栄枯盛衰を思わせるところでした。
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- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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by 旅好者さん(男性)
臼杵・津久見 クチコミ:61件
大友宗麟のお墓がある宗麟公園は、津久見川沿いを遡った、海岸からは2kmくらい離れた場所にありました。ここに隠居所とした天徳寺があったといわれています。天子の徳ですから、確かにキリシタンらしい命名だとは思いますが・・・。当時の様子は分りませんが、隠居というよりも隠棲だったのではないかと思えてきました。宗麟は津久見で亡くなったとされていますが、その終焉の場所も、葬られたお墓の場所もはっきりしていません。大分市では下にも置かぬ扱いの英雄・大友宗麟ですが、津久見では世間から見放されたうらぶれた宗麟の姿が思い浮かんできました。
覆い屋のある墓標がありました。没後200年以上経った寛政年間(1789年~1801年)に、旧家臣の末裔・臼杵城豊が建立したものです。宗麟はキリスト教で葬られたとされますが、禁止令に伴い、息子の大友義統が仏式で改葬したそうです。しかし、大友氏の没落とともに荒れ果て、場所もハッキリしなくなってしまっていたそうですね。正面には「瑞峯院殿前羽林次将兼左金吾休庵宗麟大居士」と戒名が刻まれていました。城豊は津久見にある長泉寺に法要をお願いしたそうですから、改めて、戒名が授けられたのだと思います。なお、側面には「天正十五年丁亥五月廿三日春秋五十有八歳」、「九州二島伊豫官僚 従四位下兼左近衛少将 大友左衛門督源義鎮」と刻まれていました。
宗麟公園にはキリスト教式のお墓もありました。1977年(昭和52年)に、大分市長などを務めた著名な上田保さんが発起人となった大友宗麟公顕彰会が建立したもので、建築家の磯崎新さんが設計したものです。お棺の横にはOTOMO SORINとともにクリスチャンネームDON FRANCISCOと刻まれていました。公園内には大きな自然石に乗った胸像がありましたが、その後ろの壁には宗麟が使ったたくさんの花押、印章が飾られていました。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2022/08/19
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