お囲い山とは土塁
- 4.0
- 旅行時期:2023/05(約1年前)
-
by lion3さん(男性)
耶馬溪・中津・玖珠 クチコミ:36件
中津城は平城で敵からの防御を固めるために土塁(囲い山)が築かれていました。中津城の北側は別府湾、西側は中津川、東側は寺町、金剛川などがあり、自然の防御に備えられていましたが、南側は自然の要害がないために、土塁が防衛のために築かれていました。中津市の都市化で土塁は多くは消失していますが、土塁(お囲い山)として記念碑、説明板が置かれています。中津城から南へと200メートルほどにある南部小学校の門(生田門)のすぐの場所には江戸時代に土塁があったとの説明板がありました。このようなものを見るのは城下町歩きの楽しみです。
- 施設の満足度
-
4.0
- アクセス:
- 4.5
クチコミ投稿日:2023/09/20
いいね!:0票