流刑地としての痕跡の代表格
- 4.0
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
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by RAINDANCEさん(男性)
佐渡島 クチコミ:32件
「真野御陵」は正式には「順徳天皇御火葬塚」なのだそうです。鎌倉時代の”承久の乱”にて、首謀者の後鳥羽上皇は隠岐へ、その第三皇子の順徳上皇はここ佐渡へ島流しとなりました。順徳上皇は仁治3年(1242年)46歳で崩御した翌日に火葬され、その跡に松と桜を植えたのがこの火葬塚ということです。この火葬塚は御陵と同格扱いで宮内庁の管理で、入ることはできません。奈良時代から既に流刑地として定番となっていた佐渡は、順徳上皇のほかにも、722年に皇室批判を行った万葉歌人、1271年に鎌倉幕府を批判した日蓮聖人、1434年に足利将軍を怒らせた能楽者の世阿弥など、色んな貴族や知識人が流されてきました。この塚はそんな痕跡の代表格といえそうです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2022/12/13
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