明治元年に自刃した白虎隊隊士たちが、明治2年になってから葬られた場所
- 4.0
- 旅行時期:2021/10(約3年前)
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by SUR SHANGHAIさん(女性)
会津若松 クチコミ:14件
戊辰戦争中、鶴ヶ城が落城したと思い込んだ白虎隊が飯盛山で自刃したのは明治元年(1868年)。
戊辰戦争後、白虎隊が属していた会津藩は朝敵とされたため、自刃した19人の白虎隊の亡骸は放置され、埋葬許可が長い間出なかったそうです。
それを不憫に思った人々によって仮埋葬がされたものの、それが発覚した後の遺骨はまた元の場所に捨てられ、仮埋葬に関わった人々は処罰の対象に。
やっと埋葬の許可が出て、飯盛山中に葬られたのは明治2年になってからの事。
その場所は今では白虎隊霊場と言う広場になっていて、上記の白虎隊十九士の墓以外にも、白虎隊慰霊碑や白虎観音などもあり、飯盛山の見どころの一つになっています。
線香の煙が漂う中、俗名を彫り込んだ簡単な墓碑が横一列に並んでいるのを見ると、自刃して果てた少年隊士の哀れさ、その後埋葬許可も出ずに長期間放置されていた哀れさも重なって見えました。
墓碑がある一画の手前ではお線香を売っているので、志がある方は墓前にお供えして来るといいと思います。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 石段やスロープコンベアを使って行った飯盛山山中にあります。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 私が行った時には、修学旅行生たちが去った後で静かでした。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 俗名を刻んだ簡単な墓碑が横並びになっているのが哀れを誘います
クチコミ投稿日:2022/02/06
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