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日頼寺

寺・神社・教会

日頼寺 施設情報・クチコミに戻る

仲哀天皇御殯斂地があります。

  • 3.5
  • 旅行時期:2020/10(約5年前)
旅好者さん

by 旅好者さん(男性)

下関 クチコミ:107件

日頼寺は本堂前に白砂が敷かれていました。残念ながら、副業のもみじ幼稚園が忙しいのか、落葉が多く、ちょっと残念な気分になりました。この日頼寺は、創建年は明らかでなく、経緯は不明ですが、廃れていたものが天正年間(16世紀後半)に再建され、極楽寺と称していたそうです。続く慶長年間になって、長府藩初代藩主毛利秀元が、祖父・毛利元就の法号「日頼洞春」に因み「日頼寺」と改称して、菩提寺としたそうです。
境内の北部に小山があり、仲哀天皇御殯斂地(仮埋葬した塚)と伝えられる遺跡があります。山門を潜ってすぐに右へ辿ったところに入口があります。その入口には立て札がありますが、掠れていて良く読めません。でも、宮内庁の文字は見られます。宮内庁の管理地はどこも、みだりに立ち入るな・・・など書かれていますね。そこから断続する10段くらいの階段を5つほど上ったところに、仲哀天皇御殯斂地の碑が建った門があります。扉がありますが、訪れた時はなぜか開いていました。
西暦193年(仲哀天皇2年)、九州の熊襲の反乱を受けて仲哀天皇はその征伐に向かいます。前線基地(仮皇居)として、豊浦津に豊浦宮(現在の忌宮神社のところ)を設け、結果的には7年ほど滞在したとされています。199年(仲哀天皇8年)、天皇が筑紫(現在の福岡)にいた際、天皇の后・神功皇后に、「熊襲よりも先に新羅を討て(新羅が熊襲を煽動している)」と神のお告げがあります。仲哀天皇がすぐに行動に移さないうちに、翌200年に急逝してしまいます。神功皇后は天皇崩御を伏せるため、この地に仮埋葬をして、自ら朝鮮に出兵、後に三韓征伐(新羅征伐)と呼ばれる大勝利を挙げて凱旋しました。

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
友人
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
3.5

クチコミ投稿日:2020/11/22

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