西南戦争の引き金となった学校跡地
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- 旅行時期:2020/08(約5年前)
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by ゆっくさん(男性)
鹿児島市 クチコミ:45件
現、国立病院の鹿児島医療センターがあるところです。国道10号線沿いに、その跡地を示す石碑が建っています。元々鶴丸城があった場所に私学校が建てられたため、この石塀は鶴丸城当時のものだそうです。
この私学校の生徒が政府の弾薬庫襲撃を行い、西南戦争の引き金となってしまいました。そして、この私学校の石塀にも銃弾跡が残っています。西郷さんの終焉の地もほど近い場所にありますし、ここでも激しい攻防が繰り広げられたんでしょうね。
私学校は西郷隆盛や大久保利通らが建てた学校で、「幼年学校」「砲隊学校」「銃隊学校」の3つがあり、国難に際しての兵士養成を目的としていたそうです。しかしながら、実際には、明治政府の改革に不満をかかえる城下士族の受け皿になっていたそうです。
歴史に「if」はダメですが、もし私学校が無ければ、西南戦争が起きなかったかもしれず、かといって不満士族の暴発はどこかで起きただろうし等、いろいろ考えさせられる跡地でした。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/11/28
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