佐渡の金銀山遺跡の中でも重要な位置づけ
- 3.5
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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by たびたびさん(男性)
佐渡島 クチコミ:115件
鶴子銀山跡は、観光地らしさは全くありませんが、佐渡の金銀山の歴史としては重要な位置づけ。入口の看板を見つけてから、そう思って目指したのですが、なかなかの山道。遠いし、心細くなりながら、やっと辿り着きました。
改めて触れると、鶴子銀山は天文11年(1542年)から採掘が始まり、相川金銀山より歴史は古い。相川金銀山は慶長6年(1601年)、鶴子銀山の山師が発見したという関係ですが、相川金銀山と鶴子銀山は1㎞ほどしか離れていないんですね。
つまり、越後の上杉景勝が佐渡を支配した頃は、鶴子銀山に代官を置いていて。鶴子銀山の発見が本格的な佐渡の鉱山開発のきっかけになったのですが、その後の主力は圧倒的な相川金銀山。代官所も相川に移されることになりました。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/12/08
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