2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)
Dinkelsbuehlデ...
続きを読むィンケルスビュール観光: 14:30~17:00
ディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。人口は12千人と小規模だが、そのため中世の面影は一層、色濃く残っていると云われている。
ディンケルスビュールの旧市街には、780軒の家屋があり、そのうち77%が約350年以上の古い歴史を有していると云うから大変なものだ。
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ローテンブルガー門の立つ北から南に歩く。
たまたまガイド付きのドイツ人観光客も同じ道を行くので、耳を傾けて歩く。
Faulturm(怠け者=債務未払い者を収容した囚人塔)、16世紀の穀物倉庫だった大きく、立派な木組み建築のKinderzech-Zeughausキンダーツェッヒェの祭り用倉庫、その近くには小さな家と称した木組みの家があって可笑しい。
<Kinderzech-Zeughausキンダーツェッヒェの祭り用倉庫>
Bauhofstrasse 43
16世紀初めに、町の穀物倉庫として建てられた。
2007年に昔のまゝに改装されて以来、この大きく、立派な木組み建築の建物はKinderzech-Zeughausキンダーツェッヒェの祭り用倉庫として利用されている。
キンダーツェッヒェの祭り用倉庫内には祭り用のKostueme衣装、Schuhe靴、Waffen武器、Requisiten小道具などが置かれ、中世のディンケルスビュールとその市民の祭りを知る事が出来る。
キンダーツェッヒェの祭りの歴史的な経緯は次のようなものだ。
元々、郷土の祭りに帝国都市ディンケルスビュールのカトリック教徒の子弟が学んでいたLateinschuelerラテン語の生徒たちの祭り(各学期末に行われていたと云う)で、「Schulzecheシュールツェッヒェ」と呼ばれていた。この祭りの費用は市とカトリック教会によって支払われたが、祭りは生徒たちが行ったAusflug小旅行でした。
最初の記録は1629年にさかのぼるものだが、30年戦争後には新教派の「Kinderzecheキンダーツェッヒェ」と旧教派の「Schulzecheシュールンツェッヒェ」が一緒になった。
更に1897年、「古い」子供祭を改変し、全市民が共同で支援した「新しい子供と郷土の祭り」に生まれ変わった。
現在、ディンケルスビュールの歴史祭りとなったキンダーツェッヒェの祭りである。
https://www.kinderzeche.de/start/
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尚、番外編として:伝説・Die Kinderzecheキンダーツェッヒェの祭りをご参照下さい。
https://4travel.jp/travelogue/10941332
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投稿日:2021/02/01