総大将平宗盛とは…。
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- 旅行時期:2020/04(約5年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
野洲・竜王 クチコミ:13件
国道8号線大篠原北交差点を東進してすぐ看板が立っています。今まで何度も前を通っていたにもかかわらず気づきませんでした。
壇ノ浦で敗れた平氏一門。多くは入水して果てたと言われていますが、総大将だった平清盛の三男平宗盛は、子の清宗共々海に浮かんでいるところを捕らえられ、鎌倉に送られることとなります。源頼朝の前でひたすら助命を願い、集まった者から嘲笑を受けたとされています。結局のところ頼朝が下した判断は死罪となり、京へと送られる途中この野洲の地で源義経の配下である橘公長によって清宗共々斬首されたと言われています。
この頃既に頼朝と義経の仲はぎくしゃくし始めており、宗盛・清宗父子の様を哀れんだ義経が胴体だけでも同じ墓に埋めてやろうと考えて作ったものが〝平宗盛卿終焉之地〟と刻まれた〝胴塚〟だと伝えられています。
宗盛斬首の報は橘公長によって鎌倉に伝えられますが、その対応をも気に入らなかった頼朝に義経は逢うことすら許されなくなってしまいます。この辺りの話は伝承ですが、宗盛は武将としてではなく、政治家としての器だったと言われることがあるようです。入水できなかった〝情けない総大将〟は、武家社会を迎える前の公家社会に於いて事を荒立てないようにまとめ上げる手腕に長けていたように思えてなりません。斬首されるときに清宗のことを気遣った逸話など、武家らしからぬエピソードも残っています。
時代に翻弄されたかのように、車通りの多い国道から僅かに外れた場所で親子で眠って今に至ります。そんな宗盛伝説を頭に重い浮べながら参る場所のように思えました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大篠原北交差点より西進すぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰もおられませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は地道です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 周りとは違う厳か感を感じました。
クチコミ投稿日:2020/04/07
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