。
壁崩壊後、世界中の118人のアーティストによって描かれたアート。「自由」をテーマにしたものが多いのかな。西ドイツからは接近できた壁、壁の撤去を求めるストリートアートが、当時から描かれていた
最も有名な「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」。東ドイツの国会議長であったホーネッカーと、ソ連最高指導者ブレジネフ。ホーネッカーはブレジネフとの関係を深めることで党内の地位を確立していったが、1980年代後半にゴルバチョフ書記長がペレストロイカを始めた時も、共産主義を強固に唱え、東欧革命によって失脚する。これはまだ双方の関係が熱かった時とその後の関係を揶揄したのかな?
お土産ものやさんに、パスポートをもっていくと、ベルリンベアのスタンプを押してくれます。
ミューレン通りをはさんで壁の向いのホテルに描かれた絵には、「Wir sind das Volk」私たちは一つの国民だ。と書かれています。 閉じる投稿日:2014/03/03
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いきなり目を引くキスシーン!
- 5.0
- 旅行時期:2010/12(約15年前)
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感慨深いです
- 3.5
- 旅行時期:2010/07(約15年前)
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社会の教科書
- 4.0
- 旅行時期:2010/07(約15年前)
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東駅付近はあまり治安良くない
- 3.0
- 旅行時期:2010/02(約16年前)
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ベルリンの壁がアートギャラリーに
- 4.0
- 旅行時期:2009/12(約16年前)
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ベルリンの壁
- 4.0
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
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意外と!?
- 3.5
- 旅行時期:2009/09(約16年前)
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