今も昔も変わらずみんなに愛さ続けている西郷さんが、西南の役で最後に立てこもった洞窟です。
- 2.5
- 旅行時期:2023/01(約1年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
鹿児島市 クチコミ:17件
旅行をしているときに、鹿児島市に住んでいる友人から聞いた話ですが、鹿児島で一番愛されている人物は、大久保利通など明治政府で活躍した人ではなく西郷隆盛だそうです。ほとんでどの学校の校長室には、西郷隆盛の肖像画が飾られているそうです。
「西郷隆盛」は、征韓論での政治的対立から郷里の鹿児島へ戻り私学校を設立しました。その当時は、明治政府による士族階級への待遇悪化に不満を持つ士族の反乱が頻発する中で、「西南戦争」は、明治10年(1877年)に起こった政府軍と薩摩藩旧士族との日本で最後の内戦です。薩軍の首領である「西郷隆盛」は慎重でしたが、私学校幹部の決起を止めることが出来ず、2月15日に蜂起し「西南戦争」へ発展しました。明治10年(1877年) 2月、鹿児島城下を出発した薩軍ですが、九州各地で転戦したのち、8月に西郷軍は和田越の決戦に敗れ、長井村(現・延岡市北川町)で官軍に包囲され、西郷はここで軍を解散しました。その後「西郷隆盛」の一行は九州の険しい山間地を越えて鹿児島を目指しました。9月1日、再び城下に戻り、いったんは市民の協力のもと態勢を立て直そうとしたが、膨大な政府軍兵力の攻勢に対抗するすべもなく、城山に立て籠もりました。城山に立てこもった350名が政府軍40,000に包囲されるという絶望的な状況になりました。「西郷隆盛」が最後の五日間を過ごしたのがこの洞窟と伝えられています。「桐野利秋」をはじめ私学校の幹部たちとともに、銃弾に倒れるまでの最期の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われています。「西郷隆盛」が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として重要な史跡です。周遊バス「カゴシマシティービュー」の停留所にもなっています。
【「西郷隆盛洞窟」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町19
⑵ アクセス
「鹿児島中央駅」から「カゴシマシティビュー」で約18分、「西郷洞窟前」下車すぐ
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 鹿児島中央駅からカゴシマシティビューで約18分、西郷洞窟前停留所で下車したら目の前が西郷洞窟です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 訪れた当日は、15人くらいの観光客がいました。歩いて訪れる人やバスを利用する人など様々です。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 洞窟の中に入ることができませんが、大勢の官軍を相手に、負けるとは分かっていながらここに立てこもり応戦した光景が目に浮かんできます。
クチコミ投稿日:2023/09/16
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