「天文館」「造士館」「演武館」「医学院」を築く
- 5.0
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
-
-
by ゆっくさん(男性)
鹿児島市 クチコミ:45件
鹿児島随一の繁華街、天文館のアーケードの中にあります。天文館通りを北側に歩き、ぴらもーるとの交差点にあります。
重豪は、第8代薩摩藩主(島津氏第25代)です。薩摩藩は日本の最南端にあったため、武士の教育が十分でないことを心配し、人材育成に力を注ぎ、学校を建てたそうです。1773年に、儒学を教える「造士館」と剣術・弓術・槍術・馬術・銃術などを教える「演武館」を、そして、1774年に医師の養成と薬草研究を目指し「医学院」を、1779年には天体観測や暦作成に携わる「明時館(通称天文館)」を創設したそうです。希望する城下士や地方に住む郷士、足軽や町人も入学を許可されたとのことです。しかも無料だったとのこと。
第11代斉彬の時代には、この造士館で西郷隆盛や大久保利通、そして五代友厚と言った、幕末の志士達が育っていくことになります。
重豪が居なければ、今の鹿児島随一の歓楽街も天文館とは呼ばれてなかったんだなと思うと、凄い偉人だなと思いました。それどころか、明治維新もなかったのかもしれませんね。
「天文館跡」の碑がそばの薬屋さん前に、「造士館・演武館跡」及び「医学院跡」の碑が中央公園にあります。
- 施設の満足度
-
5.0
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2020/11/28
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する