倭の五王と渡来文化
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- 旅行時期:2024/04(約2年前)
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by たびたびさん(男性)
河南・太子 クチコミ:22件
大阪府立近つ飛鳥博物館は、河内飛鳥、別名、近つ飛鳥の真ん中に建つ考古博物館。近つ飛鳥では、特に磯長谷は敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵、聖徳太子廟があって王陵の谷とも。最初の「倭の五王と渡来文化」では、倭の五王の時代、5世紀の頃に朝鮮半島や中国大陸からもたらされた文化が咀嚼され、6世紀になって結実。その成果が横穴式石室など近つ飛鳥の遺跡に現れているという説明でした。
倭の五王は宋書に記された時代で5世紀。ヤマト政権の誕生ははっきりはしませんが、その前で4世紀のことと推定するのが自然です。日本に発生したヤマト政権は、邪馬台国のような大きなクニが進化したものと考えられていて、そうであるならば渡来文化を積極的に取り入れたことがヤマト政権につながるとも思えます。しかし、私はちょっと疑問。邪馬台国のような弥生時代のクニとヤマト政権は質的な違い、弥生時代と古墳時代の違いとも言っていいと思いますが、その違いは大きすぎて、文化を取り入れるといったレベルではないように感じます。やはり、そこには文化が伝わったことと合わせて、人の移動があったと考える方が自然。縄文時代が弥生時代に移行したのは弥生人の流入。弥生時代が古墳時代に移行したのも古墳人の流入。古墳人の流入の中にヤマト政権につながる一族が含まれていたのではないかと思うのです。その立場に立つと渡来文化は自分たちが持ち込んだ文化。それをベースにさらに渡来文化を取り入れていくということになって、まったく違う風景になってしまう。ヤマト政権を作った人々といわゆる渡来人は、単に渡来した時代が少しずれているだけ。古代の日本列島では絶え間なく、いろんな人々の流入があって、その中で時代が進んで行ったのではないか。「倭の五王と渡来文化」のように二つを対比させるような関係ではなかったのではないかというのが私の思いです。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- コストパフォーマンス:
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- 展示内容:
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- バリアフリー:
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クチコミ投稿日:2024/11/30
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