古代都市ポロンナルワ Ancient City of Polonnaruwa
史跡・遺跡
3.47
施設情報
クチコミ(51件)
ポロンナルワ 観光 満足度ランキング 1位
3.47
- アクセス:
- 3.36
- ダンブッラから日帰りで行けたのが私には良かった by Mirabellaさん
- コストパフォーマンス:
- 3.57
- 25ドルと見学料金かなり高いですが、遺跡維持のために仕方ないのかな by Mirabellaさん
- 人混みの少なさ:
- 3.76
- 場所によっては混んでましたが、特に支障なかった by Mirabellaさん
- 展示内容:
- 4.22
- 見応えあります by Mirabellaさん
-
満足度の高いクチコミ
ポロンナルワはシンハラ王朝の首都だった場所
4.5
- 旅行時期 2024/06
- by じろうまるさん
ポロンナルワ遺跡はとても広い。ツアーだと限られた時間で全部を見ることはできなかったが、城壁内に遺跡がかたまっているクワドラ... 続きを読むングルは見ごたえあり。ガル・ヴィハーラは、一つの岩から涅槃像、立像、ふたつの座像の4体が掘り出されている。スリランカ人の巡礼者が多いばしょ。 閉じる
1~20件(全51件中)
-
見応えのあるポロンナルワの遺跡群は暑さ対策も兼ねて効率良くトゥクトゥクで見学がお勧め。
- 4.0
- 旅行時期:2019/08(約6年前)
- 4
私はダンブッラからトゥクトゥクをチャーターして、ポロンナルワとシーギリヤを1日で巡る日程でした。遺跡の見学は南側の石立像か... 続きを読むらスタートし北上していきましたが、ドライバーさんの案内で効率よく周ることができ満足でした。遺跡によってはトゥクトゥクを降りた後、割と歩く場合もあります。暑さやその後の観光なども考慮すると自転車だとキツイ気がします。私は南の石立像から北側のティワンカ・ピリマゲ寺院まで、ほぼ全てを見学して2時間半くらいでした。歩くの早い方なので、通常はもう少し時間かかるのではないかと思います。
ティワンカ・ピリマゲ寺院を見学するには、道路舗装工事のためトゥクトゥクで通行できず片道1kmほど歩く必要がありました。緩い坂道です。あまり歩きたくない方は、パスする方が良いかも知れません。 閉じる投稿日:2019/09/02
-
自転車で
- 4.0
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
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あつい
- 3.0
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
- 0
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遷都以前にも長い歴史があります。
- 4.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 42
ポロンナルワは1017年から1225年までスリランカの首都であり、遺跡地区全体が世界遺産に指定されています。
しかし... 続きを読む、プラッティプラ(現ポロンナルワ)を都とした最初の王は、それよりずっと昔のアッガボーディ4世/シリサンガボディ王(667~683)です。密教を一掃したアッガボーディ7世(772~777)やセーナ1世(833~853)、セーナ2世(853~887)も居城をプラッティに置いています。チューラヴァンサに具体的な記述はありませんがカッサパ4世(898~914)もプラッティに依拠、以降セーナ5世(972~983)までプラッティに依拠しています。
名君カッサパ5世(914~923)は、インド・パンドゥ王国のマーラヴァルマンラージャシンハ2世を支援し、チョーラ朝バラーンタカ1世との戦いに息子のサッカセーナーパティを将軍として援軍を送りますが、パンドゥ軍はチョーラ軍に敗れ、スリランカ軍は撤退、サッカセーナーパティも伝染病で客死します。このことを契機としてスリランカとチョーラ朝の関係は悪化します。
その後、スリランカは何度もチョーラ軍の侵略を受け、マヒンダ5世(982~1029)の時代にアヌラーダプラは陥落、マヒンダ5世は捕虜となり、その後12年間をチョーラ国で過ごし亡くなります。こうしてランカー島はチョーラ朝の支配下におかれます。
その後、6代の王は何度もチョーラ人に反攻を試みるも全て敗退、ランカー島の王統は乱れ、一時ローハナ地方の将軍や髪舎利官が政権を握る事態となります。
そのような状況の中、カッサパ2世王(650~659)の息子マーナヴァンマの子孫である王子モッガーラーナとダートパティッサ王(643~650)の系譜の王女ロキターの間にキッティ王子(後のヴィジャヤバーフ1世)が生まれます。
キッティ王子は、まずカッサパ7世王(1054~1055、ローハナ地方の髪舎利官の長出身)を打ち破り、ヴィジャヤバーフ1世王(1055~1110)として即位。そして、ヴィジャヤバーフはチョーラ人征服に乗り出しますが、チョーラ王ヴィーラ・ラージェーンドラ(1063~1069)は激怒し、以前にも増した大軍をランカー島に派遣します。ヴィジャヤバーフは苦戦の末、チョーラ軍を打ち破り、ついにランカー島におけるシンハラ王権を回復します。
ヴィジャヤバーフ1世はプラッティナガラを本格的に整備し、正式に遷都します。当時、南インドのチョーラ国との戦いによって疲弊し、受戒の儀式に必要な5人の長老比丘がランカー島内にいなくなったので、仏教の存続を願う王は、ラーマンニャ国(下ビルマ)のアヌルッダ王(1044~1077)の許に使節を派遣して、三蔵に精通し、自戒堅固で徳の高い長老をランカー国に招聘します。さらに王はプラッティの都に美しい多くの精舎を建立し、三宗派の比丘たちをそこに住まわせ、仏教の再興を推進します。その後、王は莫大な費用を投じ美しい歯舎利堂(現アタダーゲ)を建て、継続的に大きな祭礼を行います。
しかし、ヴィジャヤバーフ1世が死去すると、王位継承をめぐる争いでランカー島は再び乱れ、南インドからの侵略者やヒンドゥー教徒のヴィッカマバーフ1世(1111~1132)による僧院財産の没収などにより国土と人心は荒廃します。
その窮地を救ったのがスリランカ史上最高の英傑で王中の王、パラッカマバーフ1世(1153~1186)です。歴史書「チューラヴァンサ」の3分の1はパラッカマバーフの興隆や事績に関する記述で、舞台はこのポロンナルワが中心です。
ポロンナルワ遺跡群は、南端のポトグル・ヴィハーラから北端のティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)まで、南北7kmほどの広い範囲に点在しています。域内はよく整備されているものの、自転車や徒歩では厳しいものがあり、見学にはやはり車かトゥクトゥク(スリーウィラー)が必要でしょう。アヌラーダプラより遺跡感が強い反面、現役の宗教施設として機能しているものは少ないので、来訪者は観光客の方が多いと思います。
また、クワドラングルに代表されるように歴代の王の建造物が混在し、域内全体も重層的な歴史背景を持っているので、漫然と見学すると頭の中が混乱するかもしれません。現存する遺跡はヴィジャヤバーフ1世以降のものが中心ですが、ヒンドゥ遺跡なども残っています。上記時代背景を頭に入れて見学すると、遺跡巡りもまた趣深いものとなると思います。 閉じる投稿日:2018/06/26
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アヌダーラプラと並ぶシンハラ王朝の古都
- 4.5
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
- 1
BC5世紀~10世紀まではシンハラ王朝の王都はアヌダーラプラにありましたが、南インド・チョーラ王朝の侵攻を受け、10世紀に... 続きを読むポロンナルワに遷都、13世紀まで新たな都として繁栄しました。
ポロンナルワにもアヌダーラプラ同様に当時の遺構が残されており、遺跡エリアとして設定されています。特徴としては、ガル・ヴィハーラに見られるような巨大仏像が設置されているところです。この時期のスリランカが、東南アジア諸国の中で仏教文化の中心地として栄えていたころの名残を見ることができます。
見どころは遺跡エリア入ってすぐのクワドラングルと呼ばれる中心地、ガル・ヴィハーラのあるやや北側の部分、そしてポツンと立つ遺跡のある最北端、それから遺跡エリアから外れた南にある切立像のある最南端部分の4つです。
それぞれに向かうには徒歩だと少し離れているので、そこだけスリーウィラーに乗るか、遺跡全体でまるっとチャーターするか、レンタサイクルで回るか、どれかが良いです。
遺跡サイトの入場料が、他のスリランカの遺跡同様に30ドルという強気値段なのが難点ですが、遺跡好きには見応えある場所だとおもいます。
ダンブッラから日帰り可能、バスで片道約2時間弱です。またキャンディやアヌダーラプラからも3時間と、アクセスは悪くありません。 閉じる投稿日:2018/11/15
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クワドラングル辺りから観光を始めますか
- 4.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 1
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主要観光場所は旧市街辺りに集まっています。
- 4.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
10世紀に、長い間、都のあったアヌラーダプラがインドからの侵略を受けると、都は南東に位置するポロンナルワに移されます。都造... 続きを読むりのはじめとしては灌漑施設の建設で、今見ても人工のものとは思えない巨大なパラークラマ・サムドラが造られます。この畔に宮殿などを建設し、湖を渡る風を冷房施設として利用したのです。13世紀後半にはまたインドからの侵略を受け、キャンディへと都は移って行ったのです。短時間の観光では遺跡が集中している、旧市街の中心であったクワドラングル、その少し北のランカティラカ、キリ・ヴィハーラ、ガル・ヴィハーラなどを廻ることとなります。一帯は遺跡公園として整備が進められていて、入園料は$25でした。 閉じる
投稿日:2017/08/21
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整備された遺跡公園
- 4.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
- 1
スリランカのツアーの広告を見ると、シギリアロックばかりを前面に押し出していますが、ポロンナルワも一緒に訪れるべきだと思いま... 続きを読むした。シギリアロックの観光を午前中に終わらせれば、午後はポロンナルワの観光に充てることが出来ます。旅行日程が短くても、タクシーチャーターで訪れるのは可能だと思います。
ポロンナルワの遺跡群は狭い範囲に密集してますし、遺跡公園として整備されていますので、とても観光しやすかったです。私達は車をチャーターしてしまいましたが、ポロンナルワに宿泊するのであれば、自転車でゆったり巡るのが良いと思います。車道は整備されてますし、ちょうど良い距離だと思います。 閉じる投稿日:2017/05/04
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広い遺跡
- 4.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
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全盛期にはタイやビルマからも僧が訪れるほど仏教都市として繁栄していたかってのシンハラ王朝の首都です。
- 4.5
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 2
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素晴らしい遺跡群
- 5.0
- 旅行時期:2015/10(約10年前)
- 1
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自転車でゆったりと見て回りましょう
- 4.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 1
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大遺跡群のあるのんびりとした古都
- 4.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 1
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仏教の古代遺跡がご~ろごろ
- 4.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 1
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タクシーでの観光が良い
- 4.0
- 旅行時期:2015/07(約10年前)
- 1
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古都の名残を楽しめる遺跡群
- 4.5
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 0
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世界遺産のポロンナルワ
- 5.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
- 0
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とても広くて見どころ満載。
- 4.5
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
- 0
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自転車で回りました
- 4.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
- 1
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スリランカ版アンコール遺跡群
- 3.5
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
- 0
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