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比叡山延暦寺

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自然に囲まれ、悠久の歴史を刻む比叡山延暦寺の西塔エリアを訪ねて

  • 4.0
  • 旅行時期:2022/11(約3年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

大津 クチコミ:3件

今回の旅行の目的一つは、比叡山延暦寺の椿堂が聖徳太子1400年御遠忌記念で特別拝観できることでした。「比叡山延暦寺」は、「東塔」、「西塔」、「横川」の3つの広大なエリアで構成されています。比叡山延暦寺の西塔地区は、ユネスコ世界文化遺産に登録されています。時間の都合で、西塔エリアのみ立ち寄りました。そして、西塔エリアでは椿堂の他に、常行堂、法華堂、釈迦堂にも立ち寄りました。
西塔エリアで最初に訪れた聖徳太子ゆかりの「椿堂」では、1400年の眠りから覚めた本尊「千手観世音菩薩像」と「堂宇内」を初公開されていました。ちなみに、なぜ「椿堂」と言うかと言えば、それは「聖徳太子」が比叡山に登った時に使った椿の杖が地に挿されたまま残され、やがて芽を出し大きく育ったという伝説から「椿堂」と呼ばれるようになったそうです。「椿堂」の歴史を紐解いてみると、「椿堂」は太子の命日とされる2月22日に営む法要や、僧侶が90日間、堂内に籠もって座禅に集中する修行「常坐三昧」の場として使われ、これまで非公開でした。元亀2年(1571年)に「織田信長」の「比叡山焼き打ち」で「椿堂」は焼け、現在の堂は元禄17年(1704年)に再建されたそうです。「椿堂」へは、「西塔」の拝観受付の前の坂道を下った所に小さなお堂が建っています。おそらく特別拝観がなければ、この広大な「東塔」、「西塔」、「横川」の3つのエリアからなる延暦寺境内にこんな由緒あるお堂があるなんて知る由もありませんでした。そして坂を下りると「椿堂」があり、その左手には「鐘楼」とおそらく「聖徳太子」の杖が大きく育ったと思われる「椿の木」がありました。「椿堂」自体は、小さいお堂ですが静寂の中にその荘厳さが満ち溢れていました。「椿堂」本尊の「千手観音像」の高さは約85センチです。そして「千手観音像」の胎内に聖徳太子の御本尊として納入したと伝わる胎内仏で、7世紀に制作されたとされるわずか9cmの仏像「菩薩半跏像」が入っているそうです。「菩薩半跏像」は、会期に合わせて比叡山の宝物を収蔵する「国宝殿」にて展示されています。残念ながら時間の関係で「菩薩半跏像」は見ることができませんでした。
次の「比叡山延暦寺常行堂・法華堂」は、堂宇に向かって左側が「阿弥陀如来」を本尊とする「常行堂」そして右が「普賢菩薩」を本尊とする「法華堂」です。2つ同じ形をしたお堂が唐破風屋根の渡り廊下でつながれています。ツインタワーのような感じです。「にない堂」の呼び名はこの廊下に肩を入れて弁慶が担ったと伝えられることに由来しています。つまりは全体の形が天秤棒に似ているところから「担い堂」の呼び名が生まれたわけです。「にない堂」は、文禄4年(1595年)に建立されました。そして国の重要文化財に指定されています。ちなみに「常行堂」の「常行」とは、90日間、不眠不休で念仏を称え続けて「阿弥陀如来」の周囲を回り、ついには悟りを開くという荒行の常行三昧を行なう堂のことだそうです。比叡山に登るのでさえ苦行であるのにはるかに想像を超えた厳しい修行を行っていたのですね。
最後が「釈迦堂」です。西塔の「本堂」にあたるのが、この「転法輪堂」です。一般には伝教大師ご自作の「釈迦如来」にちなみ、「釈迦堂」の名で知られています。「織田信長」の焼討ち後、「豊臣秀吉」が大津の「三井寺」から移築したものです。もとは「三井寺」の「園城寺」の「金堂」で、「西塔に移築されました。延暦寺山内に現存する最古の建物です。また、滋賀県下最大級の仏堂で、国の重要文化財に指定されています。比叡山の山中でその重厚感は群を抜いています。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
2.0
レンタカーを利用するかツアーで行かないと比叡山延暦寺は広大な面積なので参拝することはできません。
人混みの少なさ:
4.0
特別公開期間中だったので平日にもかかわらず、入れ代わり立ち代わり色々な観光会社のツアー来ていました。

クチコミ投稿日:2023/10/14

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