<シュヴァーベン地方の城巡り>
レンタカーで周遊した名城は以下の三つ(口コミ済み)。
Schloss Sigmar...
続きを読むingenジクマリンゲン城、
Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城、
Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)。
シュヴァーベン地方の素晴らしい名城群巡りでSchloss Sigmaringenジクマリンゲン城、Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)と共に、Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城を訪れた。
“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
:黒い森・バーデンワイン街道・高及び上ライン川とボーデン湖・
シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
2007年4月28日(土) 快晴 27℃ 、 182km
Salemザレムを出発し、山道の連続になる一日となる。今日はシュヴァーベン地方の城巡りである。
≪Schloss Sigmaringenジクマリンゲン城≫
ジクマリンゲン城はドナウ川を見下ろす高台に重々しく、聳え立つといった表現がぴったりである。この城もホーエンツォレルン家・侯爵の居城だ。
城の歴史は1077年に遡り、後にプロイセン王家・ドイツ皇帝にもなったホーエンツォレルン家が1535年から所有した。その後、城は1633年の宗教戦争・三十年戦争で新教徒側に立つスウェーデン軍により破壊されるが、1903年には修復、再建された。
城の歴史には何も書かれていないのはナチスドイツの後遺症があるからなのでしょうか?第二次大戦では、フランスの親独政権を率いたペタン将軍以下のヴィシー政権が、1944年ナチスのフランスからの退却と共に、ここSigmaringen城に亡命政権を樹立したとされている。
現在もこの城はホーエンツォレルン侯爵家の私有である。
ジクマリンゲン城の城門までは徒歩数分である。門をくぐり、城内の通路をあがると切符売り場がある。10:30からガイドつきの案内があると言う。
ここもガイド無しでは入れないし、カメラも不可になっていた。(キオスクで是非写真集などをお買物してく下さいということなのでしょう。!)
町側からは今は掘割も無く簡単に来ることができるが、ドナウ川に面した側は切り立った崖になっている。以前来た時に、ドナウ川の向かい側にある公園から城を眺めた事があった。その記憶は鮮明で城は見事な立ち姿でした。ホーエンツォレルン家がこの城を現在も所有しているのも分かる気がする。
ガイドさんの案内:
10人ほどのドイツ人観光客と一緒に、若い女性のガイドでスタートする。案内の順番は記憶が鮮明でないが、最も素晴らしかったのは”先祖の間”にある、歴代の伯爵、侯爵の等身大の肖像画です。隅々まで豪華に装飾されたバロック様式の長方形の部屋にはずらっと両側に絵が掛けられていて壮観である。
レジデンス・豪華の間には由緒ある家具、フランドル製ゴブラン織りのタペストリー、マイセンのシャンデリア、絵画、時計、陶磁器が置かれ、当時の侯爵家の生活を見ることもできる。
馬屋には狩り、旅行用、パレード用に盛装した馬車が、橇、椅子籠、当時の旅行道具などと一緒にみられる。
武器庫には攻撃・防御の其々の武器が陳列されている。ここはヨーロッパ最大の私有収集品と云われ、凡そ数3000、14=>20世紀の槍、弓、盾、銃、甲冑などを見ることができる。日本の貧弱な鎧があったのには、ちょっとがっかりでしたが---。
案内の最後の部屋・Hubertushalleフーベルトゥスハレはフリードリッヒ侯爵(1965年)の狩りの獲物を展示したもので、大きな熊の毛皮を中心にして、数々の鷲や鹿の角と頭部の剥製が壁に掛けられている。すごいのはルーマニアのカルパチア山系で狩られた茶褐色の大きな熊の剥製があったことだ。今にも立ち上がりそうな迫力である。
部屋の真中には大木の切断面が立てかけてあり、その木の年輪にジクマリンゲン城主であるホーエンツォレルン侯爵家の歴史500年を書き込んだ札が付けてあった。
(10:30=>11:30 ガイド1時間 Euro12)
城の外に出ると、盛装した人々が集まっていた。結婚式である。付属の教会で挙式するのだろうか?!駐車時間を10分オーバーしていたので、走りながら駐車場に行く。
幸い、何事も無く、セーフでした。 (10:00=>11:50)
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投稿日:2015/06/16