平城には濠と土塁。
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by 旅好者さん(男性)
耶馬溪・中津・玖珠 クチコミ:145件
お囲い山にどのくらいの効果があったかは別にして、明治初めまでは残っていたそうです。中津城は平城ですから、守りが難しいとして中津城下町を、濠と土塁(庶民からは「お囲い山」と呼ばれていた)で囲んでいたとのことです。濠の補強として内側に高さ5m程の土塁を築いた様です。そして、出入り口として小倉口 広津口(渡守口) 金谷口 島田口 蛎瀬口 大塚口が設けてあり、番所を置き、番士2人 下士2人 鉄砲足軽2人の計6人で監視したそうです。ここは自性寺の横なので、広津口(渡守口)のお囲い山」です。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2021/03/13
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