箱館戦争をも生きて来た名刹 ~ 高龍寺
- 3.5
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by 機乗の空論さん(男性)
函館 クチコミ:51件
函館山の麓、船見町に位置する「曹洞宗・国華山高龍寺」は函館で最も古い寺院として有名で、寛永10年創建以来、度重なる水害や大火、箱館戦争、開港などの歴史と共に生きて来た寺院です。
ちなみに寛永10年と言えば遥か遠く江戸では寛永9年に”寛永の御前試合”成るものが行われた頃なんですね~、ゆえに高龍寺も創建当時は開祖の松前・法源寺の僧・盤室芳龍が亀田に庵を建てたのが始まりで、明治12年にこの地に移転したようです。
高龍寺と言えば魚見坂を上がった高台に構える赤いレンガ壁に囲まれた要塞の様な印象を受けますね?~、これは度重なる大火によるもので、防火壁としての役目を担う為に往時の外国の技術を用いて造られたもので、下部はイギリス積みで上部はフランス積みと工法をすみ分けたものでその厚さは60cmよ言うから凄い!。
また、山門や本堂も威風堂々たる姿は訪れる私達を圧倒するほどの迫力がありますね~。聞くところによると山門などの10の建築物が国の登録有形文化財に登録されたそうで、歴史的な価値や伝統的木造建築の技術なども評価されたそうです。
最後に歴史的な価値として高龍寺は箱館戦争における「箱館病院」として敵味方区別なく負傷した兵士を治療した中立性を保った病院の役目を果たしたことでも知られています。
病院長の医師・高松凌雲は西洋医学を学ぶ為に幕府留学生としてフランスに留学…、混乱状態であった最中に帰国し、幕臣・榎本武揚らと共に函館戦争に医師として参加し、高龍寺に臨時の箱館病院を開院した。
後に民間救護団体・同愛社を創設し、日本での赤十字運動の先駆者として活躍したことで知られています。
まさしく高龍寺は函館の歴史と共に生きて来たように思います~。
境内には”箱館戦争終結150年記念プロジェクト”として「箱館病院 降伏勧告を仲介し戦争終結へ」の設置ポストが建っています。
*PS 箱館病院とは、正しくは箱館病院・分院であり、戦争時おける野戦病院的な要素をも兼ね備えたものです。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 船見町~、魚見坂を上がった高台の赤いレンガ壁が目印!
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 観光客は殆どいないので静かです…
- バリアフリー:
- 3.0
- 津風に問題ありません~
- 見ごたえ:
- 3.5
- 見応えは十分にあります!、ゆっくり境内を観覧して下さい~
クチコミ投稿日:2019/10/29
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