祇王・祇女伝説に端を発っしている。
- 5.0
- 旅行時期:2020/04(約6年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
野洲・竜王 クチコミ:13件
生和神社脇を流れる祇王井川は、人工的に掘削されたものである。平安時代末期にこの地にあった江部荘に橘次�時長という武士がいた。彼は保元の乱で討死するが、彼には祇王・祇女という2人の娘がいた。父の死で生活が行き詰まり母と共に都に出て白拍子となった。
特に美人だったと言われる祇王の評判は、太政大臣平清盛の耳に入り寵愛を受けることになります。とある日清盛から〝何か欲しいもの〟を尋ねられた祇王は、自らの故郷である江部荘が日頃から〝水問題〟に悩んでいたことを述べ水路の構築を願い出た。工事は難しいものだったが無事完成し、干ばつがなくなって米どころとなり、往時の水路共々現在に至っている。
清盛のお気に入りとなった祇王であったが、その後仏御前の出現によって立場を失うこととなる。露骨に態度の変わった清盛に対し心優しい祇王は大いに悲しみ、自害を試みるが母・妹に止められ、三人で出家し嵯峨往生院(現:祇王寺)で仏門に入ることになる。その後仏御前も出家して四人で暮らしていたとあるが定かではない。
祇王は若くして亡くなったようだが、彼女が気にかけた故郷野洲の地では彼女の功績を後世に伝えるべく妓王寺を建立し、命日の法要に加え寺と祇王井川の手入れを欠かさず行って現在に至っている。
権力者ならではの気まぐれに翻弄された祇王であったが、難工事続きであった祇王井川の掘削を成し遂げた(させた)祇王の功績は多大なものだと言えるであろう。そのことを表すように祇王井川周辺では地元の方々が中心となり〝桜並木〟が整備されている。規模のことはともかく、住民にとっては愛される偉人であることを感じる場所であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 野洲駅くら車で7分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 散歩をされている方はいらっしゃいました。
- バリアフリー:
- 4.0
- 舗装がされている部分もあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 掘削当時を思うと感慨深いものを感じる。
クチコミ投稿日:2020/04/28
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