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女人高野とよばれています。南朝、北朝の天皇、上皇が一時期同時に御座所となった場所でもあります。

  • 5.0
  • 旅行時期:2024/01(約4ヶ月前)
Reiseさん

by Reiseさん(非公開)

河内長野 クチコミ:8件

創建は古く、行基が聖武天皇の勅命によって開いたお寺で、弘法大師も密教の修練をしていた霊域といわれています。その後衰退していた時代もありますが、後白河法皇と妹の八条女院の帰依をうけて復興しています。
八条女院が高野山から弘法大師御影第三転写本を賜り女性の参拝を許したことから女性も参拝できることができるようになったようです。(パンフレット参考)

南北朝時代の歴史とのかかわりも深く、南朝の後村上天皇と北朝の光厳上皇、光明上皇、崇光上皇、直仁皇太子が同時に行宮としています。
南朝の後村上天皇は塔頭と摩尼院を行宮として、食堂を政庁として天野殿としました。
三上皇と皇太子は奥殿の観蔵院を行宮としています。
奥殿には北朝の御座所で、高貴な雰囲気の部屋がありました。庭園も枯山水の庭園で、室町期に造られ、その後、桃山期には蜂須賀家政が手直しをし、江戸時代には庭師雪舟流の家元谷千柳が改装したそうです。角度を変えて鑑賞すると、飽きることのない苔むした美しい庭園でした。
宝物館には織田信長や豊臣秀吉、徳川家康とのかかわりのある書状も多く展示されていました。金剛寺で造られた天野酒も豊臣秀吉は好んでいたようで、織田信長も家臣に配っていたようです。境内にある、多宝塔は平安時代にの創建とのことで、最古の形式のものということが昭和の解体の際にわかったとのことです。美しい多宝塔でした。
また御影堂、観月亭、五仏堂、薬師堂などの建物もあり、貴重な仏層や弘法大師の肖像画も安置され、観月亭では月を鑑賞していた風流な場所もありました。
また、光厳上皇の陵も分骨所としてあります。
自然に囲まれ、高貴な雰囲気の建物が多く、南北朝の歴史を感じるお寺でした。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2024/01/16

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